114.首狩り、襲撃
舞台に上がるための戦士用の通路がひとつ、見事に粉砕された。
先ほどシャティアが登場に使ったばかりの出口だった。
粉塵が舞い、瓦礫が石のつぶてとなって四方に飛び散る。それらを目くらましにして、わずかな間も置かずに敵影が飛び出してくる――とノイムは思ったのだが、そして隣で警戒するラヴィアスや、舞台に立っているシャティアも同じことを考えただろうが、そうはならなかった。
壁の爆発は、派手すぎるくらいに派手なただの演出だったのである。
飛散したつぶてがころりとも音を立てなくなり、視界を覆う茶色っぽい煙幕がすっかり晴れる。突然の爆発に驚いてどよめいていた観客席が鎮まる。
そこまで待ってから、襲撃者はようやく姿を現した。
「やあ、まさか、こんなところで出会えるなんてね」
朗々とした男の声が、すっかり沈黙に包まれた闘技場に高く渡る。
その声、その軽薄さがにじみ出た立ちかた、両腕を広げる大袈裟な仕草。
隣でラヴィアスが舌打ちをした。反対の隣ではシンシアが短い悲鳴を上げ、ノイムの腕を掴んでくる。ノイムはシンシアの手を握り返してやりながら、低く唸った。
「悪趣味にもほどがあるよ」
舞台に現れた男の最大の特徴は、腰からぶら下げた三つの首だ。非常に口にしにくいことだが、それぞれの首に紐を通して縦に繋ぎ、腰飾りにしているのである。
おかげでひと目で誰だかわかった。
「トワン……」
彼の腰にあるのはシャティアの家族の首だ。父と、母と、兄と。
おまけにその首たちは、遠目に見ても、亡くなった当時となんら変わりがないようだった。どういう仕掛けを施したものか、死にたてほやほやのような鮮度を保っている。
悪趣味を通り越して嫌悪を覚えた。
「まさか僕の顔を忘れたなんて言わないよね、シャティア? シャティアだよね、名前、合ってる?」
「生憎だけど、あんたに名乗った覚えはないわ。黙って」
「残念だなあ。命を預けた仲じゃないか」
「気持ちの悪いことを言うな!」
シャティアの声は震えていた。怖くて逃げだしそうになるのを堪えているようでもあり、怒りのあまり言葉を上手く操れないようでもあった。
「あんた……なんでここに」
「ここ数日、この町はお祭りみたいな大騒ぎだったろう? 面白そうだと思って覗いたら、なんと、君がいた。覚えてるかな、僕が昔、君に『いつかまた会おう』って言ったこと。それが今だと思ったんだ。天が定めた、僕と君の再会の場だよ」
「あたしが聞きたいのはそんなことじゃない。ここにどうやって入ったか――」
「お客もたくさんいて、ぴったりじゃないか?」
ひときわよく通ったその一言に、ノイムは我に返った。
(そうだ、ぼうっとしてる場合じゃない!)
トワンはこのあと、観客も巻き添えにしてシャティアを攻撃する。なにが起こるかをわかっていながら、ただそのときをじっと待っているなんて馬鹿のすることだ。
襲撃に気づくのは遅かったが、だからといって、前世で聞いた悲劇をわざわざ繰り返してやる道理はない。
観客席に目を走らせる。
席の間を巡回していたサフィート騎士団員の姿を追う。眺めている限り、どの騎士も役に立ちそうになかった。ただぽかんとした間抜け面を晒して突っ立っているだけなのである。
例外といえば、やはり団長代理だろう。
エクシアの金髪はすぐに見つかった。彼もまた、舞台に釘づけになっていたが、平の騎士と違って、ただぼうっと眺める無様はさらしていなかった。腰の剣に手をやって、ことが起こった瞬間に、いつでも抜けるようにしている。
「ノイム、どこへ行くのです。ここにいなさい」
「避難誘導してもらわないと!」
鋭く制するラヴィアスにも怯まず、ノイムは席を離れた。
「エクシア団長、団長っ」
ノイムが駆け寄っても、エクシアはトワンから目を離さなかった。ただ声だけで短い返事をする。
「どうした」
ささやくのとほとんど同じ声量だった。ノイムも声を落として、手短に用件を伝える。
「このままだとお客さんがみんな犠牲になる」
ノイムが断言すると、エクシアは初めて彼女を見た。
「……それほど危険な相手なのか?」
この場には騎士団や自警団を含め、客席にだって数々の戦士が集まっている。舞台に出現した不審者と相対しているのも、大会優勝候補と名高いシャティアだ。総出でかかればどうにでもできると考えていたに違いない。
ノイムは苛立つのを抑えながら口を開いた。トワンについて説明してやろうと思ったのである。
「あれは――」
「いや、わかった。ただちに観客を避難させる。詳しい話はあとで聞こう。そのほうがいいだろう?」
ところが、わざわざ語るには及ばなかった。エクシアが首を振って、それ以上の長話を拒んだのだ。呑みこみが早いのは、彼のいいところのひとつだった。
「うん、お願いします」
それだけ言って、ノイムは身を翻す。手近な騎士を招き寄せて指示を出すエクシアを背後に置き、ラヴィアスのところへ戻ろうと、足早に通路に出たときである。
舞台に立つトワンと目が合った。
手のひらをこちらに向けている。
「余計なことをされるのは困るな、おちびさん――グラスオグ」
ノイムは咄嗟に身を伏せた。
瞬間、轟音がさく裂する。ノイムのすぐ耳元だった。
頭に次々と降りかかる瓦礫と、肌が粟立つほどの冷気。ちらりと顔を上げれば、頭の上すれすれに、氷でできた槍が突き刺さっていた。それも四本。客席と客席の間に設けられた階段を粉砕して、深々と槍先を沈めている。
ほんのわずかでも遅れれば、これに貫かれていたのはノイムの体だった。
ぞっと全身の血が引いた。
一拍遅れて、あたりに悲鳴が響き渡る。先ほど足元から聞こえたのとはまた別の種類の、恐怖に打ち負けた叫びだった。ノイムの近くにいた観客が発したものだ。
恐怖は伝播した。
今まで静かすぎるくらい静かだった観客が、一斉に逃げ出した。エントランスに戻る階段へ、我先にと殺到する。悲鳴と怒号の大合唱になった。一部には殺気立った戦士などもいたようだが、逃げ惑う一般客に圧し潰されて身動きが取れなくなっている。
「落ち着いてくれ! 押さないで、順番に! 焦るとかえって危ない!」
エクシアが大慌てで誘導を始めるのが聞こえたが、彼もまた、人の波に呑みこまれてしまっていた。もう収拾はつかないだろう。エクシアの声はたちまち、阿鼻叫喚の嵐にかき消された。
ノイムは縮こまったまま、青い顔でその光景を眺めていた。
(しまった……!)
トワンはシャティアに夢中で、観客の存在はただのおまけだと思いこんでいた。こうあからさまな牽制をしてくるなんて。これは明らかに、ノイムの失態である。ラヴィアスの言うとおりにおとなしくしていたほうが、状況はマシだったろう。
(うう……消えたい……)
そんな場合じゃないとはわかっていても、酷い後悔と羞恥の念に苛まれた。頬に熱が上るのを感じながら、ノイムは頭をかきむしる。
「ノイム、ノイム!」
その腕を思いきり掴まれて、ノイムは突き刺さった氷槍の下から引きずり出された。なにかと思えばシンシアである。
「怪我したの? 痛い?」
「大丈夫、ちゃんと避けれたよ」
「びっくりしたぁ……全然動かないんだもの」
「ごめん、ちょっと自己嫌悪に陥ってた」
シンシアのうしろには、ラヴィアスがいた。
舞台からノイムたちの姿を隠すようにして立っている。彼は首をちょっと動かして、目だけでノイムの無事を確認すると、なにも言わずに視線を舞台へ戻した。
いや、正確には、ラヴィアスの口はずっと動いている。同じ呪文をひたすら繰り返し唱えているのである。
「クゲルフェルス――クゲルフェルス――クゲル――」
敵の足止めをするだったか、敵の前に壁を作るだったか、そんな内容の土魔法だ。そんなに連続で唱えていいものなのかと舞台を見やって、ノイムはぎょっとした。
「無茶苦茶する……」
「すごいよね、ラヴィアスさん」
先ほどトワンが立っていたあたりに、人をすっぽり覆い隠すほどの岩の塊ができていた。ノイムが眺めている間にもその表面にヒビが入り、砕けてはじけ飛ぶ。岩塊のなかにトワンの姿が見えたかと思うと、また新たな岩が下から盛り上がってきて、ふたたび彼を包みこんでしまった。
トワンが脱出しようとして岩を割る、すかさずラヴィアスが新たな岩でトワンを包む。その繰り返しである。だからラヴィアスは何度も同じ呪文を唱えていたのだ。
おかげで彼は、一言もしゃべることができない。視線も外せない。
「……あたしたち、どうすればいいんだろう」
「わかんない……」
ノイムたちもまた、ラヴィアスの背中を見守る以外に、することがなくなった。
逃げる、観客をなだめる、シャティアと合流する、思いつく行動はいくらでもあったが、ノイムは今しがた判断ミスをやらかしたばかりである。尻込みして、結局一歩も動けなかった。
「ノイム、無事!?」
舞台と観客席とを隔てる壁の向こうから、人の頭が出た。
壁をいきおいよく乗り越えて観客席に上がってきたのは、シャティアである。
どうも、トワンが飛び散らした岩壁の破片に巻き添えをくらったらしい。彼女は顔のあちこちに擦り傷をこしらえていた。




