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 夜。

 バルコニーで波の音に耳を傾けながら、ルーカス様はしみじみとつぶやきました。


「あんたの両親は、とんでもねぇ娘を元平民に嫁に出したもんだな」

「『とんでもねぇ娘』……とは?」

「イリスを慕う貴族はソラリティカに来てくれるようになったし、商会も屋敷もマナー研修が行き届いて評判が良くなった。それに俺の仕事にも役立つ情報をくれるもんだから、この調子なら数年もすれば、カレリア家に渡した金の全額くらいは十分に取り戻せそうだ」

「それならば安心です」


 どんなに仕事が忙しくても必ず夜には屋敷に帰り、私との時間を設けてくださるルーカス様。

 商会で忙しそうに肩で港風を切って歩く彼の背中も、こうして夜二人っきりで語るときの彼の横顔も、とても素敵だと思います。


「……いつも、出過ぎた真似ばかりを、申し訳ありません」

「出過ぎてねえよ。あんたの気遣いはまるで『空気』だ。自然で、よく気が回って助かっている」


 まっすぐ見つめられて誉められると、耳が熱くなってきます。


「当たり前のように寄り添ってくれて、当たり前のように新しい風を運んでくれて。お前がいなくては生きていけない。空気でもなんでもいいさ。俺はあんたが好きだ」

「ルーカス様……」

「いい加減「様」はやめてくれ。あんた――いや、イリスにとって、俺は唯一無二の特別な男でありたい。他人行儀の関係を求めたのは俺のほうだったのに、勝手なわがままだな」


 ルーカス様は表には出しませんが、とても苦労を重ねてきた方です。

 両親を失い、貴族の下男として拾われ、そこから必死に学び、這い上がり、身を立て――自分のような苦労をしている人たちに手を差し伸べて商会を立ち上げて成り上がった方。

 粗野な態度とぎらぎらとした眼差しは生き抜いて、仲間を守ってきた証。

 そしてそんな自分を更に強くしていくため、私というマナーブックを購入なさったのです。

 いいえ。

 彼は……。

 従業員たちを拾って価値を見つけて磨き上げてきたように、私という没落令嬢を拾って、価値を認めてここまで幸せにしてくれたのです。


「ルーカス」

「ん?」


 優しいまなざしで見つめられると、嬉しさと恥ずかしさと、愛おしさでいっぱいになります。

 湧き上がる思いのまま、私は彼に思い切って訊ねました。


「私は……地味で空気な私でも、貴方の傍にいてよろしいのでしょうか?」

「前から思っていたけどな、何が地味で空気だ。夜空より黒いなめらかな髪に透き通ったオニキスの瞳に白い肌。明らかに、あんたが目立つからこそ――周りが牽制していたんじゃねえか」

「そんな……ルーカスは誉め過ぎです」

「ばぁか。俺の言葉信じられねえってか」


 こつんと額を寄せて、彼は私の泣き黒子を指でなぞります。


「遥か海の向こうの島国では、船乗りは泣き黒子を持つ伴侶を得ると幸せになるというんだ。夜空に輝く一番星を自分のものにしてりゃあ、どんな航海でも迷うことはないってな」


 ずっとはしたないと言われてきたこの泣き黒子を、そんな風に誉めてくれる人と出会えるなんて思いませんでした。彼の琥珀色の瞳が、満月より美しい宝石のように見えます。


「それにな」


 ルーカスは私の髪を撫でて、少し自嘲気味に笑います。


「俺だっていつ没落するか分からねえ、ちっぽけな男だ。それでも構わないか?」


 彼の真面目な眼差しには、目を見開く私が映っています。

 自然と、笑顔が溢れました。


「一代で身を立て財を築き、努力を惜しまない貴方を私は尊敬し、愛しています。……ルーカス様はたとえ地に膝を突いても、困難に倒れても、必ず立ち上がれる方だと信じています。お傍に置いて下さい」





 ――私が幸せを享受していたある日。

 突然妹からの便りが届きました。


数ある小説の中からこの小説をお読み頂き誠にありがとうございます。

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