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第十七話 白雪小哥妹【後】

「ふぇっ……えっ?」


 目前に(ふじ)色の何かがひろがり、はたとハヤメの思考が止まった。


(あれ……この衣、どこかで……)


 いや、それよりぶつかってしまった非礼を詫びるべきだ。

 ハヤメは重い首を持ち上げ、そして、こちらを見下ろす藍玉(らんぎょく)の瞳に驚愕した。


 にわかには信じられないことだが、先ほど食堂で琵琶を奏でていた人物が、そこにたたずんでいた。


 しまった、と思い見渡すも、ハヤメたちのいる部屋はととのえられ、荷物が置かれた様子もない。

 幸いにも、すでに客のある部屋に邪魔をしてしまったわけではないようだ。


「まぁ、ごめんなさい! お泊まりの方ですか? ごゆっくり~」


 ほかの客室を見て回る、特殊な趣味の宿泊客だと解釈されてはかなわない。


(ここは使用人のふりをしよう。私は仕事をしていただけ、私は仕事をしていただけ)


 ハヤメはそんな自己暗示をかけつつ、笑みを貼りつけてそそくさと入り口へ向かう。


「俺の演奏を、聴いていただろう」


 そうはさせぬと頭上から降り注いだ声音は、男のものだった。

 ハヤメはまたも驚愕した。中性的な顔立ちではあったが、男性だったとは。


「私のような素人目にもわかる、すばらしい琵琶でございました」


 ハヤメはつとめて平静を保ち、当たり障りのない世辞を述べたつもりだった、が。


(……笑った?)


 感情の読み取りづらい無表情の青年が、ふっ……と、口もとを歪めたのだ。

 人形のごとく、美しい笑みだ。


「あの場には二十六の聴衆がいたが、そのうち二十五は極楽にでもまねかれたような顔をしていたよ。ただひとり、奈落の底でも目の当たりにしたようなやつを除いてな」

「さぁ、私にはなんのことだか」

「とぼけるな。おまえ、耳がいいだろう」


 それは単に聴覚がすぐれている、という意味合いではない。


「俺の演奏していた曲名を知っているな。当ててみろ」


 青年はともすれば女人のように端麗な容姿をしておいて、なんとも不遜な物言いだ。


「わかりません、と申し上げましたら?」

「永遠にこの部屋から出られんな」


 それは困る。戻るのが遅くなれば、書の稽古をしている憂炎を心配させてしまう。

 腕組みをして入り口にもたれ、無駄に長い足で通せんぼうをするきれいなお顔の暴君に、ハヤメは危うく一発おみまいしそうになるのをこらえ。


「『白雪小哥妹(はくせつしょうかまい)』──雪山に住んでいた幼い兄妹の別離を描く、悲曲です」


 お望みどおり、正解をくれてやった。

 ハヤメ自身は、この曲を聴いたことすらなかった。

 だが知っていた、いや、おぼえていたのだ。

 このからだが。梅雪(メイシェ)が。


「っくく……はは、あはははははっ!」


 とたん、青年が壊れたように笑い出す。


「六年だ、ここへ来るまでに六年もついやしたぞ!」


 なにを言っているのだ、この男は。

 とにもかくにも、正気の沙汰ではない。

 じり……とハヤメが一歩あとずされば、それより大きな一歩を踏み込まれる。


「俺はこの日を待ちわびていたぞ、梅雪」

「なっ……いッ!」


 あれほど繊細に琵琶を奏でていた指が、ハヤメの細い左手首をぞんざいにつかんでいる。


(まだ後宮入りしていない……悪女の梅雪に恨みをいだく人物は、いないはず、なのにっ!)


 だれだ。この男は、だれなんだ。


()()()がだれなのか、それはあんたがよく知ってるでしょう、梅梅(メイメイ)?」


 次に聞こえた声は、女のものだ。

 その口調で話す『彼女』を、ハヤメは知っている。


「……紫霞(ズーシャ)、どの?」


 うわごとのごとく語尾を震わせたハヤメに、青年の藍玉の瞳がすっと細まった。


「よくおぼえていたな。えらいぞ、梅雪」


 そして聞こえ来る声は、やはり男のものだ。

 ハヤメは唐突に理解した。

『彼女』は、『彼』だったのだと。


 うっそりと妖艶な笑みを浮かべた男が、硬直したハヤメの頭にふれ、翡翠(ひすい)の髪に指を通す。


「だが、『紫霞(それ)』は俺の名ではない。こそこそと薄暗い路地裏で生きるために使う、かりそめの名だ。なぁ、おまえは知っているだろう? 俺の名をおぼえているのは、この世にもうおまえしかいないんだ、梅雪」


 男の言葉は脈絡もなく意味不明なはずなのに、理解できてしまう。

 そうだ、彼の言うとおりだ。

 だからこそ、彼の演奏していたあの曲を耳にして、えも言われぬ感情に心がかき乱されたのだ。


「言ってみろ、梅雪」


 おそろしいほどに美しい男が、ハヤメのこわばったほほを指先でなぞる。

 選択肢など、ハヤメには残されてはいなかった。


「……紫月(ズーユェ)、兄、さま」


 ハヤメのか細いつぶやきに、かたちのいい薄い唇が三日月を描く。


「そうだ、俺は紫月。おまえが見捨てた、兄だよ。あぁ梅雪、昨日おまえがたずねてきたときの俺の心情を、おまえは知らないんだろう」


 するりとハヤメのほほをなで上げた男が、右の耳朶に唇を寄せてささやく。


「残念だったなぁ……唯一(のこ)った肉親が、俺で」


 後宮に入らなければ、命を危険にさらすことはない──


 そんなことを、どの減らず口が言ったのか。

 梅雪の人となりをよく知りもせず、どうしてのんきなことが言えたのか。


「『白雪小哥妹』は、愛する妹に裏切られた兄が、哀しみにむせびながら自決する曲だ。だが俺は、そんな犬死にをするつもりはない」


 ならば、だとするなら、彼が望んでいることは。


「梅雪──俺の妹。愛するおまえを、俺が殺してやるよ」

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