106.悪口罵詈、耳を汚し
シンシアとラヴィアスとの再会に時間差で感極まったノイムが、どうにか落ち着いたころである。
長引いてすっかり弛緩していた第十一試合にも、ようやく片がついていた。魔導士が魔力切れを起こして目を回し、リタイアしたのだ。対する剣士も滝のような汗を流して肩で息をしていたが、自分の両足でしっかり舞台に立っていた。どちらが勝利かは明白だ。とはいえ、散々引き伸ばされた試合の幕引きにしてはお粗末すぎるくらいお粗末である。
もちろん観客席からは大ブーイングだった。
四方八方から飛んでくるとんでもない罵詈雑言に、ラヴィアスが顔をしかめる。
「教育によくない言葉ばかりが聞こえてきます……品がないにもほどがある」
そうやってノイムの耳を塞ごうとしてくるものだから、当のノイムは、しゃくり上げる合間にちょっと笑ってしまった。
ずいぶん今さらすぎる文句だと思ったのだ。耳を疑うような暴言なんて、これまでの試合で散々聞いた。もっとも、たしかに今この場で叫ばれているものよりかはいくらか優しい言葉ばかりだったが。
「こういう場所だってのは最初からわかってたでしょ? それに、耳を塞ぐんならシシーお姉ちゃんのほうにしなよ。すごい顔してるよ」
シンシアは、試合に勝った剣士に向けて、いたって素直に拍手を送っていたのだった。倒れた魔導士は大丈夫かと、運ばれていった退場口を窺ったりもする。それなのに周囲がこぞって、舞台上の戦士たちを力いっぱい口汚く罵り始めたものだから、目を白黒させている。場慣れしていないのが丸わかりのリアクションである。
ノイムは真っ赤になった目元をこすりながら、非難がましい視線をラヴィアスに向けた。
「どうしてお姉ちゃんを連れてきたの? これで汚い言葉を使うようになっちゃったら、お父さんとお母さんに顔向けできないよ」
そう言うノイムもまた今やシンシアの両親の養子であり、義姉よりもよっぽど幼い。それこそ周りが配慮して、ノイムの耳に入る言葉をよくよく吟味しなければ、将来に悪影響を及ぼす恐れがあるだろう。人が互いに武器を向けて闘う姿を眺める娯楽施設などはもってのほかだ。両親に顔向けできないとは、そっくりそのままノイム(と、彼女をここに連れてきたシャティア)にも当てはまる言葉だが、そこは一旦横に置いておく。
ノイムの糾弾を受け、ラヴィアスは流麗な眉を片方ひょいと跳ね上げた。心外なとでも言いたげだった。
「シンシアが言いだしたんですよ、見てみたいって。あなたのような娘が見物しても気持ちのいいものではないとよくよく説明したのですが、どうしてもと言って聞かない。だから仕方なく連れてきてやったんです」
その結果がこれである。
シンシアはもはやげんなりした顔で、帽子を目深にかぶり、両手で自分の耳を塞いでいた。
彼女はきっと、大道芸の剣舞や、騎士団の模擬試合のようなものを想像していたのだ。
ああいったものの見物人は、演者などに危険が迫れば素直に悲鳴を上げ、見事な一撃を見れば歓声を上げ、演技が終わったり、勝負がついたら笑顔で拍手をする。途中で演者が倒れて中止になれば、心配の声を次々と投げかける。中止になったことが不満だからといって、声を荒げて非難したりはしない。
サルシャの闘技場で飛び交うなかで一番やさしい野次を引っ張ってくるとしよう。
「どっちも擦り傷ひとつなしで終わる試合があってたまるか! 切り刻まれて血みどろになるまで試合を続けさせろよ、この玉無し運営めが!」
である。倒れた魔導士を気遣う言葉なんてどこにも存在しなかった。
眉間にぎっちりシワを寄せたシンシアが顔を上げる。
「デビーより汚い言葉を使う人なんて、存在したんだね……」
「デビーにしてもここの人たちにしても、お姉ちゃんは真似しちゃ駄目だからね」
「それはあたしがノイムに言いたいよ」
ラヴィアスが頷いた。
「同感です。ノイムとシンシアなら、どちらかといえばノイムのほうが、こういう下品な連中に影響されそうですからね」
「どういう意味それ」
「あなたが口の悪い女性に育ちそうだということですよ」
「私ほど将来有望な、おしとやかなレディはいないでしょ」
「奴隷商に反抗して川に捨てられるような子に、おしとやかは無理でしょうね」
にべもない。ノイムが反論できる隙もなかった。口を尖らせたノイムは、ラヴィアスのコメントを綺麗に無視する。
「気分悪いなら、もう外に出ちゃったら? 夕方まではずっとこの調子で続くだろうから、耳が汚れるよ。明日か明後日あたりからまた見にくればいい。それなら予選よりは間違いなく見応えのある試合になる。みんなの文句もここまでひどくないよ」
シンシアはラヴィアスに連れ出してもらって、適当なところで休憩していればいい。合流場所さえ決めておけば、ノイムとはあとでいくらでも会える。闘技場にこだわる必要はないだろう。
ノイムが促すと、当然といえば当然のことだが、シンシアは首を傾げた。
「ノイムは一緒に来ないの? ここにもひとりで座ってたけど、誰か待ってるの?」
「私は第二十三試合目に用があるから」
ノイムはシャティアに助けられて、彼女の暮らす村に身を寄せていることを簡単に伝えた。ノイムの現在の境遇について、ずいぶん前のラヴィアスの問いに今さら答えたかたちになる。
「そのシャティアさんって人の試合が終わったら、ノイムもここを出る?」
「うん。試合が終わったら、シャティアも闘技場から出られるだろうし。それ以上はもう、大会は見なくていいかなって」
「じゃあ、あたしもそれまでは残る。ノイムを助けてくれた人、見てみたい」
「平気なの? まだ十試合以上先なのに」
ノイムは渋った。下品な観客に囲まれて、シンシアの精神がどこまで保つか不安だった。シンシア本人も、周囲の観客席を見回しながら、自信なさそうに眉根を下げている。
ここでラヴィアスが立ち上がった。
「第二十三試合ですね? それだけ間があるなら、多少席を外しても問題ないのではありませんか。お茶をして戻ってくる余裕くらいはあるでしょう」
彼の腹のあたりで宙ぶらりんになりながら、ノイムは目を瞬く。
「たしかに、そっか。ふたりがいるなら、私も外出するのにひとりきりじゃないから、危ないこともないし……」
無理にこの場に留まる理由はないと気づいた。
「それに、そのシャティアという方、何度も闘技大会で優勝するほどお強いんでしょう」
「え、ラヴィーさん、なんで知ってるの」
「このごろのサルシャの町は闘技大会の話で持ちきりでした。今までの大会で、闘技場を破産させる勢いで優勝をかっさらう女拳闘士の噂は何度も耳にしたんです。とにかく、その方なら間違いなく決勝まで進みます予選のひと試合やふた試合、うっかり見逃したとしても、その雄姿を見る機会なら明日からいくらでもあるはずですよ。日をいくらも跨ぐような大きな催しですから、細かいことにこだわりすぎるのも損です」
そうして肩をすくめるなり、ノイムにもシンシアにも有無を言わせずさっさと歩きだした。ノイムは糸繰人形のように宙づりで運ばれ、シンシアは慌ててラヴィアスのあとを追う。
この話のオチは、闘技場の野蛮な空気に真っ先に音を上げたのが、ラヴィアスだったということである。
(ラヴィーさん、たぶんお坊ちゃまだもんな……)
村の近くの廃墟で見つけた彼の実家――おそらく街一番の豪邸だったと思われる屋敷を思いだし、ノイムは内心で苦笑した。




