第四十七話 転性編『天使の聖水10ml1080円(税込)』
第六話直前の話です。
八月三十日、その日はリリーに転性をした俺の中で最も忘れたい、忘れられない日となった。
「はぁ~…紅茶が美味しい…」
夜、お風呂からあがって少し経った後、寝る前だったが無性に紅茶が飲みたくなった為、俺は紅茶を淹れて飲んでいた。
その様子を、花蓮婆ちゃんが何か言いたげに見ている。
「…?どーしたの?婆ちゃんも飲むなら淹れるよ?」
もしかして紅茶を淹れてほしいのかと思って聞いてみるが、婆ちゃんは緩やかに首を振った。
「…いや、ちょっとな…。まあ、いい」
何だろう、気になるんだけど…。どうしてそこで言うのを諦めるんだ!もっと熱く!…ならなくても良いか…。
そうして紅茶を飲み干してコップを洗おうとしたところで、婆ちゃんがサプリメントの錠剤を呑んでいた。
もしかして、俺にもサプリメントを試してほしかったってやつかな?
今度、それとなく聞いてみよう。
それから十分程の時間が経過し、洗面やトイレを済ませた俺はもそもそとベッドに潜り込んで眠りにつく。
適温でエアコンを稼働させているから快適な空間だ。
目を瞑って少しすると、俺はそのまま眠りにおちていった。
…………
………
……
…
俺は体育館で同じ部活の仲間達とバスケットをしていた。
俺の体は転性前の肉体、柊 実の体だった。
(あれ?なんで俺、実の体なんだ?)
思考とは裏腹に、俺の体は生き生きとバスケットを楽しんでいる。
(今、何か変な事、思っていたな。俺は最初から男だったじゃないか。何だか変な気分になっていたな)
そうだ、俺は柊 実だ。他の誰でもない。
よくわからない思考のままに、俺はバスケットを楽しむ。
そして、リング目がけて高いジャンプをした時だった。
「!? え!?は!?なにこれ!?」
急に場面が切り替わり、俺は崖の上から激流の川へと思い切り飛び込んでいた。
川に落ち、冷たさと苦しさを感じる。
(…いやだ。せっかく生き永らえたのに、死にたくない…)
またもや意味不明な思考に陥る。
その瞬間、俺の体は柊 実の肉体ではなく、リリー・スコット・橘の肉体になっていた。
短い手足で必死にもがき、どうにかして岸へと上がろうと懸命に足掻く。
しかし、激流の川の冷たさと、呼吸ができない苦しさから段々と意識が遠のいていく感覚に陥る。
(…もう、ダメ…)
そして、身体中の力が抜けたと思ったその瞬間、今まで感じた事のないような快感が駆け巡る。
温かくて気持ち良い。ずっとこの快感に身を委ねていたい…。
そう思った瞬間、俺に別の衝撃が襲いかかる。
…
……
………
…………
「ってちょっと待てーー!!」
俺はタオルケットを蹴飛ばして飛び起きる。
今見ていたのは、夢だった。
ただの夢だけなら、本当に良かった…のに…。
「…やった…やって、しまった…」
ふるふると震えながら、俺は目の前の惨状に思わず現実逃避をしたくなる。
おそるおそる、手を伸ばすと寝汗にしては尋常じゃない量の水分が、一箇所にかたまっていた。
「…精神年齢二十歳…現肉体年齢十二歳…この歳になって…」
「………おねしょを、して、しまった…」
そう呟き、俺ががっくりと項垂れた。
時刻は早朝の四時頃であった。
俺は急いで洗面所へと向かう。
目的は当然洗濯機である。
この時、この歳になっておねしょをしてしまった動揺から、俺は替えの下着や服を忘れてしまっていた事に気付かなかった。
洗面所に着くなり、俺はパジャマのズボンとパンツを同時に脱いで、タオルケットとシーツと共に洗濯機の中に投げ込む。
そして洗濯機のスイッチを押してから、洗剤を入れてない事を思い出して急いで洗剤を投入し、それが無事に終わって一息ついたところで着替えを持ってくるのを忘れていた事を思い出す。
その時だった。
「なんじゃ、リリーか…」
眠そうな顔をした婆ちゃんが、何か液体の入ったフラスコを持って洗面所へと入ってきた。
そして、その視線は俺の下半身へと向けられる。
「だ、ダメ!み、見ないで!!」
俺は赤面して、下半身を手で覆い隠す。
余裕のある時だったら、絶対に婆ちゃんの手に持っているフラスコの中身について言及していただろう。でも、今の俺にはそんな余裕はなく、ただただおねしょをしてしまった事実を隠したかった。
「…やっぱりおねしょしおったか」
婆ちゃんはやれやれと呆れたようにして呟く。
おねしょをしてしまった事がバレてたのは恥ずかしかったが、それ以上に聞き流せない単語が混じっていた。
「…やっぱり…って…?」
「ん?そりゃ、寝る前に紅茶なんぞ飲んどったらトイレも近くなろう。いずれおねしょするとは思うとったが、まさか今日するとは思わなかったぞ」
婆ちゃんがあの時何か言いたげに俺の事を見ていたのは、それの事だったのか!!
「紅茶にもカフェインが含まれておる。カフェインに利尿作用があるのは知っておるな?」
「…そういえば…そうだった」
でも、俺が柊 実だった時は、寝る前にコーヒーを飲んだとしても、おねしょなんかした事なかった。
少しでも尿意を感じたらちゃんと起きてトイレに行ってたし、真冬なんかじゃ布団から出たくなくて朝になるまで我慢していた事だってあった。
「男と女じゃ、膀胱の大きさも尿道の長さも違うんじゃ。男の時のように我慢できるとは思わんことじゃな」
「…それは先に教えてほしかったよ…」
本気で恥ずかしい。
リハビリ中の、体が全く動かせない時には尿道カテーテルを付けていたし、カテーテルを外した後はおむつだったり看護婦さんに尿瓶を使ってもらって用を足したりしていた。
それはそれで恥ずかしかったけど、体が動かせないので仕方のない事だ。
でも、今回は違う。
今は完全に体は何不自由なく動かせていて、補助も何もなく一人で何でもできる状態だ。
そんな状態で、こんな醜態を晒してしまうとは…。
がっくりと項垂れる俺に、婆ちゃんは昔を懐かしんで微笑んだ。
「懐かしいのぅ。小さい頃のリリーも、しょっちゅうおねしょをしておったわ」
「その頃のリリーは五歳未満だよね!?」
五歳児の幼女と、十二歳児の少女(中身は男)とじゃ、おねしょをした時の恥ずかしさは段違いだ。
しかも、あと二日後には近くの中学校に通う中学生にもなるんだぜ…。
「まあ、恥ずかしいとは思うが、先に経験しておいて良かったのう。予め聞いているだけと、実際に経験したとでは大きな違いじゃ。これから女子中学生になるんじゃから、少しでも尿意を感じたらトイレに行っておく事を勧めるぞ」
「はい…身に染みました…」
「それよりも、早う洗ったほうが良いぞ。そのままにしておくとかぶれてしまうからの」
婆ちゃんは、ずっと露わになっている俺の下半身を見る。
おねしょがバレた衝撃から、すっかり隠すのも忘れてしまっていた…。
何下半身丸出しで会話をしてるんだか…。
「着替えは用意しておくでの。シャワーでも浴びるが良かろう」
「…うん、そうしゅりゅよ。ありがと…」
深い哀しみを背負って、俺はそのままパジャマの上着と肌着を脱いで風呂場へと入っていく。
今なら、一子相伝の暗殺拳の究極奥義すら纏えるかもしれないくらいの哀しみだ。
…いや、流石におねしょが原因で究極奥義を纏えるようになったらそれはそれで辛いけど。
それから俺がシャワーを浴びている間に、婆ちゃんは俺の着替えを用意してくれて、その上マットレスを水で洗い流して干しておいてくれていた。
マットレスまで染みてしまっていたか…。
「って…婆ちゃん、この服、何かおかしくない?」
脱衣所に置かれた着替えをそのまま着てみたのだが、なんというか小学生が着ている制服のような服だった。
「おぉ!良く似合うておるぞ!」
「それはありがと。…で、これは何の服?」
「ウチから一番近い小学校の制服じゃ」
「やっぱり小学生の制服だった!!」
なんで、この歳になって小学生の制服を着せられる事になるんだよ!
おねしょをしてしまい、小学生の制服を着る。…これは酷い羞恥プレイだ。
「あぁ…この姿を小学校の入学式で見たかったぞ…」
婆ちゃんはホロリと涙を流して小学校の制服を身に纏った俺の姿を見つめる。
…なんというか、そういう顔をされると文句なんてつけられなくなってしまうな…。
「と、言う事で次はこれも背負ってくれんかの?」
そう言って婆ちゃんはどこからともなく赤色のランドセルを出してきた。いつの間に買ったんだろうか。
多分、この前届いた荷物の中に品名が『鞄』ってのがあったから、それだろうな…。大きさもそれっぽかったし…。
「…もう、好きにして…」
俺は、今日と言うこの日の出来事を、決して忘れる事はできないだろう。
忘れたいけど、忘れられない。
おねしょをして、小学校の制服を着て、黄色の安全帽を被って赤色のランドセルを背負う。
……本当に、忘れたい一日だ。
サブタイトルはただのネタです。
実際には販売しておりませんのであしからず。




