第百十話 七彩に舞う【中】
早梅は裾をひるがえし、黒慧の後を追う。淡色の景色のなかで、墨を落としたような黒髪の少年のすがたを、すぐに見つけることができた。
「黒慧!」
「……梅雪さま」
振り向いた黒慧の表情は、先ほどとは打って変わって暗い影をおびている。黒慧に追いついた早梅は、すかさず手首をつかんだ。
「黒慧、あのね」
「わかってるんです。僕のわがままだって。でも……でもっ」
早梅の言葉をさえぎった声は震えており、太陽の笑みを咲かせていた黒慧は、いまや悲痛に顔をゆがめていた。
「血のにおいが……するんです」
黒慧がなにを思い、なににさいなまれているのか。
早梅は無遠慮に踏み込むことはせず、無言で耳をかたむける。
「下界では、ひとびとが争っています……この数百年のあいだに見たことがないほど、江湖が乱れている……」
唯一の太陽として央原を照らす黒慧は、大地に恵みを与えるだけでなく、ひとびとの暮らしを見守る役目をも担っている。
感受性の強い子だ。気丈にふるまっていた黒慧だが、地上の惨状は、早梅の想像を絶するものなのだろう。
「だけど僕には、見守ることしかできないんです……」
「黒慧」
「苦しんでいるひとのために剣をふるうことも、涙をぬぐってあげることもできない……っ」
「もういいよ。黒慧、おいで」
「梅雪さまぁっ……!」
黒慧はずっとひとりで心を痛め、溜め込んできたのだ。それでも勇気を出して話してくれた。
腕をひろげ、抱きしめてあげるくらい、なんてことはないだろう。
「危険なところに、行かせたくない……いかないで、梅雪さま……」
「黒慧……」
「嫌なことから目をそむけて、しあわせになろうだなんて……僕はどうしようもなく自分勝手で、わがままなやつです……」
黄金の瞳に涙を溜め込み、けれど黒慧は歯を食いしばって耐えている。
「こんなに苦しくて、胸が張り裂けそうなのに……梅雪さまがえらぶ道なら、応援しようって思う僕も、いるんです」
いまにも泣き出しそうになりながら、黒慧はほほをゆるめる。
「だって、好きだから」
陽だまりような、あどけない笑顔だった。
「苦しくて、かなしいこともあるけど、それ以上に胸がきゅっとなって、熱くなって、あなたのためならがんばれるって、気持ちが燃え上がる。これが、恋なんですね」
『責任』とか、『気のせい』とか。
そんなことは、もう口が裂けても言えない。
「梅雪さま、好きです。愛してます」
蕩けた熱視線で早梅を射止めた黒慧は、つかまれた手首をはずし、代わりに指と指をからめる。
早梅よりも手のひらは大きく、骨ばった指で。
黄金の瞳も、早梅が見上げないといけない場所にあって。
(男の子なんだなぁ)
そんな当たり前のことにいまさら気づいて、早梅も笑ってしまう。
「梅雪さまのゆかれる道を、黒慧は祝福いたします」
言葉をかけずとも、黒慧は顔を上げ、前を見据えた。
そして早梅の手をとり、そっと口づけを落とすのだ。
励まそうだなんて、おこがましかった。
「すごく男前だよ、黒慧」
「ふぇぇ、不意討ちですぅ……急にほめないでくださいぃ……」
「あら、今度はかわいい」
「かわいらしいのは梅雪さまのほうですよっ! もうぎゅってしたい、ぎゅーって!」
「してる、もうしてるよ、黒慧くん」
「いい香りがします、やわらかぁい……」
ぎゅうう、とめいっぱい抱きしめられながら、黒慧らしいなぁとまた笑う。
(私も、腹を決めるときがきたか)
いつかは、と思っていた。
いまが、そのときだ。




