101.魔鳥の騎乗、スリルあり
ノイムとシャティアは入り組んだ石造りの町を走っていた。
平べったい屋根の向こうに、おぼつかない翼取りで上空を舞うガケ鳥が見え隠れしている。あれが急に方向転換をしなければ、ノイムたちは魔物の進路に先回りできるはずだった。
「ガケ鳥の上に飛び乗ったら、ノイム、あれを目抜き通りまで誘導できる?」
「やってみるけど……駄目だったら?」
「なるべく障害物のないところで鎖を外して」
ガケ鳥の首から伸びている鎖の先では、闘獣の世話係をしている奴隷の少年がひとり揺れている。
ノイムがガケ鳥の上に乗り、鎖ごと少年を切り離して落とし、下にいるシャティアにキャッチしてもらうのが作戦だ。場所を選ばなければ、落下した少年は、建物の屋上や壁に叩きつけられることになる。彼の頭蓋骨が砕け散るなんてことになれば、本末転倒である。
「このあたりでいいかな。すぐ来るよ」
シャティアが立ち止まって膝をついた。両手を前に組み、ノイムに頷きかける。
背後を振り仰いだノイムは、ちょうど自分たちのいる場所に向かって、ガケ鳥が翼をはためかせてやってくるのが見えた。あまり余裕はない。ブーツを手早くぬぎ捨てて裸足になり、助走のぶんだけシャティアから距離を取る。
そしてほとんど間をおかずに、彼女が組んだ手のひらに向けて駆けだした。
外気にさらされて冷えた足裏が、シャティアのあたたかい手を踏む。次の瞬間、ノイムは宙へ勢いよく跳びあがっていた。勢いあまってくるりと一回転する間に、組んだ両手を振り上げた格好のシャティアが見えた。さすがの膂力である。
ひゅうひゅう唸る風が頬を叩き、髪をかき乱した。ポンチョのフードがばたばたとはためいている。
ノイムの高度は十分だ。ガケ鳥が飛んでいる高さよりもいくらか上をいっている。
タイミングもばっちりだった。ノイムの体が落下を始めると同時に、足元にガケ鳥がすべり込んできたのである。
重力に身を任せて、ノイムはガケ鳥の背中に着地した。羽毛のおかげで足場は掴みやすい。きちんと掴まってさえいれば、そうそう落ちることはないだろう。四つん這いになって手足の感触をたしかめながら、首のほうまで慎重に這いあがっていく。
ノイムが鉄の首輪に手をかけたところで、ガケ鳥は、体の上を這いずり回る異物に気づいたらしい。耳障りな鳴き声をひとつ立てると、体を大きく傾けて、ノイムを振り落としにかかった。
冷やりとしたものがノイムの背を走る。
眼下で悲鳴が上がった。地上にいるシャティアの声である。
ガケ鳥が派手に身動きをしたせいで、ノイムはほとんど体を投げ出されていた。両手だけで辛うじて首輪を掴んでいる状態だ。シャティアが肝を冷やすのも無理はなかった。
ノイムはすんでのところで声を立てなかった。心を乱すと本当に落っこちると思った。すでに胸の内にほんのわずかわき起こった恐怖で、手のひらに汗が滲んでいる。おかげで滑りそうで、余計に怖い。
(ちょっと調子に乗るとすぐこうだから……)
今の自分の体がいかに小さく、いかに軽いかというのを失念していた。それだけ吹っ飛ばされやすいのだから、こんな上空では、いくら慎重になっても足りないくらいだろう。
ノイムはひとつ深呼吸すると、足先でガケ鳥の首を探って組みついた。
裸足になっておいてよかったと思う。改めてよじ登り、まるで馬の鞍に座る格好で腰を落ち着けた。ガケ鳥はなおも派手に旋回を続けていたが、もう振り落とされたりはしなかった。
地上を見下ろす余裕さえ持てた。いつの間にかガケ鳥はずいぶん移動している。
闘技場から南に下っていたのが、町の西側をぐるりと巡って、南の端にたどり着いたところである。これで目抜き通りを北に上ってくれれば、ノイムやシャティアの目論見どおり、行動を起こしやすい位置に持っていける。
ノイムは両手でガケ鳥の首輪を引っ張り、左右に振ってみた。
馬の手綱を操るようにというわけではないが、こうすればガケ鳥は嫌がって身をよじる。あまり利口な方法とはいえないが、何度も押したり引いたりを繰り返しているうちに、ノイムが望んだとおりの進路を取ってくれるはずだった。
そうして町の南端でいくらか攻防を繰り広げ、ぐるぐると身を翻すガケ鳥のせいでいい加減に目を回しそうになったころである。
ノイムが乗り回していた魔物は、ようやくその嘴を闘技場へと向けた。ノイムはもう太ももが痛かった。渾身の力を込めてガケ鳥にくっついているからだった。
目抜き通りを見渡せば、少し先でシャティアが待ち構えていた。大きく手を振っている。
ノイムはガケ鳥の首周りを少しずつ移動しながら、手探りで、下に伸びている鎖と首輪とを繋ぐフックを掴んだ。そうこうしているうちにふたたび足が宙へ放りだされてしまったが、座り直している暇はない。
ノイムは片手で首輪にぶら下がったまま、どきどきする心臓を必死でなだめ、もう片方の手で、苦心してフックを取り外した。すぐに手を放して、鎖と、その下に絡まっている奴隷の少年を地面に落とす。
うっかりフックを持ったままぶら下がってしまったら、鎖から下についているすべての重みがノイムの肩を引きちぎっていたところだ。
足元で歓声が上がったのを聞くと、ノイムはほっと息を吐いた。
どうやらシャティアは、上手く奴隷の少年をキャッチできたらしい。
首をひねってそちらを見やれば、シャティアや奴隷の少年よりも先に、ガケ鳥に狙いを定めて弓を引き絞る戦士が視界に入った。ぎょっとした。もろともに撃たれるのではないかとノイムはおおいに焦ったが、こちらに向けられた矢が放たれることはなかった。
「この馬鹿、ノイムに当たったらどうするんだい!」
シャティアが怒鳴りながら、件の戦士の髪を引っ掴んだのである。
うっかり射殺される心配はなくなったが、ものすごい剣幕のシャティアの顔を見ているうちに、ノイムはガケ鳥とともにどんどん流されて、跳び下りるタイミングを完全に逸してしまった。
こうなっては仕方ない。
安全に着地できるのを待つよりも、たぶん、ガケ鳥を撃墜したほうが早い。そうすれば町のはるか頭上から落下しても、羽毛に覆われた魔物の巨体がクッションになって、ノイムは怪我をせずに済む。
(もうひと働き……するか……)
ノイムはふたたびガケ鳥に組みついて、その首をよじ登った。首輪を足掛かりに、頭のほうへ。進むにつれて魔物の首は細くなり、羽毛が短く薄くなり、ついでに風の抵抗は強くなり、足場はますます不安定さを増した。
羽毛を掴み損ねるたびに心臓が跳ねて、足が滑るたびに息が詰まる。少なくとも三回は寿命が縮んだ。
ノイムがまだくっついていることに気づいたガケ鳥は、先ほどよりも激しく身をよじる。首から下に長々と連なっていた鎖と重りがなくなったので、動きやすくなったのだろう。
散々に暴れられて、ノイムはいい加減に舌を噛みそうだ。
頭頂部にたどり着いた。ガケ鳥の目を覗きこむ。ここまで近づけば、向こうの視界にもノイムが映っているだろう。
その証にというべきか、ぱかっと開いた嘴からけたたましい猛り声が響いた。
「うるっさ……!」
あまりの大音量に、ノイムがのけ反ったほどである。きぃん、と耳の奥で高い音が反響した。思わず耳を塞ぎたくなったが、そんなことをすれば地面に向かって真っ逆さまだ。辛うじて留まった。
ヘドバンでもするように首を振り始めたガケ鳥にしがみついて、ノイムは片手の指を真っすぐ揃えて振り上げた。
正直やりたくないが、丸腰なのだから使える武器が爪くらいしかない。そしてノイムのなけなしの腕力で傷をつけられるのは、やわらかい粘膜を晒している箇所一択だ。
狙いは、ガラス玉のようにつるんとしたガケ鳥の眼球である。
揃えた爪を、ノイムは思いきり振り下ろした。




