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魔王に殺された代理勇者の。  作者: ねずみもち月
序章 代理勇者の絶望
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0.からっぽの玉座

 玉座は空っぽだった。


 期待はずれの光景に、十津月乃夢(とつづきのいむ)――ノイムは目を瞬いた。弓を背負った小さな背中が、扉を押し開いた格好のままで静止する。

 そこに仲間たちが続々とぶつかった。「ちょっと、急に立ち止まらないで」「痛い、杖刺さってる」「あら、ごめんなさい」「足を踏むな」「ノイム、どうしました?」……結局ノイムは、つんのめるようにして押し出されてしまった。


 ブーツの靴裏は、真っ赤な絨毯に沈んだ。たたらを踏んだノイムの足音が見事に吸収される。

 人がふたり並んで歩けるほどのレッドカーペットは、侵入者を導くように、部屋の奥へと続いていた。その行く先を目で追う。伸びて伸びて伸びた絨毯が、一段高い場所に設置された玉座の前で途切れる。

 そしてノイムは玉座を見上げ――。


 やっぱり、いない。空っぽだ。


「……魔王は?」


 魔王城、最上階。外から見たときに塔のように突き出ていた部分が、魔王が座す謁見の間である。ノイムたちはその塔を目指して、ひたすら魔物を狩り、進み、魔族を(たお)し、進み、進み、進み。

 今、たしかにたどり着いた。


 いよいよ魔王と対峙するとき――の、はずだったのに。


 玉座には誰も座っていない。玉座の上どころか、広間のどこにも生き物の気配がない。魔物もいない。魔族もいない。ないない尽くしである。ノイムが呆けている隙に、うしろに続いていた仲間たちが全員、なかに入った。重たい両開きの扉がきしんだ音を立てて閉まる。

 それでもノイムたちが斃すべき敵は現れなかった。謁見の間に変化はない。


 仲間たちが好き勝手に言葉を交わし始める。「ここまで来てハズレ?」「まさか……きちんと城の一番奥を目指してきたはずよね」「俺たちが来ると知ってこそこそ逃げ出したか」「魔王が? ずいぶん腰抜けさんなんだねぇ」……気が抜けたらしい彼らを振り返り、ノイムは途方に暮れてしまった。


「どう、しよっか……」


 ()()()()()()で暮らしてたった数年。その数年ぽっちの経験から、この場での最適解を導き出せというのはいささか無理がある。


 ノイムは生粋の日本人だった。

 生まれも育ちも二十一世紀の日本。それがどうして異世界で魔王討伐になんて出ているのかと訊かれると、ノイムのほうが知りたいくらいである。


 だってノイムは勇者ではない。ただの代理だ。

 代理なのに、腰に勇者の(つるぎ)をぶら下げ、魔王城へと攻め込んでいる。


「皆さん、気を抜かないでください。ここは敵地でしょう」


 ひとりの男が仲間の最後尾から歩みでた。

 騒ぎたてるほかの仲間をなだめながら、癖のある銀髪を絹のカーテンのようになびかせ、ノイムの傍までやってくる。


 彼は――ラヴィアスは、ノイムの頭に大きな手のひらを乗せた。彼女の髪をひと撫でして、穏やかに微笑む。


「ラヴィーさん、どうしよう……」


 ノイムは祈るような気持ちでラヴィアスを見た。

 彼は代理勇者の一行のなかで唯一の長命種だ。世界の仕組みを一番よく知っている。彼が「一度退()いて出直そう」「やっぱりやめにしよう」と言ってくれれば、ノイムもほかの仲間も、ふたつ返事で賛成するだろう。


「問題ありませんよ、ノイム。ここにいますから」


 その台詞は、ノイムが望んだものではなかった。

 言葉の真意を探る前に、ラヴィアスの手が離れる。代わりに、彼の長い銀髪が広い背中でひらめいて、ノイムの頬を毛先でくすぐった。


 ラヴィアスは玉座に向かった。一歩一歩見せつけるように、ゆったりとした足取りだった。


 ああだこうだと言い合っていた仲間たちが、示し合わせたように静かになる。すべて――といってもラヴィアスを抜いて五人しかいないが――すべての耳目が、ラヴィアスに集中する。


「ラヴィーさん……?」


 ノイムの戸惑いの声は、空気に溶けて消えていった。

 絨毯を踏み越えたラヴィアスは、踵を鳴らして段差を上り――。


「よくぞ、ここまでたどり着きました」


 ごく自然な動作で、魔王の玉座に腰を下ろした。

 低くよく通る声が謁見の間に満ちる。


「私の名はラヴィアス・レタール・ルアキュリア」


 ルアキュリアは、魔王城がある国の名前だ。もともとあった大国を滅ぼし、魔王が新たに築いた国である。


 そんなはずはない。

 ノイムの動揺はそのまま心臓に伝わって、耳障りな鼓動が頭のなかに響いた。


 そんなはずはない。

 だってラヴィアスは、ノイムたちと、何年も。


「あなたたちが魔王と呼ぶ、魔族を統べる者です」


 何年もずっと。


「そして、勇者の敵だ」


 ――ずっと、共に旅をしてきたのに。


「……笑えない冗談だな」


 仲間のひとり――東洋の衣装をまとった剣士が、刀の柄に手をかけた。

 ほかの者たちも彼に倣って、即座に臨戦態勢を取る。先ほどまでの気の抜けたやり取りが嘘のような、素早い切り替えだった。これまで数々の修羅場をくぐり抜けてきた代理勇者の一行だからこそできる判断である。


 いや、やはり、少し違うかもしれない。

 彼らのなかには既に、ラヴィアスに対する疑念が多少なりともあったのだろう。


 勇者に同行する理由不明、目的不明、長命であること以外には種族不明、出身不明。親兄弟不明。

 思えば、ノイムたちがラヴィアスについて知っていることは、ほとんどない。


「ラヴィーさんが……魔王?」

「そうですよ、ノイム」

「でも、だって、じゃあ」


 じゃあ、なんなのか。そのあとに続けるべき言葉を、ノイムは持っていなかった。


 ラヴィアスがため息をつく。微動だにしないノイムに呆れたらしかった。彼は下ろしたばかりの腰を持ち上げて、高みからノイムを見下ろした。


 不意に、彼の背が盛り上がる。

 そこからばきばきと音を立てて突きだしたのは、艶やかな黒の翼だ。抜け落ちた羽が、大きく開いた翼の煽りを受けて舞い踊る。黒い羽が玉座を彩った。


 見間違えるはずがない。

 黒い翼は、黒翼(こくよく)持ちとも揶揄される魔族の特徴である。


 もう言い訳は利かない。認めるしかなかった。


「構えなさい、ノイム。でないと――」


 ラヴィアスが伸ばした手に、大剣の柄が現れた。


「あなたが、死ぬ」


 ノイムは咄嗟に飛び退いた。


 轟音と共に床が砕け、絨毯がちぎれて宙に散る。

 一瞬前までノイムがいた場所に、大剣の切っ先が沈んでいた。


 もうもうと立ちこめる煙の向こうで、凶器の柄を握っているのは、ラヴィアスだ。黒みを帯びたガーネットの瞳が、ぎらりと嫌な光を放った。


 ノイムの名を叫ぶ仲間たちの声が遠い。酷い耳鳴りがした。こめかみのあたりで心臓の音が響いている。


 大剣を持ち上げたラヴィアスが、ゆっくりと背を伸ばした。

 顔にかかった髪を払う仕草。


 直後、あたりがかっと明るくなる。

 ノイムの背後からだ。炎だった。いくつもの炎の弾丸がラヴィアスへと殺到する。閃光があたりを満たし、まぶたの裏を焼いた。

 ノイムは細めた目で辛うじてラヴィアスの姿を捉えた。いや、正確には捉えていない。ほとんどシルエットしか見えなかった。ただ、彼がさっと手を払ったのはわかった。

 ちょうど髪をよけたときと同じような気安さだった。


 耳に届いたのは、炎弾が次々と広間の石床を穿つ音。ラヴィアスの軽い仕草ひとつで、すべての弾が叩き落とされたのである。


 もちろん、ラヴィアスは無傷だった。彼の白い頬にはかすり傷も存在しない。


「うそでしょ」


 畏怖を多分に含んだ驚きの声は、おそらく魔法を放った魔導士のものだろう。

 ノイムの背後で拳闘士が鋭く叫んだ。


「ノイム、今のあんたには――」


 荷が勝ちすぎる、と言おうとしたのだろうか。あるいは「ラヴィアスは殺せない」か。どちらにせよ、ノイムの耳には届かなかった。声が不自然に途切れたのだ。しかも声だけではない。気配も丸ごと消えた。


 ノイムは反射的に振り返った。

 仲間たちが透明な壁に阻まれている。彼らの声が聞こえない。姿は見えているのに気配がない。すべてを遮断する結界だ。


 ラヴィアスは、ノイム(ゆうしゃ)を確実に仕留める気らしい。


 ノイムとラヴィアスの一対一である。

 頭の先から爪先まで、氷が詰まった樽に浸された気分だった。冷えていく体をかき抱き、ノイムはゆっくりとラヴィアスに向き直る。


 彼の美しい顔に、憐憫にも似た呆れが浮かんでいた。


「ノイム……余所見はいけませんね。次は待ってあげませんよ。いいですか」

「どうして?」


 ノイムの呟きは、驚くほど大きな音となって広間全体に反響した。


「どうして、とは」

「ラヴィーさんが……魔王、なら」


 魔王なら。

 その一言を声に出すのが、涙が出るほど恐ろしい。


「魔王なら、どうして私と、勇者と一緒にいたの? どうして私たちに手を貸したの? だって、それは」


 それは、魔王(ラヴィアス)を追い詰める行為だ。

 最上階に来るまでだって、彼の力をずいぶん借りた。皆がこうして立っていられるのは、疲れきったノイムたちに、ラヴィアスがまとめて回復魔法をかけてくれたからだ。


 そんなことをするのは。


「私たちと……勇者と、戦う以外の道を探すためだったんじゃないの?」


 答えは刃で返ってきた。

 叩きつけられた横なぎの一撃に、ノイムは限界まで膝を落とし、背を逸らす。追いつけなかったノイムの髪が、ラヴィアスの大剣にさらわれて千切れ飛んだ。


「人間と、和解する気があったんじゃないの!?」


 地面を転がって凶刃を逃れたノイムは、背負った弓をようやく下ろして、矢をつがえた。ろくに狙いも定めないままに放つ。ラヴィアスは軽く羽ばたいただけで、いとも簡単に矢じりを弾いてしまった。武器も振るわず、己の手すら使わない。

 それでも、彼との距離を空けるだけの隙は作ることができた。剣先が届かない場所まで離れ、ノイムはふたたび口を開く。


「ずっと一緒だったのに、今さら裏切るのは――」


 ラヴィアスは一言もしゃべらなくなってしまった。ノイムがいくら問いかけても、否定も肯定もしない。


「私たちが……私が、ラヴィーさんの期待に応えられなかったから?」


 すべてはノイムの憶測だ。


  ……違う。

 違う、憶測ですらない。ただの願望だ。そうだったらいい。ラヴィアスは最初から悪意をもって近づいてきたわけではない。ノイムが彼を失望させてしまった。だからこんなことになっているのだと、ノイムが思い込みたいだけだった。


 ラヴィアスはやっぱり、答えなかった。


 ノイムが必死で空けた距離があっという間に詰められる。

 片耳に熱が走った。鮮血が散る。あとほんの少しずれていたら顔ごと持っていかれていた。胸のなかを冷たいものがすべり落ちる。ノイムは近接での戦いに向かない。近づかれると、なす術がない。


 腰に下げた勇者の剣以外には、なす術がない。

 でも、これは。


 ノイムが腰の剣に目を落とした一瞬。致命的な隙が生まれた。

 だから、今度は避けきれなかった。


 振り下ろされた大剣が弓を真っ二つに折る。胸から腹にかけてを浅く裂かれた。血がにじむ。みるみるうちに、服が赤く染まる。


 叩きつけられるように背中から倒れ、砕けた床石が肌に食い込んだ。

 鋭い痛みにノイムは、束の間、呼吸を忘れる。


 一秒にも満たないわずかな間だった。

 それで十分だった。


 ノイムの命が貫かれる。


 ラヴィアスの大剣が、ノイムの体と床を繋ぎ留めていた。


 ――痛い、なんてもんじゃない。喉を引き絞ったノイムが、悲鳴を上げる。声は出なかった。ただ口の端から血が溢れて、服をあちこち濡らしただけだ。


「あまり、期待をさせるからですよ」


 霞んだ視界に、寂しそうな色を乗せたラヴィアスの瞳が映る。


 ――いや、これもやっぱり気のせいだ。殺すことを惜しんでほしいという、ノイムの願望が見せた幻覚だろう。


 ノイムは意識を手放した。

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