第五十五話 中学生編『早口言葉』
第七話以降、第八話までの間のカットした話です。
俺が女子中学生となって一ヶ月と少しが経った頃、校内は辛気臭い雰囲気となっていた。
その理由だが、大体の人が嫌いなアレである。
そう、中間テストだ。
「うぅ~…数学って苦手~…方程式って一体なんなのよ~」
テスト期間に入った時に授業の進捗具合によっては発生する自習の時間。その自習時間中に俺の前の席に座るヒナが頭を抱えて唸っていた。
流石に一度、中学生どころか高校生を経験している俺からすれば、中一レベルの問題はほとんどが簡単なもので、ヒナが頭を悩ませている方程式なんかは鼻歌混じりに解く事なんて余裕だ。
まあ、実際に鼻歌歌うと皆が手で耳を塞いで青い顔をしながら睨んでくるから歌わないけど。
それでも、慢心して全く勉強せずにいると意外な落とし穴にハマる可能性もあるから、しっかりと予習復習はしている。
そのおかげか、一度理解はしていたけど忘れていた事であったり、男の時の中学生時代に微妙に理解できていなかった事に関してはすっかりと理解する事ができた。
更に、男の時には自分が理解できればそれで良いと、結構適当にノートを取っていたのだが、一応は女の子らしくしようと工夫をした結果、かなりわかりやすく綺麗にノートを纏める事ができた。
俺のノートを見た友達なんかが、そのノートの取り方を真似するくらいには要領の良い取り方である。
「ヒナ、どうしても自分の頭で考えてもわからなかったらわたしが教えるから、その時は遠慮なく聞いてきて良いからね」
「うん…その時はよろしく」
最初から人頼みにならないように、しっかりと自分の頭で考える力は付けさせないとね。
しかし、方程式って数字が変わってもすぐにわかると思うんだけどなぁ。
公式さえしっかりと覚えればあれほど楽勝な問題はないと思う。
まあ、ヒナはどうにも文系っぽいし理数系は苦手なのかな?
ちなみに俺は理数系に強い。元々の男の時にも数学と理科は高得点だったくらいだ。
…代わりに文系は平均点ギリギリばっかりだったけどね。
数学で唯一苦手なのは、中学二年で習う証明だったな。
でも、それは過去形で、今は予め婆ちゃんに教えてもらって完璧にできるようになっている。
これで来年の数学で証明を習い始めても問題ない。
婆ちゃんの教え方ってすごくわかりやすい。こっちが一体何がわからないのかを理解していて、きちんと解けるように誘導してくれるやり方なんだ。
囲碁で言うところの指導碁みたいな感じだな。
言葉にしなくても意識を自然と向けさせてくれて、自力で解けるようにしてくれるし、それでもわからなかった時には本当に理解しやすい丁寧な説明をしてくれるんだ。
流石、婆ちゃんは天才って自称するだけはあるぜ。
だから、俺も婆ちゃんを見習って、わからない人に対しては自力でできる力を与え、自分が教える立場の時には丁寧でわかりやすい力を付けたいって思って真似してるんだ。
そうこうしてる内に、ギブアップをしたヒナが俺に解き方を質問してきて、俺は優しく丁寧に教える。
人に物を教えるには、三倍は理解していないといけない。
実際には三倍の理解というよりも、三倍の労力が必要なんだけどね。
内容を理解しなければならないのはまず絶対条件であるが、他にはどう教えるかを最適化しなければならないし、そもそも相手がどれだけ理解しているのかの状況を把握しなければならない。
これが、人に物を教える際の三倍の理解・労力の法則というものである。
教える際に教え方が最適化できていなければ相手に伝わらない。
じゃんけんを知らない人にじゃんけんのルールを説明するのに、教える側が説明下手だと教えてもらう側もとてもじゃないが理解できないだろう。
説明自体は間違えではないのに、回りくどい説明だったりすると、聞き手側は理解できないのだ。
自分自身は当たり前のように知っているからこそ、何故か説明するのは難しいというやつである。
それ故に、最適化をしてわかりやすく教えなければならない。
漫画や小説も同じで、例えば小説を書く際にも、書いてる本人としては自分の頭の中で思い描いた光景を文章にしているだけだが、読み手としては「一体何がどうなって何故こうなった?」と思えてしまうシーンだって多いだろう。
俺自身も、漫画や小説を読んだあとにインターネットで感想を調べたりした際に、キャラクターの心理描写を理解した人が詳しく感想を書いてるのを読んで「あぁ!なるほど。こういう事だったのか!」と後から理解する事だって多々ある。
逆に、感想を書いてる人の文を読むまでは、作者が伝えたかった事が全く自分に伝わっていないという事がかなり多いということだ。
それは、作者のわかりやすく簡潔にされた最適化が不十分であったり、最適化されているが、読み手側である俺の理解のレベルが低かったりするという事だからだ。
勉強を教えるのもそれと同様に、まずは自分自身が正しく理解し、それを最適化したやり方で、相手が理解できるやり方かどうか、を把握しなければ教えるのは務まらないのだ。
まあ、実際にはこんなに難しく考えなくてもとりあえず答えを教えて、どうしてその解に至ったかを考えさせる方が良かったりもする事だってあるけどね。
あと、テスト直前とかに友達と問題の出しあいをする時に、自分が理解できていない問題を出した時ほど実は覚えられたりするよね。
問題を出して、相手が問題を解こうと躍起になってる間に、答えを見ながらどのようにしてその解に至ったかを余裕を持った状態で考えるから、逆に理解できちゃうんだろうね。
そして、相手が正解するよりも、間違えた時の方が更に答えに至るまでを説明するから更に理解が得られる。
勉強が苦手な人は、敢えて答えが載ってる問題集とかで友達に問題を出し続けた方が勉強になるかもしれない。
今度、ヒナにやらせてみようかな?相手は同じくらいの学力の友達に任せてみるのが良いだろう。
そうしてヒナに勉強を教えながら自習時間が過ぎていき、休み時間に入る。
「テストやだなぁ…」
「わかるぅ」
休み時間になってヒナと特に仲が良い薺がヒナのところに来て意気投合している。
「まあ、気持ちはわからなくはないけどね」
俺も転性前はあんまりテスト期間って好きじゃなかったし。
教室内を見渡すと、ほとんどの皆が勉強をしていた。
休み時間くらい休めば良いのにね。
もちろん俺は多少の余裕もあるし、頭も休めたいので勉強せずに休む事を優先する。
「リリーちゃんは余裕ありそうだね」
「ん~…まあ、そこそこね」
机に突っ伏してぐでーっとしている俺に薺から羨ましいといった声がかかる。
そこにヒナがさっきの自習時間の事を話し始めた。
「へぇ、リリーちゃん教えるの上手なんだ。わたしにも教えてよ」
「うん、いいよ。放課後、図書室にでも行こうか」
「わたしもわたしも!」
そんな感じで勉強をする約束を交わす。
「そういえば、リリーちゃん最近はあんまり噛まなくなったよね」
「ん?あ~…まあ、まだたまに噛んじゃうことあるけどね」
ほんの少し前まではかなり噛んでいたけど、ここ最近はあまり噛まなくなった。
おそらく、中学に入って皆と会話するようになった事によって、喉が鍛えられ、舌がまわるようになったのだろう。
今までは婆ちゃんくらいしか話し相手がいなかったし、その婆ちゃんも基本的には仕事をしているから、休憩中とか食事中、あとは休みの日くらいしか話せないし、婆ちゃんが一方的に喋る事が多いからそんなに会話の練習はできていなかったな。
それでも、やっぱりまだまだ苦手な言葉はあって噛んでしまう事だってある。
それに…。
「噛まなくはなったけど、リリーちゃんって少し喋るのゆっくりだよね」
丁度自分でも思おうとしていた事をヒナが口にする。
そう、俺は少しゆったりとした喋り方なのだ。
あまり早く喋りすぎると噛んでしまうから、自然と噛まない程度のスピードに抑えられるようになってしまった。
名前を呼ばれたりした時に、間延びして「なぁに?」って返答をする事が多いんだけど、「なに?」ってそのままのスピードで答えようとすると、「にゃに?」になってしまうんだよなぁ。
ちなみに、この「なぁに?」と返事を返すのは俺の口癖になってしまい、滅多に噛まなくなってからもずっとこの返事の返し方になってしまった。
「まあ、ゆっくりの方が聞き取れるでしょ?わたしも噛まなくなるし、相手も聞き取りやすいしで良い事尽くしだよ」
「早口言葉とかどれくらい言えるのかな?」
むぅ、早口言葉か…多分、無理だろうな。
「生麦生米生卵!」
薺がハキハキとした口調でオーソドックスな早口言葉を言う。
そのスピードはそこそこ早く、全く噛まずにこれを言えるのは素直に感心する。
「生麦なまごめ生卵!」
ヒナも負けじと早口言葉を言う。
ほんの少しだけ、なまごめが薺よりもゆっくり気味だったけど、噛む事なくしっかりと言えていた。
「「はい、次はリリーちゃんの番だよ」」
「俺も!?」
二人が同じ台詞でハモって来てちょっとだけ驚いた。
その驚きからついつい俺って言っちゃったけど、香織はどうやらきょーちゃんとトイレに行っているようで、誰からも指摘はされなかった。
俺はスーッと息を吸い込んで気持ちを整える。そして…。
「にゃみゃみゅぎなみゃごみぇにゃにゃみゃみゃご!!」
言い終わった瞬間に俺は顔を真っ赤にして机に突っ伏す。
勉強をしていて静かだったクラスメイトが何事かと一斉にこっちを見てきたのも原因の一つだ。
噛み過ぎて恥ずかしい。
まさか全く言えないとは思わなかったぞ。
「リリーちゃん…わんもあぷりーず」
「お断りだ!!」
ヒナがもう一度早口言葉を要求してきたが、すぐに拒否をする。
何が恥ずかしくてあんな醜態を晒さねばならぬのだ!
「うん?どうしたの?」
そこへ、トイレから帰ってきた香織ときょーちゃんが、その教室内の様子に首を傾げる。
すぐにクラスメイトが状況を説明する。…なんて羞恥プレイだ。
「へぇ、早口言葉ね。確かに最近リリーちゃん噛まなくなってきたよね」
「舌足らずなのも可愛いって思ってたんだけどなぁ」
しかし、それはあくまでも日常会話での事であって、早口言葉をすると超絶噛みまくりである。
「練習するのは良い事よね。口調もそうだけど」
「でも、リリーちゃんの男口調ってなんだか癖になるんだよねぇ」
何かさっきから香織ときょーちゃんの意見がてんでバラバラだぞ。
「噛むのは恥ずかしいでしょうけど、これも練習よ。試しに…隣の客はよくきゃき食う客だ、って言ってみて」
「香織…今噛んだよね?」
無言でチョップされた。しかし香織の耳はほんのり赤く染まっている。
…しょうがない。噛む恥ずかしさを一緒に体験してくれた香織の顔に免じて、もう一度だけ挑戦してやるか…。
俺は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す深呼吸をする。
気持ちを落ち着かせ、心の中で何度もお題の早口言葉を反芻する。そして…。
「とにゃりのきゃ、きゅは、よくきゃききゅーきゃっくだ!」
ほんの一瞬止まったりした場面もあったのに、結局盛大に噛んだまま終わってしまった。
俺は顔も耳も真っ赤にしてしゃがみ込む。
しかし、そんな俺の姿を見て、その噛みまくりの早口言葉を聞いたクラスメイト達のテンションは逆に最高潮になっていた。
大体皆「カワイイ!!」とか「癒される~」とか「耳が幸せ」とかそんなことを言っていた。
そして、それから中間テストが終わるまでの間の休み時間になると、皆が癒しを求めて俺に早口言葉を言わせるようになった。
これってある種のいじめじゃないか?
でも、俺一人がそうやって犠牲になって、皆の癒しになり辛気臭い雰囲気から脱却できるのならば…安いもんさ…ははは。
ちなみにその中間テストの結果だが、俺が全教科満点を叩きだすという偉業を成し遂げてしまい、学校中の注目を更に浴びる結果になってしまうのであった。
新年明けましておめでとうございます^^
今年も天使のリリーちゃんをよろしくお願いします。




