白銀
花咲く森。春の陽光が降り注ぎ、枝葉の隙間から、それは零れ落ちるように、庭を照らした。
幼いエルダは、師匠の背を追っていた。
師匠の名はアルケイン。この世界最高の魔導士にして『イーガンリース国の守り神』とさえ言われた人物である。だが、その名に相応しくない、物静かで笑顔を絶やさない、まるで植物学者のような風体の師匠を、エルダは気に入っていた。
「お師様。お師様。これは何をしておいでなのです?」
背中に体当たりされたアルケインは振り返って、笑いながらエルダを抱き上げた。先ほどから、アルケインは王家の庭に呪物を埋めていた。それは結界魔法と呼ばれるものだ。
「これはね、将来の君の為にしているのさ」
「私の為? 将来?」
「もちろん、未来は変わるから、必ず起こるとは言えないけどね」
師匠は、そう寂しそうに笑った。エルダは自分の師匠のその表情が、限りなく切なく感じてしまった。
「お師様には、また変な未来が見えてしまったのですか?」
エルダはからかい半分に尋ねた。アルケインは数少ない「予知」の才能を持つ、貴重な魔法使いの一人だ。だが、その予知の大半は起こっていない。何故なら、アルケインは、予知が現実になる前に、それを未然に防ぐからだ。世間はそのことを知らず、この高位魔導士の予言を「アルケイン様の心配性」と片付けてしまっていた。
「そうだよ。エルディオール。もうすぐ、この世界から、魔法使いは消し去られるんだ。そうなった後に、……残された君が困らないようにする為の仕掛けさ。もっとも、未来は変わるかもしれないがね」
「何故、魔法使いが消されてしまうのです? こんな便利な力を活用しないなんて、もったいのない。それに、もしも、本当にそんなことを予言しているのでしたら、師匠は、何故、その未来を変えてしまわないのです」
アルケインは笑いながら、ショベルで穴を掘っていた。いつの間にか、二人は河原にいた。
「そうだねぇ。僕は、その未来を、嫌いにはなれないからかな?」
「魔法使いのいない世界がですか?」
魔法使いがいない世界の何が嬉しいのか、エルダは理解できない。いや、理解したくなかった。
「とっても素敵な世界だと思うよ。魔法なんて、どれだけ学んでも、出来ない人にはできないのだから」
そういうと、アルケインは掘った穴に、呪物を埋めた。
「一部の才能が特権で支配する世界よりもずっといいさ」
師匠は立ち上がると、白衣になって、戦傷者の救護を行っていた。いつの間にか、野戦病院のテントの中にいた。
「ほら、突っ立ってないで! エルディオール! 彼の体を押さえて。痛みを消す魔法をかけるよ!」
エルダは、悟った。いや、随分前から分かっていた。
そうだアルケイン師匠はもう……。でも……。その続きが見たい。
エルダは、その兵士の体を押さえた。銃で撃たれた体を、麻痺で痛みを消し、その間に、食い込んだ弾丸を物質移動で引き抜く。麻痺の魔法が弱かったのか、兵士は叫び声をあげた。
「師匠!」
兵士と思ったその男は、いつの間にか師匠になっていた。瀕死の重傷を負っている。腕の筋肉はめくり上がり、同じように足の筋肉が破裂した。
「大丈夫。大丈夫だから。エルディオール。僕たち魔法使いがいなくなっても、この国はきっと大丈夫だから」
「アルケイン! いま、蘇生の魔法をかけるから!」
「ダメだよ。エルディール。これは、暗黒の魔法だ。蘇生をさせられたら……僕は……」
「でも……それでもっ!」
「大丈夫だから。君は大丈夫だから。だから、立ち上がって。振り向いてはいけない」
「そんなっ。アルケイン! 先生! 死なないで! 私は……私は……」
「ほら、警告音がさっきから鳴っているだろ? 夢に甘えてはいけないよ。あの時の選択肢を後悔する必要はない。選んだ道を良くすることしか出来ないんだから」
「ん……?」
「だーかーらっ! いつまで、甘えているんだい? 早く起きなさい」
そうだった。夢だ。
だって師匠はもう死んでいるのだから。
夢の中でアルケインは腕組みをして、その柔和な微笑みで、エルダを見つめている。
「はいはい。わかりましたよ。起きますよ」
先ほどから鳴っている耳障りな音は警告音だ。
仕掛けていた罠に、何かが掛かった報せだ。
まどろみの中、エルダは、キングサイズのベッドから体を起こし、しばらく不機嫌な顔をした後、床に落ちていた下着を拾った。薄明りからも分かるほど、天井は高く、豪奢な造りの部屋だった。そして、着替えながら、カーテンの隙間から外を覗くと、まだ明けきらぬ鮮やかな紫色の空が見えた。
朝の5時。いや、4時過ぎくらいか?
エルダは視線を下に向けた。窓から見える街並みはイーガンリース首都の居住区。元は王家の庭だった場所だ。今は、国民に下賜解放され、『ガーデン地区』と呼ばれている。ほんの数年で、その姿には、最早庭の面影は少なく、まるで最初からそうだったかのように、住宅地や店が並んでいた。
意識を集中させ、仕掛けていた罠の情報を集めた。脳内に映像となって送られる情報を確かめると、警告音はようやく止まった。その光景に思わず舌打ちをした。映し出された男の顔に見覚えがあった。ふと、エルダの口元に笑いが起きた。男があまりにも慌てていたからだ。
確か……検死官の男だな。遠目に見たことがある。そりゃ、慌てもするだろう。昨日まであったはずの霊安室にあった死体が消えたのだから。死体泥棒に入られたと知れば、慌てふためくのも道理だ。なんと言っても警官としての責任を問われる。そう思うと、勝手にしたとはいえ、多少、罪悪感も芽生えた。
椅子にかけた服を着ていると、ベッドの中から、寝ぼけた声が聞こえた。
「えー……、もう朝なの?」
エルダはその声を無視して、着替えを済ませ、ハンガーにかけたコートを羽織った。
「んぇ? ……今、何時?」
「まだ寝てていいぞ」
目を擦りながら起きようとする相手をエルダは止めた。
「何? え、制服? 事件?」
「事件というか、事故というか。まあ、悪い話じゃないがな」
「何があったの?」
「警察の情報を簡単には教えるわけにはいかない」
「って、また、どうせ、俺、忘れちゃうんだから、聞かせてよ?」
エルダは苦笑した。
そう。この部屋には「解除の呪い」がかけられている。豪奢な部屋は、元は王家の迎賓館。今は、民生のホテルとして使われる最上階の一室。王家が外交中に万一のことがあれば、ここで呪いを解除できるように、ありとあらゆる呪術を解除する仕掛けを施した部屋だ。アルケインが死んでもなお、その結界は作動し続けている。だが、この部屋を出ると、その呪いは、再び発動する。なので、この部屋で呪いの解除を施す必要がある。生前のアルケインが解ける呪いなら、この部屋での解除が可能だ。
だから、エルダは自分にかけられた呪いは、簡単ではないことが分かる。相当の高度な呪いが掛かっている。かれこれ二十年ほどになるが、解除に成功していない。
一方の男にかけられた呪いは『忘却』だった。この部屋で起きたことを思い出せない。それどころか、彼は、別の呪いによって、この部屋を出れば、自分が誰なのかさえ、思い出せず、別の人格が発動する。複合した魔法をかけてある。
「連続殺人事件の一環だ。私の仕掛けた『動く死体』が、見つかった」
「は?」
「しかも同業者に発見された」
「へ? 言ってる意味が……」
エルダは、白いガウンを羽織ると、その髪をガウンの外に出し、姿見を見つめた。背中まで伸びる真っ直ぐなその髪は、我ながら自慢の白銀だ。生まれつきの自分の証。恥ずかしい通り名、『白銀のエルダ』の象徴ともいえる髪だ。赤い髪留めでそれを結ぶ。
「安心しろ。どうせ、忘れる。ホテルは承知済なので、支払いもいらない。安心して戻れ」
エルダは扉を開けた。
「そうかい。なんかよくわからんが、もう少し寝てから出るよ。気を付けてな。姫」
姫という言葉に思わず振り返ってしまった。しばらくすると、ベッドの中でいびきを掻き始める男の背中に、エルダは声をかけた。
「じゃあ、行ってくるよ。王子」
(テスト投稿)
すみません。まだここの書式に慣れていません;
読みやすいかどうかのテストを兼ねています。
感想等々、お聞かせください。