第8話 だってドラゴンだもの
空が宵闇に染まる前で、わたし達は野宿と相なった。
リオさんが火と食糧の準備をする一方、わたしは川に水を汲みに来ていた。
「つかれた……」
リオさんの怒りが収まるのは予想よりは早かったけど、それでも結構な勢いで首をガクガクさせられたから、まだちょっと気持ち悪い。
ばしゃばしゃと川で顔を洗う。
うん、サッパリ。
はやく仕事をこなさなきゃと顔を上げたら、
「あれ。ゼルスさん?」
いつのまにか、彼はわたしが持ってきた樽に無言で水を汲んでくださっていた。
「ゼルスさん、ありがとうございます。代わりますよ」
「別にいい。やっておく」
「でも、悪いですよ」
返事はない。
そして彼の手も止まらない。
意図は分からないけど、水汲みを代わる気はないという意志だけは伝わった。
うぅ。この程度の雑用すら頼めないほど、今のわたしは情けない有様なのかな…。
「ごめんなさい、ゼルスさん」
「…? なにが」
「仕事をやらせてしまって」
「僕が勝手に代わりをやってるだけでしょ。なんで謝るの」
「でも…」
「…調子狂うな…」
はあ、と息をつきながらもゼルスさんはそそくさと水汲みを終わらせられる。
そのまま川辺でへたりこむわたしを一瞥して、
「何も聞かないんだね」
「え?」
黙られてしまうゼルスさん。
…思い当たること自体はあった。
昼間にリオさんから聞いたノーステリアのこと。
「街を壊したのはあなたなんですか?」とは、聞いてはみたい。
でも、そういう詮索はゼルスさんにやめて欲しいと言われたことだ。
だから、やらない。
…やらないんだけど…今のゼルスさんの様子的には、聞いたほうが良いのかな…?
うろたえるわたしは目をパチクリさせるばかりだ。
「…。…一つだけ言っておくけど…」
「あ。はい」
「アレは、不可抗力だった。逃げようと全力を出したら……」
ゼルスさんの言葉尻が小さくなる。
想像するに…意図してノーステリアの街を破壊したわけじゃないと言いたいのだろう。
それなら、わたしが返すべき言葉は決まっている。
「それを聞けて良かったです。ちょっとだけ安心もしました」
「…それだけかい…?」
「はい。街の人達はかわいそうだと思いますけど…人づてでしか話を聞いていない部外者のわたしが四の五の言うのも、違うかなって思うので」
「…そう…」
小さく、ゼルスさんが胸を撫で下ろしていた。
うん。それなら、この話はここでおしまい。
「水汲みも終わりましたし、早くリオさんの所に戻りましょう。あまり遅いとまたドッカンされてしまうかもです」
スカッ。
樽を運ぼうと伸ばしたわたしの手は空を掠めた。
ゼルスさんに先に取られたからだ。
「顔色、まだ悪いよ」
「い、いえいえ。大分元気になりましたし、大丈夫です!」
「無理しないよう善処するんじゃなかったの」
う。昨晩のことを話に出されると弱る。
「別にいいよ、これぐらい。僕も下手な借りは作りたくない」
それじゃ、とゼルスさんはとっとと行かれてしまった。
……ゼルスさんって、結構マイペース?
「まぁ、ドラゴンですもんね」
あれぐらいのほうが様にはなってるかと一人で納得した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「フィナ、もう体調は平気なの?」
野営地に戻ると、リオさんは既に夕餉の支度を終えていた。
香料で下味された干し肉を焚火で焼いてるからか、いい匂いがする。ぐつぐつ煮えるスープも美味しそう。
「はい。でもわたし、体調のことは一言も…?」
「あのフード男が戻り際にぼやいてたのよ。ま、確かにアタシもやり過ぎちゃったしね…悪かったわ。荒ぶっちゃって、つい」
「い、いえいえ! この程度は大丈夫ですよ…!」
「いいえ、ケジメは大事よ。ほら、座って座って」
リオさんから促される侭に腰を下ろすと、食事が盛られた器を渡された。
今日の献立は、ひよこ豆のスープとダムレス地方名産・リスト牛の炙り焼き。
すごい。至れり尽くせりだ。
「はい。召し上がれ」
「そんな、わたしが一番乗りなんて恐れ多い…」
「ほー。アタシに減らず口を叩く気?」
「美味しそうですねお言葉に甘えさせていただきます!」
今日だけでこのパターン何度目だろう。ホント自分が情けない…。
と、その前に。
「女神様、今日の恵みに感謝します」
胸の前で両手を組んで祈るわたしに、リオさんが言う。
「フィナって信徒なの?」
「うーん…どうなんでしょう。教会の正式な儀式には参加してませんし、森のみんなのを真似してやってただけなので」
「自然と共生してるぐらいだし、エルフって神様に信心深いイメージあったけど……案外適当なのね」
「…わたしの家が少し特殊だったというのはあると思います。唯一神様への祈りも大事だけど、それと同じぐらい今日の命を尊ぶことが大事だって両親は言ってました」
「ふうん…。悪くないことを言うご両親ね」
「はい。感謝してもし足りない両親です」
毎日の習慣もこなしたので、食事にありつかせてもらう。
ぱくり。
「…! おいしいです、リオさん!」
「でしょう?」
「お肉がやわらかくて、口の中で旨味がじゅわじゅわしてます…!」
「ふふん、そう? ま、精々アタシの料理の腕に感謝しながらたーんと食べなさい」
「はい!」
リオさんには本当に感謝しっぱなしだ。
スープに手をつける。
煮込まれたカブや玉ねぎの甘みがまろやかで、ほっとする味だ。
「おかわり」
「なに、また? アンタ、遠慮ってものを知らないのね…」
わたしがちまちまとスープをすする合間、おかわり四杯目に入ろうとしているのはゼルスさんだ。
凄い勢いで彼の食器から中身が消えていく。清々しくも綺麗な食べっぷりだ。
「ごちそうさまでした」
「おかわり」
わたしが食事を終えても尚、ゼルスさんの勢いは減速する気配がない。
「アンタ。まだ食べるの?」
ぴくぴくと、リオさんの表情にまた暗雲が立ち込める。
スープの鍋は底が見えていて、焼いたお肉だってもう残っていない。
「あの…わたし、追加で何かご用意しましょうか?」
「甘やかすんじゃないわよ、フィナ」
「でも、ひもじいのは可哀想ですよ」
「あんだけ食べておいて!? 有り得ないでしょ!」
ご尤もだった。
けど、
きゅ~~~~。
その腹の音は、誰であろうゼルスさんの元から響いた。
今度こそリオさんは絶句する。
肝心のゼルスさんは恥ずかしがるでもなく「ほら、これが証拠だ」と内心で思っていそうな堂々たる態度で、こちらを見ていた。
「草食動物の成りをしておいて、食欲に関しては肉食を超えたモンスター級ってか…」
はい。ドラゴンなので、その通りかと…。
「どこかで一度、宿場とかで食料を調達しないと…」と、放心したリオさんがブツブツ呟く。
リオさんからの許しも出たので、わたしは代わって調理に取りかかる。
野菜炒め。
バゲットに燻製チーズを添えて。
ソーセージとふかし芋の山盛り。
色々用意したけど、ゼルスさんは黙々と完食されていく。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末様です」
最終的に。
彼の胃袋が膨れたのは、備蓄の三分の二をたいらげた頃だった。
あの量がたった一日で消えたのは天晴と言う他ない。
ない、けど……当面のエンゲルス係数はすごいことになりそう…。
「美味しかったですか?」
「うん。また食べたいな」
「あはは。…分かりました。腕によりをかけます」
ゼルスさんにしては珍しい明朗な声で、真っ直ぐな返事をいただく。
とてもご満悦そう。
やっぱりゼルスさんは、とてもマイペースな方だ。