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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
五章 代理勇者の助太刀
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113.油断、前世をなぞり

「あたしが見せてやるよ――って言いたいのは山々なんだけど、あたしはもう、闘技場には近づけないんだ」


 声を思いだした。

 その声音は、特に最後の一言については、普段のシャティアからは考えられないほどに落ち込んだものだった。


 こういう場では、シャティアの性格なら間違いなく「見たことないの? 野蛮な見せ物だけど、興味あるんならあたしが見せてやるよ」くらいは言うはずだった。

 前世のシャティアは、そうはしなかった。むしろ反対で、それはできないと言いきったのだ。


 それにしても「もう闘技場に近づけない」とはどういうことか。

 シャティアの引っかかる物言いに、当時のノイムが疑問を抱くのは当然だった。そしてシャティアもまた、ノイムが疑問に思うことを承知していた。


 前世のノイムは、ここでシャティアの過去を――そのほんの上澄みを、聞いたのである。

 今世のノイムが、前世で聞いたものよりずっと詳しい話を知っていることは、この際あえて言うまでもない。

 問題はその()()だった。


 そう、この話には続きがある。

 これは前世のノイムしか知らない。今世ではまだ起こっていない出来事だからだ。


 前世のシャティアは、自分の生い立ちを簡単に語ったあとで、言葉を継いだ。


「もう十年も前の話だ。あたしは闘技大会に出てた。その決勝戦にね、ヤツが来たんだよ」

「ヤツ?」


 前世のノイムが問い返した瞬間、シャティアはほの暗い微笑みを浮かべた。


「あたしの家族の(かたき)さ」


 決勝戦の始まりを告げるアナウンスの代わりに、闘技場の裏方では悲鳴の大合唱が響いていた。すでに舞台に出ていた十六歳のシャティアは、なにごとかと身構える。そうして、自分と同じ舞台に進み出てきた男に驚愕した。忘れたくても忘れられない、シャティアにとっては憎悪と恐怖を同時に刺激する顔が、目の前に現れたのである。


『首狩りトワン』が、サルシャの円形闘技場にやってきたのだった。


「あたしを見つけたのは偶然だったらしい。あれからずいぶん時間も経ったことだし、ここらで、闘技大会という晴れ舞台で、いよいよあたしの相手をしてやろうと考えたみたいなんだ。それでわざわざあたしの前に出てきた。そこであたしは、ほとんど死ぬ寸前まで追い詰められた」

「え?」


 前世のノイムが素っとん狂な声を上げて聞き返したのも無理はない。

 シャティアはあまりにもあっけらかんと、そのとんでもない事実を口にした。わざとらしすぎるくらいあっさりとした口調だった。実際、意識して軽い口ぶりにしていたのだろう。


「だから、トワンはあたしを徹底的に痛めつけたんだ。いくら鍛えたからって、まだほんの十六の小娘だよ。あたしを小娘だって侮ってかかってくるそこらの人間なんかは相手にならないけど、魔族が相手じゃ、話にもならない。あたしなんかが勝てるわけがないんだよ」


 ひとりで立ち上がることはおろか、指の一本も動かせなくなった瀕死のシャティアを覗きこんで、トワンはぴしゃりと額を叩いたという。


「『しまった、読み違えた。人間の時の流れって難しいな。あんまり放っておくと年寄りになっちゃうからさ、気をつけて、気持ち早めに出てこようと思ったんだけど……どうも早すぎたみたいだ。あと十年くらい待てば十分かな? どう? 今日のところは帰るよ、じゃあね』だとさ。それで結局、とどめは刺さずに行っちまいやがった」


 サルシャの円形闘技場は、ほとんど壊滅状態だった。あちこちの壁や柱が砕かれ、大量の死体が観客エリアを埋め尽くすように転がっている。闘技場の警護に当たっていた騎士団も、自警団も、逃げ遅れた観客もみんな死んでいた。裏では闘技場で働く奴隷たちや、大会の決勝でシャティアの相手になるはずだった戦士まで、残らずトワンの手で殺されていた。


 シャティアひとりを狙った魔族のために、百人単位の人間が犠牲になったのである。


 その事実が、年齢的にはまだほんの少女だった十六のシャティアに、どれほどの衝撃を与えたかは計り知れない。ひとつたしかなのは、その一件が、たしかなしこりとなってシャティアのなかに残ってしまったことだ。


「いっそここで死ねたら楽だったのにって、それから一年くらいはずっと考えてた。まともに眠ることもできなかったからね。サルシャの町にいる友人や、今暮らしている村の連中が甲斐甲斐しく世話してくれなかったら、こうしてまともな生活に戻ることもできなかったかもしれない」


 今は平気なのか、とノイムがおずおず尋ねると、シャティアは皮肉げな笑みを浮かべた。


「闘技場にさえ入らなければね。もっとも、入ろうとしたって無理だ。観客席や舞台をちらっと見るだけでも、発狂してその場でばったり倒れるのが目に見えてる。だから、あたしと一緒にいる間は、あんたも闘技場には近づけない。悪いね」


 そのときのノイムは、「ううん、平気だよ」と短く返事をすることしかできなかった。茶化すように自身のトラウマを語ったシャティアに、どういう反応をすべきか、判断できなかったのである。シャティアのように気丈な戦士がそんなふうに取り乱すなど、とても信じられないという思いもあった。もちろん口に出したりはしなかった。

 当時まだ世間知らずの平和ボケした女子高生だったノイムでも、それくらいの分別は持ち合わせていたのである。


 ここまでの記憶が、雷鳴もかくやという勢いでノイムの幼い体を貫いた。


 魔族トワンが闘技場に現れ、大量殺戮をはたらく。

 これこそが、ノイムが前世で聞いた『十年前にサルシャの町で起こった事件』なのである。


 はっきり思いだした瞬間、ノイムは飛び上がるように座席を立った。前世でシャティアが語ったトラウマが、もし今日この日に開かれている闘技大会で起こった事件だったとしたら――。


 ノイムが今さら思いだしたところで、すべては手遅れである。


 闘技大会五日目。準々決勝、準決勝となにごともなく終えたサルシャの円形闘技場は、まさに決勝戦を迎えようとしている最中だった。


「皆さまお待ちかね! ただいまより、サルシャ定例闘技大会、決勝戦を行います。今大会の最後の試合を華々しく飾るのは、シャティア・リサラ!」


 魔法で拡声したアナウンスが響き渡った。今のノイムにとっては、ほとんど地獄へのカウントダウンに等しい声だった。


 絶望的ともいえるノイムの心境に反して、わっと上がった歓声が上がった。観客席の熱狂に押されて、舞台の端の壁に穴を空けた通路からほっそりした人影が現れる。もちろんシャティアである。今日一日ですでに準々決勝と準決勝の二試合をこなしているはずだが、その顔に疲れは見えない。彼女はいたって気楽な様子で、観客席に向かって手を振っていた。

 とりわけ、突然立ち上がったノイムは、シャティアからはよく見えたらしい。手を高く掲げて大きく合図を送ってきた。


 しかしノイムは、それに応える余裕を持たなかった。

 爆発しかねないほど早鐘を打っている心臓を押さえつけるのに必死だった。力いっぱい握りすぎて、ポンチョの胸元がくしゃくしゃになっている。


「ノイム、どうしたの?」

「いくらあなたが小さくとも、そう突っ立っていてはうしろの席の方に迷惑ですよ」


 シンシアとラヴィアスが左右から声をかけてくるが、これも当然のように、ノイムの耳を抜けていった。今や激しい耳鳴りが、ノイムに届くすべての音を支配している。


 ラヴィアスの指先が、ノイムの手にかかった。


「ノイム?」

「ラヴィーさん、まずいかもしれない」


 ノイムの顔が青を通り越して、真っ白になっているのを見たに違いない。ラヴィアスも顔色を変えた。腰を浮かせながら、ノイムの肘のあたりを掴む。


「どういう意味です」


 彼が問いかけた、そのときだった。


 観客席の下から悲鳴が突き上げた。

 ひとつやふたつではない。輪唱するように次から次へと、違う人の悲鳴が観客席の床を抜けて、ノイムたちのもとまで届くのである。観客席の下といえば、試合に出場する戦士の控えの場や、闘獣を入れておく檻などがある。いわば闘技場の裏方だ。そこからひっきりなしに人の叫び声が轟くのだから、これはただごとではない。


 なにより異様だったのは、その断末魔の叫びが、明らかに移動していることである。

 最初はノイムたちの右手から聞こえていたのが、すぐ足下を通り抜けて、左手に向かっていく。ちょうどシャティアが出てきた裏に通じる通路のあたりまで行ったところで、ようやく止まった。


 裏方の人間を次々と攻撃した()()()がそこにいるのは、明らかだった。


 観客席は静まり返っていた。誰もが口を閉ざしたまま、壁にぽっかり口を空けた通路に注目している。シャティアもまた、自分が出てきた穴を睨みつけながら、ゆっくりとそこから距離を取っていた。

 同じように舞台上を見つめていたラヴィアスが、そっと息を吐く。


「これはまた、ずいぶんと……」


 そのあとに続く言葉がなんだったのか、ノイムは知らない。ラヴィアスは最後までは口にしなかった。しかしその苦りきった表情からは、察して余りあるものがあった。

 彼はきっと同族の気配を感じ取ったのだ。そして足下を駆け抜けた騒ぎで、その同族が問題を起こそうとする不届き者だということにも、気づいたに違いない。


 この瞬間、ノイムは希望を捨てた。希望というのはつまり、今この場で起ころうとしているのはシャティアや『首狩りトワン』と無関係な事件なのではないか、という儚い期待である。


 もっと早く思い出していれば、太作を練ることもできただろう。しかしここまで来てしまった以上、もはや打つ手はない。後悔したところで始まらない。

 ノイムは隣のラヴィアスに全面的に寄りかかるつもりで、縋る目を向けた。


「シャティアが危ない。ねえ、ラヴィーさん」

「ええ」


 ノイムにとっては嬉しいことに、ラヴィアスは躊躇わなかった。彼が頷いて、今度こそ立ち上がった。そのときである。


 舞台の一角が、壁を砕いて爆発した。

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