表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/264

第三十二話 月は雪に溶けて【前】

 愛を込めた音色によって、激情の炎が鎮まる。

 ハヤメの胸で泣きはらし、月白(げっぱく)の耳としっぽをしゅんと垂れた憂炎(ユーエン)は、叱られた子犬のよう。


「ごめん、なさい……」

「怒ってはいないさ。それより、具合はどう? からだにおかしいところはない?」


 憂炎は、内なるエネルギーを爆発的に増幅させる『千年翠玉(せんねんすいぎょく)』を口にしたのだ。

 これは耐性のない者にとって劇薬。内功(ないこう)が未熟なこどもならば、なおさら。


「耳としっぽが、でてきちゃう……」

「それだけじゃないだろう。ほかには?」

「それだけだよ。あとはへいき」


 だからこそ、憂炎の返答はハヤメに衝撃をもたらすものだった。


(本当になんともないのか? 私でさえ、増幅した内功の制御に苦戦したのに)


 にわかには信じがたいけれども、当の憂炎が大きな三角の獣耳を両手でおさえ、引っ込めようと奮闘している。

 そんなことより、こちらのほうが一大事だと言わんばかりに。


(そうだ、憂炎はこの物語の黒幕となりうる存在……武功ぶこうの素質があるのは、当然のことなんだ)


 それはおそらく、梅雪(メイシェ)よりも。

 もしかすれば、紫月(ズーユェ)よりも。


「どうしたの? (メイ)おねえ……姐姐(おねえちゃん)!」

「女子供の分際で、なめた真似をしてくれたな!」


 迫り来る気配。ハヤメはたしかな殺気を察知する。

 とっさに反撃を試みようとするハヤメだが。


(間に合わない……!)


 瞬時に悟ったハヤメは、抱きよせた憂炎を胸にかばう。

 戦場であることを、一瞬でも失念していた。

 たったそれだけで、生死など簡単に決まってしまう。

 この物語は、そういう世界なのに。

 いまさら後悔したところで、手遅れ。


 重たい衝撃にみまわれ、ずぷりと、なにかが刺し貫かれる音。

 憂炎へおおいかぶさったハヤメの頭上に、生温かい雨が降りそそぐ。


 覚悟した痛みは、なかった。

 痛覚が麻痺したわけではない。

 そろそろと空をあおぎ、ハヤメは思考停止する。

 ハヤメの視界をふさいだ明林(ミンリン)が、その胸に、鋭利な鋼を生やしていたがため。


「くそ、この女、余計なことを!」


 忌々しく吐き捨てた黒装束の男が、乱雑に剣を引き抜く。

 どっと背中を蹴りとばされた小柄なからだが、ハヤメのもとへくずれ落ちた。


「……お嬢、さま……」

「明林……まさか、私を、かばって」


 (くさび)をうしなった明林の胸からとめどなくあふれたものが、もたれた肩口をたちまちに紅へ染め上げる。


「わたし……こわかったんです……夫を、殺され、脅され、て……こわくて、こわくて……あなたを、売るような、真似を……」

「しゃべるな明林ッ!」


 ハヤメの制止は、もはや悲鳴だった。

 けれども、明林の独白はやまない。


「梅雪、お嬢さま……あいして、いまし、た……ほんとうの、むすめ、みたいに……だいすき、だったくせに……」

「もういいから、もうっ……!」

「だれも、すくえないの……おくびょうで、やくたたずの、わたし、なんかじゃ……」


 こぽりと、吐き出される鮮血。

 血に溺れる明林が助からないことは、火を見るよりあきらかだった。


「なにもかも、うしなって……だいじなひとを、きずつけ、て……なんて、みじめ、なのかしら……」


 どろりとした紅に、まじるものがある。

 ぼろぼろと明林のほほをつたう、涙だ。


「おじょう、さま……ごめん、なさい……」


 ひときわ大粒の雫が、すべり落ち。

 糸を断たれた人形のように、明林は事切れた。


 ──ありがとう。わたしの翠薫肉桂(お茶)を、飲んでくれて。


 最期に、そう言い遺して。


 沈黙する明林の亡骸を、ハヤメはそっと横たえる。

 その濡れた虚ろな瞳へ手を伸ばし、明林の涙を拭うように、まぶたをおろした。

 うなだれたハヤメにできるのは、無力感に唇を噛みしめることだけ。


「おとなしく『千年翠玉』をよこしていれば、すこしは長生きできたものを!」


 静寂を引き裂いたのは、紫月と斬り結ぶ主犯格の男だ。


「やはり狙いはそれか。おまえらは内功を高める『千年翠玉』を手に入れて、武林(ぶりん)の頂点に立とうとしていたわけだ。──わらわせる」


 紫月の唇から、氷点下の声音が放たれる。

 打ち込まれた刃をとめた白銀の双手剣が、相手の剣身をすべり、跳ね上げる。

 鋼の塊がはじき飛ばされ、ひゅんひゅんと放物線を描いて地面へ突き刺さった。


 ひと回りも体格が違う。力の差はあっただろうが、それを歯牙(しが)にもかけない技術が紫月にはあった。


「ちょっとでも脳みそが詰まってると信じて、おまえらにひとつ助言をやろう」


 ちらとよこされた藍玉(らんぎょく)の視線から紫月の意を汲み取った憂炎が、両手をひろげてハヤメの前へ飛び出る。

 そうして爛爛と光を放つ柘榴色の瞳で、憂炎はそびえ立つ男のひとりをにらみつけた。


「五人は俺に瞬殺され、小僧に丸焦げにされた十人も死んでこそいないにしろ、虫の息だ。師弟(おとうと)がだいじなら、利口になれるよなぁ?」

「くっ……!」


 紫月の畳みかけに、後ずさる男たち。

 明らかにうろたえた主犯格の男が、何事かをつむごうとした、そのとき。


「──愚かな戯言(ざれごと)よ」


 張りつめた夜の空気が、ゆれた。

 声がひびいた。低い男の声だ。

 紫月と対峙した男のものではない。

 残る四人のものとも違う。


 ハヤメははじかれたように首をめぐらせて、絶句した。


 いつだ、一体いつからいた。

 背後の木陰にたたずんだ、()()()()()()()は。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ