第五十二話 中学生編『運動神経抜群だけど天使(ほろび)の歌声』
第七話の少し前の話です。
昼休み。俺は男子達に混じってサッカーをしていた。
本当ならバスケットをしたいところだが、体育館は上級生が使用しているからバスケをする事はできなかった。たまに上級生が体育館を使わない日であったり、譲ってくれる時もあるからその時には遠慮なく使わせてもらうけどね。
代わりに今はサッカーに混ぜってもらってる形だが、俺は体を動かすスポーツが転性前から好きだった。
一番はバスケだが、サッカーだって嫌いじゃない。他のスポーツも基本的に嫌いなものや苦手なものはない。
運動神経はかなり良い方みたいだ。
「橘!こっちだ!」
「頼んだ!」
A組対C組でサッカーをしていて、俺はボールを奪いにやってきたC組からドリブルをしながら逃げていたのだが、丁度良いところにクラスメイトがやってきてくれたのでパスを出す。
パスを出した後の俺は、小柄な体とフットワークを生かして男子達の間をすり抜けていき、現在ボールを持っている男子にとってパスが出しやすい絶妙な位置へと向かう。
これはバスケをしていた時の経験もあって、どこにどう動けばゲームを支配できるかをイメージした結果の動きなのだ。
流石にバスケとサッカーじゃ違いはあるだろうが、それでもパスが通りやすい場所にいるのはゲームを支配する為には重要な共通事項だろう。
今度は無言でのパスが通ってくる。
ボールを持っていた男子が、俺の事を見て今がパスの出しどころだと判断したのだろう。
転がってきたボールに向かって走り、そのまま相手ゴールへと向けてドリブルをする。
ブロックをしようと他のクラスの男子達もやってくるが、さっきのパスを出す前と違って人と人との間が大きかったので小柄な体を生かしてスルスルと抜けていく。
「うりゃ!」
そのままシュートを放ち、相手キーパーが止めようとするが止めきれずに、ボールはゴールネットに突き刺さる。
「よっしゃ!これで四対二だ!」
「ナイス!橘!」
クラスメイト達とハイタッチを交わし、サッカーを続行する。
サッカーは昼休みを終えるチャイムが鳴るまで続くのだった。
「あ~、楽しかった」
教室に戻った俺は自分の席にどっかりと座る。
気温が高いのに走り回ったおかげで汗びっしょりである。
「リリーちゃんは運動神経良くて羨ましいなぁ…」
前の席のヒナが後ろを振り向いて話しかけてくる。どうやら教室の窓から俺がサッカーをしているところを見ていたようだ。
「体も柔らかいし、本当に羨ましい…」
「前にも言ったけど、体の柔らかしゃは必死に頑張ったからだよ。中学一年だったらしっかりと柔軟体操すればまだまだ柔らかくなれるんだから、ヒナも諦めずに続ければ絶対柔らかくなるよ」
そう言って、俺は数日前の事を思い出す。
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それは俺が女子中学生になって初めての体育の授業だった。
更衣室で皆の着替えをなるべく見ないようにして体操服に着替えた俺は、体育館へと向かう。
その体育館で、運動前の自主的な柔軟運動をしている時だった。
「うわっ!リリーちゃん体柔らかい!!」
ツインテールの髪型が良く似合う薺が、柔軟をしている俺の体の柔らかさに驚きの声を挙げる。
この時の俺は、床で脚を百八十度開脚させ、そのまま胸を床にペタンと付けていた。
薺の声に、他のクラスメイト達も俺の方を見て驚きに目を丸くする。
「うわ、すっごーい。体、超柔らかいんだね!」
ヒナもそうやって話しかけてくる。
「相当頑張ったからね。前はむちゃくちゃ硬かったよ」
何しろ、ずっと寝たきりの体だったのだ。筋は固まってしまっていて自分の力だけでは満足に関節を曲げる事だって不可能だったのだから。
必死のリハビリで、今のように脚を百八十度以上開脚できるようにはなったが、それまでは本当に苦労の連続である。
「えー、だってここまで柔らかいんだよ?むちゃくちゃ硬かったって事はないでしょ?」
謎の疑いがかかる。
まあ、ここまで柔らかかったら、元々体が柔らかい人間だったって思うわな。
「いや、本当にむちゃくちゃ硬かったよ。でも、毎日しゅとれっちを続けて、痛みを我慢してここまでこぎつけたんだから」
「そうなんだ。じゃあ、わたしでもリリーちゃんくらい柔らかくなるのかな?」
ヒナの質問に、俺は少しだけ考える。
成長しきったあとの大人だと、それこそ本当に努力は必要だろうけど、まだまだ成長途中である中学生ならば、毎日柔軟運動をしていれば絶対に柔らかくなるだろう。
「毎日根気強く続ければ、絶対に柔らかくなるよ。あと、お酢を飲むのも良いらしいよ」
よく言われる民間療法を教えるが、家に帰ってから調べてみたらこれは科学的根拠はないそうだ。すまないヒナ、嘘を教えてしまったようだ。
でも、子供の内に柔軟をすれば柔らかくなるのは本当なので、これは是非とも続けてほしいと思う。
将来、体のあちこちが硬い人間になるよりも、柔らかい方が絶対に良いはずだしね。
その後、俺は更にヨガであるようなポーズを続けて体の柔らかさを披露し、更にそのまま始まった体育の授業で抜群の運動神経をクラスメイトに見せつけるのであった。
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「それで、ヒナはきちんと柔軟運動は続けてりゅの?」
「一応続けてるよ。お風呂上がりは特に重点的に」
数日前に教えた事をヒナはきちんと守っているようだった。
やはり、筋などはしっかりと温まったあとにほぐすようにして伸ばせば柔らかくなる。
俺のリハビリ生活では頻度がかなり高かったから短期的に柔らかくなったけど、ヒナみたいにちょっとだけ体が硬い程度なら、特にお風呂上がりに柔軟をすればきっと柔らかくなるはずだ。
「リリーちゃんはちゃんと歌の練習してる?」
「してるけど…わたしってそんなに歌下手なの?」
今度は逆にこっちが質問される。
これも数日前の事なのだが、女子中学生になってからの初めての音楽の授業の事だった。
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「それでは、皆で一度歌ってみましょう」
CDで今習っている音楽の歌を聴いた後、音楽の先生がそう言った。
自分以外の全員は夏休み前からその歌の授業をしていたので問題なく、俺自身も男の時の中学時代に同じ歌を歌った事があるから何も問題はないと感じていた。
先生がピアノを演奏し、俺達は二列の横並びの身長が低い順に並んで歌の準備に取り掛かった。
そしていざ歌い始めてすぐの事だった…。
先生がピアノの鍵盤にバンと手を叩きつけて演奏を止める。そして…。
「今のは誰!?」
先生がそう叫んだ。
何が「今のは誰!?」なのだろうか?
不思議に思って首を傾げていると、クラスメイト全員が俺の方を見ていた。
「貴女は…転入してきたばかりの橘さん、だったわね」
「はい、そうです」
先生は俺を前と呼び、俺は素直に従って独り前と出る。
「橘さん…今から一人で歌ってもらえるかしら?」
「? はぁ、わかりました…?」
一体どうしたのだろうか?
そう思いながらも、俺は先生のピアノ演奏に併せて歌い始める。
「ストップストップ!え!?橘さん、それは本気で歌ってるのかしら!?」
「え!?はい」
本当にどうしたのだろうか?
疑問に思って首を傾げ、クラスメイトの方へと振り返る。
「え?なんでみんな、耳をふしゃいでるの?」
ほとんどのクラスメイトが、手で耳を塞いでいた。
しかも、青い顔をした者までもいる。
「リリーちゃん…言いにくいんだけどね…」
「うん?」
香織が代表して前に出てきて、意を決したようにして口を開く。
「歌が…絶望的に下手…いや、下手というよりも…やばい?」
「やばい!?」
その言われように驚いてクラスメイトや音楽の先生を見ると、全員が頷いていた。
「声はね、透き通るように綺麗なの…でも、それを台無しにする程の不協和音が貴女から発せられているのよ…」
香織に続いて先生までもがそう宣言してくる。
「例えるなら、最高級の食材を最高の環境で、ど素人が調味料を間違えた状態で適当に調理したみたいに…」
「それは勿体ないですね」
先生の例えを想像して、俺は普通にそう返してしまう。
すぐさま全員から「お前のことじゃい!!」といったようなツッコミが入る。
「橘さんは、前の学校では音楽の授業はどうしていたのですか?」
「え!?いや、その…わたしは歌わなかったなぁ…なんて」
やばい!各授業の事で婆ちゃんと話し合ったのはあくまでも英語とかその辺の授業の事だけで、音楽の授業に関しては全く触れもしてなかった。
まさかこんな落とし穴があるなんて思ってもなかったし、すっかり忘れていたってのもある。
しかし、今の俺の言葉を聞いて、全員が「あぁ…今の歌を聴けば、そりゃ歌わせたくはなくなるよね…」と、全員が納得してしまっていた。
やめて!なんかそれだと俺だけ除け者扱いされてたみたいじゃないか!
「私が…私がきっと橘さんが普通に歌えるようになるように鍛えてあげますからね!」
そして先生が燃え上がる。
それから、俺は先生から歌を歌う時のコツだったりを教わるようになる。
家でもたまにで良いから練習をしてほしいと言われ、先生の例え話を聞いていたせいか調理中に思い出す事もしばしばあり、俺は調理中に歌を歌いはじめたりもした。
それを聞いていた婆ちゃんが「リリー…すまんがワシのいない時に歌ってくれんかの…」と青い顔をしていたのは、なんだか悲しかったりもした。
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「一応、部屋で歌の練習とかもしてるけど…自分じゃ普通に歌えてるつもりだよ?」
「つもりじゃダメ!」
数日前の事を思い返し終わった俺は、ヒナとの会話を続ける。
本当に、自分じゃそれなりに上手く歌えてるつもりなのだ。
しかし、やっぱりどれだけ練習しても、俺の歌声は不協和音だそうで、もはや先生も匙を投げるだけじゃなく、熱して折り曲げて匙として使えなくするレベルで諦めていた。
クラスメイトが歌の練習に付き合ってくれたり、前の日曜日にカラオケなんかも行ったりしたけど、今では誰も歌の練習には付き合ってくれないし、カラオケに誘っても断られてしまった。悲しい事だ。
むしろ、俺が歌おうとすると全力で止めにかかってくるくらいである。
こうして、俺は運動神経は抜群で、見た目と動きは非常に良いにも関わらずに歌声が全てを台無しにしていると言われるようになる。
そして、俺の歌声は、いつしか天使の歌声と呼ばれるようになるのであった。
本当は三つの話に分かれてましたが、そのどれもが短かったので一緒に纏めるように書き直しました。




