第1話 ガール・ミーツ・ドラゴン
誓って、こんな凶事に見舞われるような行いはしてきませんでした。
「火を放て! エルフ共は一匹も逃がすな!」
わたし達の家である森に大火がともる。
たくさんの武装した人間が押し入って、みんなを襲っている。
抵抗した大人は、斬られて物言わなくなってしまった。
泣いていた子供は、鞭を叩かれてどこかに連れ去られていった。
父さん! 母さん! みんな!
そう叫んで止めに入りたくても、震える体はちっとも言うことを聞かない。
山菜取りでたまたま出ていたわたしは、隠れて惨事を見ているしかなかった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう?
井戸で水を汲んで。朝食の支度をして。父さんを起こして。森に出かけて…。
今朝はいつも通りだったのに、なんで。
そう頭の中で反芻している内に、カチャカチャと鉄の音が遠ざかっていく。
…撤退していってる?
極度の緊張が和らいだ反動から、つられるように身を乗り出して──ぱき、と足元の枝が音を立てた。
「! 誰か居るぞ!」
「あそこだ! まだ逃げ隠れている奴が居たか…!」
「っ、わっ!?」
見つかってしまった恐怖から足がもつれた。
急いで体を起こすも、時は既に遅し。
すぐ前に立つ賊が二人。さぁっと体から血の気が引いていった。
「なんだ、まだまだ乳臭いガキじゃねえか」
「油断するなよ。子供の外見でも、エルフのほとんどは熟練の魔法使いだ。早く魔封じの首輪をつけちまおうぜ」
「それもそう、だな!」
「きゃあ!?」
げしげしと二人がかりで足蹴にされた。
腹部にえぐるような鉄の脛当が入って、ごほごほ咳きこむ。
「大人しくしていろよ。そうすりゃ今ここで死なずにすむぜ?」
「ま、それもあの女魔道士の手にかかるまでの話だろうがな」
…この人達は、何がそんなに楽しいのだろう?
人を傷つけながら、満面の笑みを浮かべて…わたしには、理解不能だった。
「なんだよ、その目は。生意気だな!」
「ぁ、ぐっ!」
「勢い余って殺すなよ。ガキの成りでも、貴重な女だ」
「分かってるよ」
大きな黒い首輪を手にして、青みを帯びた鉄鎧の男が馬乗りしてくる。
逃げられない。
──…ねえさん…。
一巻の終わり。
その間際に思い出したのは、大好きな人の後ろ姿だった。
「ぎゃあ!?」
「!? なんだがッ」
地面がひっくり返るのかってぐらいの振動があった。
反射的に閉じた眼を開けると、わたしに跨っていた二人の姿が失せている。
代わりに捉えたのは、巨木みたいな……足だった。
鋭い爪が生えた足指の間から、どくどくと血があふれている。
──瞬きの間のことに、言葉を失う。
地面に広がる赤から逃げるように天を仰いだ。
視界に入ったのは、大きくて立派な体。結晶のごとく端麗な銀青の鱗。ガラスのように透き通った羽…。
果たして、そこに居たのはドラゴンだった。
「きれい……」
…我ながら、場違いなことを口にしている。
それもこれも怒涛の出来事が続いたせいだろう。頭がふわふわして、地に足がついてない感じだった。
ドラゴンの玻璃みたいな瞳がわたしを見る。
そこでようやく、わたしの理性は戻ってきてくれた。
「助けて下さって…ありがとうございます…」
慌てて身だしなみを整えて、深々と頭を下げた。
「このご恩は一生忘れません。わたしに出来ることなら、なんでもさせてください」
「…なんでも?」
あ。喋った。
地をうなるような低音とかではない。
存外若そうな男性の声だ。
「じゃあ……なにか、食べるものをちょうだい」
◇◇◇◇◇◇◇◇
幸いにも、冬越えのための貯蓄は荒らされていなかった。
それも結局はドラゴンの胃の中へ消えていったので、大差ないのかもしれないけど…。
「ごちそうさま」
備蓄を平らげてすぐ。
のそのそと、もうここに用はないと謂わんばかりにドラゴンが移動し始めた。
どこに行くのだろう…?
わたしはその後についていく──が、
「君、なんでついてくるの」
ぎょろっと、ドラゴンがわたしのほうを振り向いた。
「…なんでもするって言ったので…」
「あぁ…別に、もういいよ。どこへでも好きなところに行くといい。じゃあね」
…好きなところ…。
放心するわたしを置いて、ドラゴンが森の奥に足を踏み入れていく。
どすどす
てくてく
どすどす
てくてく…
「だから!」
ドラゴンが大声を上げて、わたしを睨んだ。
「なんでついてくるんだよ、君! 邪魔をするなら、今すぐここで喰い殺してやろうか!?」
彼の叫びには、本気の色が滲んでいた。
どう見ても怒っておられたので、わたしは頭を下げる。
「不快にさせてしまい、ごめんなさい」
「謝るなら始めからするなよ!?」
「でも…行きたいところも、行ける場所もないんです。わたし」
だからつい、あなたについて来てしまいましたと正直に告白した。
しん、と予想外に場が静まり返る。
先の怒りが嘘みたいに、ドラゴンは口を閉ざしていた。
「…君、この森のことには詳しいの?」
「…? はい。それはバッチリです」
「じゃあ…安全に休める場所とかにつれてってよ」
わたしは目をしばたたかせた。
…解せないところはあるけど、こう頼まれたなら、返事は決まっているよね。
「わかりました」
道を先導すべく、ドラゴンの前に出る。
不機嫌そうな顔をしていたけど、何も言わず、彼はわたしの後に続いてくれた。