第百二十六話 猫の思惑【前】
六夜と五音が手早く汗をながして庭へもどると、ほんの十数分のうちに、おどろくほど様変わりをしていた。
「どうしたの?」
「どこかいたいの?」
まず六夜たちの目についたのは、おろおろと歩き回っている息子たち、八藍と九詩だった。
何事かと思えば、先ほどまで遊び相手になってくれていた早梅が、小花の咲いた草むらにうずくまっている。
その丸まった背を、面影のよく似た男性が両腕いっぱいに抱きしめ、肩をふるわせていて。
「えっと、えっと……」
「ふぇぇ……おとうさぁん」
おさない八藍と九詩は、そんな光景を目前にしてどうしたらいいのかがわからなかった。
抱き合うふたりの頭を代わる代わる『よしよし』していたが、一向に泣きやむ様子がない。
結果、じぶんたちも泣きそうになりながら、父へ助けを求めたのだ。
「泣くな、八藍」
「九詩も。こっちにおいで」
六夜、次いで五音が息子を呼ぶ。
すこしためらっている八藍と九詩だったが、じぶんたちではどうにもできないと思ったのか、パタパタと父のもとへ駆け寄った。
そこへ歩み寄ってきたのは、一心である。
「八藍、九詩。梅雪さんたちは、嫌なことがあったから、泣いてるんじゃないよ」
「そうなの?」
「一心さま、ほんとう?」
「うん。大丈夫だから、そっとしておいてあげようね」
やさしくほほ笑んだ一心になでられ、八藍も九詩も、ようやく落ち着いたらしい。
こくりとうなずいて、父の手をぎゅっとにぎったのだった。
* * *
猫族が拠点としている屋敷にて、思いがけない再会を果たした早梅。
涙を流す桃英など、梅雪の記憶にはなかった。
けれどたしかに、力強い抱擁を交わした彼は、父にちがいなかった。
「私についてきてほしい」
早梅は言われるがまま、桃英に手を引かれて屋敷の奥、北向きに面した離れの室へやってきた。
静まり返った室内では、翡翠色の髪の女性が、寝台に横たわっている。
「……お母さま」
桃英の妹であり梅雪の母、桜雨だ。
「こりゃたまげたなぁ……むかしの静燕そっくりじゃねぇか」
舌を巻いたのは晴風。黒皇は黄金の隻眼をゆらめかせながらも、無言でなりゆきを見守っている。
そっと寝台のそばへ近寄る早梅だけれども、まぶたをおろした桜雨が反応することはない。胸が上下しているから、呼吸はしている。
「ずっと眠ったままだ。なにが原因なのか、私にはわからない……すまない」
「謝らないでください。お父さまも、お母さまも、ご無事でいらした。それ以上に尊いことなどありません」
喪ったと思い込んでいたいのちが、目の前に在る。愛する家族が、ここにいる。
また出会えた。それでいいじゃないか。
「……強くなったな、梅雪」
早梅の言葉に、思い詰めた桃英のこわばりがほどける。
すこし思案するような沈黙をへて、桃英は重い口をひらいた。
「私たちはあの男──羅飛龍と対峙し、百杜の地で散った」
桃英が話しているのは、早一族が襲撃され、逃げのびた梅雪に早梅が憑依した、二年前のことだ。
「心臓をつぶされた感触は、いまでもおぼえている。たしかに、死んだはずなんだ。だが私も桜雨も、ここにいる。傷痕のひとつすらない」
──それはまるで、死の淵から蘇ったかのように。
あり得ない。この場にいるだれもが、同様に感じていることだろう。
「羅飛龍がやってくる前に、早家で保管していた『千年翠玉』はすべて破棄した。そもそも、あれは内功を極限まで高めるのみで、死者を蘇らせる力などない」
つまり桃英たちもまったく予期せぬ、外部の何者かによって、彼らは救われたということになる。




