第五話『紅茶とスコーン』
数日が経過したある日の昼下がり、俺はインターネットで料理やお菓子のレシピを検索し、それをプリンターで印刷をしていた。
これからこの家の台所を預かる身としては、もっと色んな料理を作ってみたいと考えたのである。
しばらくして、俺はあるお菓子のレシピに何故か釘づけになった。
「…スコーンが食べたい」
モニターに表示されているのはスコーンのレシピである。
俺はそれを穴が空く勢いで真剣に見続ける。
一目見た瞬間から、何故かやたらとスコーンが食べたくなっていたのだ。
さっきまでだったら良さそうな料理やお菓子はプリンターで印刷をしていたのに、俺はスコーンのレシピを丸暗記した。
そしてすぐに台所へと向かう。
この家の台所は、婆ちゃんは料理しないにも関わらずに設備が整い過ぎていた。
ほとんど宝の持ち腐れといったような感じが否めないが、これから俺が有効活用する予定なので、あって良かったと思いたい。
材料に関しては、ここ数日の買い物で全て揃っていた。
だから俺はすぐにスコーンの調理を開始する。
ちょっとしたアレンジスコーンもいずれは作ってみたいけど、まずは基本のプレーンスコーンを作る事にした。
いつかは胡桃とかナッツとかを混ぜたスコーンも作ろう。
スコーンの生地をオーブンに入れて焼き始めてから数分後、研究室から婆ちゃんが休憩をしにやってきた。
「お?リリーや、何を作っておるんじゃ?」
「スコーンだよ。無性に食べたくなって」
「おぉ!スコーンか。リリーの母親もよく作ってくれたお菓子じゃのう。懐かしい」
へえ、リリーの母もスコーンをよく作っていたのか。
もしかすると、俺が無性にスコーンを食べたくなったのって、リリーの体が反応したのかも。
脳は俺のだけど、体はリリーなんだから。
「リリーがスコーンを焼いている間に、ワシはリリーの好きだった紅茶でも淹れようかの」
「え?俺、紅茶嫌いなんだけど…」
幼い頃に不味い紅茶を飲んで、以来紅茶が飲めなくなった。
「ふむ、しかし体はリリーなんじゃから、もしかしたら飲めるようになっとるかもしれんぞ?」
婆ちゃんの言葉に、俺はその可能性を否定できなかった。
何故なら、男の時の俺が平気で食べれた物が、リリーの体になって食べれない事はないけどあまり好んで食べたいとは思えない物がいくつかあったからだ。
その際たる例が『ピーマン』である。
男の時はピーマンは普通にパクパク食べていた。特にチンジャオロースに入っているピーマンなんかは逆に好物と言っても過言ではないくらいだった。
それが、数日前にピーマン料理を作って食べたところ、そのあまりの苦さに完食しきれなかったのである。
目に涙を溜めながらピーマンを食べるリリーの姿を見て、婆ちゃんは微笑んでいた。
最後には「無理して食べんでもワシが食べてやろう」と切り出してくれて、俺は即座に残ったピーマン全てを婆ちゃんに差し出したくらいである。
味覚の変化による弊害だ。
それも、成長に伴った味覚の変化ではなく、体丸ごとが変わった事による味覚の変化。
今まで男だった俺の好物の中には、リリーにとって嫌いな食べ物も含まれているだろうし、その逆もまた然りだ。
「そうだね。じゃあ、試してみようかな」
食わず嫌い、飲まず嫌いは良くない。
まずは一度試してみて、苦手そうなら控えれば良い。
俺の言葉に婆ちゃんは満足そうに頷き、お湯を沸かし始めた。
婆ちゃんの紅茶の淹れ方は非常に洗練されていた。
ガラスポットを予め温め、中にわざわざ計量した紅茶葉を決められた分量だけ入れ、沸騰したての熱湯を、これまた決められた分量注いでいた。
その間にカップにもお湯を注いでカップを温めている。
砂時計で時間を計って紅茶葉を蒸らし、蒸らし終えたらガラスポットの中をスプーンでサッとひとかきして、茶こしで紅茶の濃さが一定になるように交互にカップに注いでいた。
その手際に思わず見惚れていると、オーブンが焼き上げを完了した音を鳴らした。
「丁度焼きあがったようじゃの」
これは絶対に焼きあがる時間を逆算して紅茶を淹れたな…。
微妙に準備をゆっくりとしている場面もあったし。
エアコンが効いているので、かなり涼しいリビング。
そのリビングのテーブルの上に並べられた焼きたてのスコーンと、淹れたての紅茶を前にして俺は唾を飲み込んだ。
体がどちらも欲しているのが感覚でわかる。
婆ちゃんが淹れてくれた紅茶からは良い香りが漂っていた。
俺はひとまずストレートで紅茶を味わう事にする。
「ん、く…」
一口含んだだけで、体の全身が喜んでいるのを感じた。
「美味しい…紅茶ってこんなに美味しかったんだ」
砂糖もミルクも入れてないストレートティーだが、その香りと味はとてつもなく美味しいと感じた。
「その紅茶は、リリーが一番大好きじゃったアールグレイじゃ」
「これが、アールグレイ…」
やばい。この味はハマる!
更に俺は焼きたてのスコーンを口にする。
「!! ……ん~~~~!!!」
頬がジンジンする。
本当に美味しい物を食べたり飲んだりした時って、頬がジンジンと痛いような気持ちいいような感覚に襲われる事があるよね。
もしかして、昔の人は美味しい物を食べた時のこの感覚を「頬っぺたが落ちる」って表現したのかな?
とにかくスコーンと紅茶はリリーの口によく合った。
「ほっほ。幼い頃のリリーと同じリアクションをしとるわい」
婆ちゃんは嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て、俺も嬉しくなる。
「婆ちゃん、今度紅茶の淹れ方教えて」
「ん、構わんぞ」
インターネットで調べれば美味しい紅茶の淹れ方なんてすぐに出てくるだろうけど、俺は婆ちゃんに教わりたかった。
婆ちゃんもその方が嬉しいだろうし。
その後、俺は先日購入したばかりのスマホと自転車を頼りに、近辺の紅茶専門店を巡った。
様々な種類の紅茶葉や専用ポットなどを店の人にも聞きながら沢山購入して帰った際には、婆ちゃんに「やはり血は争えんの」と、苦笑されたくらいであった。
次回更新予定:今日中にもう一部(時間未定)or明日。
・裏設定
リリーの味覚:マーマイトも食べられる。
・嘘次回予告
信じるなよ?この次回予告を!
誰だって顔してるんで、自己紹介させてもらうがよ、俺ァお節介焼きのSPW!
ロンドンの貧民街から、読者が心配なんでくっついてきた。
読者さん、甘ちゃんのあんたが好きだから一つ教えてやるぜ。
俺は悪い次回予告と良い次回予告は匂いでわかる!
こいつはくせぇ!〇〇以下の臭いがプンプンするぜ!
こんな酷い次回予告には出会った事がねぇほどになぁ!
この次回予告は生まれついての悪だ。
次回、リリーの微妙な冒険 第六話『解説王』