第四十四話 転性編『お買い物』
第四話と第五話の間、第四話の二日後の話です。
俺が花蓮さん…いや、花蓮婆ちゃんの家で暮らすようになってから今日で三日目だ。
昨日は婆ちゃんに携帯ショップに連れて行ってもらってスマホを購入し、家に帰ってからインストールをしたマップのアプリを利用して、家の周辺を歩き回るだけで一日が終わってしまった。
たった一日だけではあるが、あちこち歩き回ったおかげで家の周辺は地図を見なくてもだいぶわかるようになってきた。
そして今日は一昨日婆ちゃんに連れていってもらったディスカウントショップに一人で向かっていた。
自転車や鉄アレイなどのトレーニング用品を買おうと思ったのである。
「ん~…使えるとは思うけど、デビットカードが使えにゃかった時の為にお金ちょっとだけ下りょして行った方がいーかな?」
自転車と鉄アレイならば三万円あれば十分に足りるはずである。
まあ、口座には婆ちゃんが過剰すぎるほどに入金してる一千万円があるからかなり多めに下ろしていっても問題はないんだけどね。
ただ、元々の俺が貧乏性なせいであまり大金は持ち歩きたくないし、お金があるからと言ってジャンジャカ使いたくはないのだ。
そう考えて立ち止まってスマホで銀行を検索したんだけど、銀行は今向かっている先とは逆方向の位置にあった。
でも、更に検索をしてみたらその銀行のATM自体がディスカウントショップに設置されてるみたいだったから結果オーライである。
俺はディスカウントショップに向かってそのまま歩を進めた。
車だとすぐだったけど、歩くと意外にそこそこ時間がかかった。
リハビリのおかげで普通に歩けてはいるけど、やっぱり前ほどは早く歩けない。
歩幅だって全然違うからね、しょうがないね。
ディスカウントショップに入った俺が最初に向かったのは、自転車コーナーでもトレーニング用品が置いてあるコーナーでもなかった。
どこに向かったかって?それは…。
「あ~、やっぱり猫は可愛いなぁ…心がにゃんにゃんするんじゃ~」
俺はディスカウントショップにある小さなペットショップで、ショーウィンドウの中でちまちまと動き回る子猫をにやけ顔で眺めていた。
一昨日、このディスカウントショップを訪れた時にペットショップがあるのを見ていたから、猫がいるんじゃないかと期待していたのだ。
犬派には悪いけど、俺は猫派である。
犬も嫌いではないのだけれど、大型犬とよく吠えるやつは苦手だ。
大型犬は子供の頃に噛まれてから苦手としてるし、よく吠えるやつは五月蠅い。俺がどこぞの侵略者みたいな性格ならきっと蹴りを入れている事だろう。
『何をするだァーッ』って言われても、蹴るのを辞めない!
いや、まあ動物虐待だからしないけどさ。
あまりに五月蠅すぎるとそういう行動を取りたくなるって思ってしまうから、吠えすぎる犬に関しては飼い主はしっかりと躾けてほしいって思うものだ。
その点、猫は鳴き声も犬に比べると全然うるさくないし、動きもちょこちょこしていて可愛い。
でも、真夜中に鳴かれると結構響くよね。躾けようにも、そういう猫って大抵野良だったりするからなぁ…。
兄弟猫と遊びの喧嘩をしながら育った猫は、本気で噛んでくる事はそうそうないから噛まれても痛くないし。
むしろ、猫に甘噛みされるのが嬉しかったりもする。
毛もふわっふわしてて触ると気持ち良いし、良い匂いもするし、動きが愛らしくて…猫って本当に天使だな!
将来、俺自身が周囲の人間から同じような感想を抱かれて天使だと呼ばれ始めるようになる事を知らないこの時の俺は、とにかく天使のように可愛い子猫を終始眺め続けていた。
そして、俺が破顔させて子猫を眺めているこの光景を、通りかかった他の客が表情を緩めて眺めていた事を俺は知らなかったのである。
ひとしきり猫を眺めてにゃんこパワーを貯めた俺は、そこでようやく重い腰…体的には軽い腰を上げて本来の目的である自転車コーナーへと向かう。
「…前までだったら二十七インチ一択だったんだけどなぁ」
大きめでカッコイイ見た目の自転車を眺めながらぽつりと呟く。
しかし、今の俺はかなり体が小さい。
これから多少は成長するにしてもあまり大きな自転車は似合わないだろうし乗るのも大変だろう。
一体自分の体はどれだけ成長するのだろうか。
今のままの身長なら十四インチくらいで丁度良いのだろうけど、それは子供サイズすぎるしある程度成長したら逆に乗れなくなるサイズである。その事を考えるともう少しだけ大きめの方が良い。
「…ん~、だったら二十…いや、二十二インチくらいにしとくかな?」
もしくは折りたたみ自転車という手もあるが、折りたたんでどこかへ運ぶ予定なんてないだろうから折りたたみは候補から外した。
しばらくの間、俺はどの自転車にするかを悩み、悩みついた末にシルバーフレームの二十二インチのシティサイクルを購入する事に決めた。もちろん六段変速ギア付きである。
「しゅいません。この自転車が欲しいのでしゅが」
自転車のメンテナンスに集中をしていたショップの店員に声をかけると、振り向いた店員が少し驚いた表情でこっちを見た。何か驚くような事ってあるだろうか?
一瞬だけそう思ったのだが、今の俺は金髪碧眼の美少女だ。そりゃ驚くわな。…流石に噛んだ事について驚いたって事はないと思いたい。
サ行をやたらと噛んでしまう…もっと発声練習しないとなぁ…。
「あ~…え~っと…アイキャントスピークイングリッシュ?」
「あ、日本語喋れりゅので、だいじょーぶですお」
と、言うかなんで最後疑問形だったのだろうか?英語苦手なのかな?
もしかすると振り向いた時に驚いたのは、明らかに見た目が日本人じゃなかったから言葉が通じないって思ったからかもしれないな。
でも、日本語で話しかけたのだから日本語話せるって事は察してほしかったよ。おかげで余計に噛んでしまった。
それからは店員にペダルを付けてもらいながら少しだけ雑談をした。
店員は「日本語上手だね~」と褒めてくれていたけど…ごめんなさい。見た目と違って中身は日本人男性なんです。
「二万五千九百八十円だけど…」
そこで店員はキョロキョロと辺りを見渡す。どうしたのだろうか?
「パパかママは?」
あ、そういう事ね。
「いません。俺一人で来ました」
そう言って、俺は財布を取り出してさっき下ろしておいた三万円を取り出す。
店員がこれまた驚いた顔をしていたけど、それは何に対しての驚きなのだろうか。
見た目が小さな女の子が一人で来た事に対してか、その小さな女の子が三万円という大金を出してきた事に対してか、はたまた小さな女の子が『俺』と言った事に対してか…。
答えはこの店員のみぞ知るってところだな。
自転車を購入したけど、少しの間その場に置いててもらう事にした。
まだ他にも買い物があるからだ。
「さて、ちゅぎはてちゅアレイとハンドグリップ、あとは…腱を伸ばす為のストレッチゴムかな?」
鉄アレイは何キログラムの物を買おうか、ハンドグリップは何キログラムくらいが丁度良いだろうか。まあ、これは実際に手に取ってみてから決めるとするか。
…結構、タ行とナ行も噛むよなぁ…。この滑舌の悪さは何とかしないとなぁ…。
鉄アレイは一キログラムと五キログラムの二つを購入する事にした。
本当は十キログラムも欲しいけど、それはまた今度にしよう。流石に今同時に購入すると重いし。二つでもすでに重いし。直接手に持つのと袋に入れて持つのでは、同じ重さでも重さが一点集中してしまうから手にかかる負担が違う…。と、言うか指が千切れそうだ…。
まだまだ筋肉も握力も足りないな…。そこそこ重い物は持てるようにはなってるけど、以前と比べるとその半分以下の力しかない気がする。そもそも手が小っちゃいからあんまり力入れられないんだけど。
実は二年に及ぶリハビリで、その毎日をストレッチや筋トレをして過ごしてきた俺の体は、すでに同年代の女子よりも筋力はかなり上回っていた。そりゃ毎日する事がないからずっと筋トレしていたらそうなるよね。
しかし、元々が筋トレしまくりの男子バスケ部員だった俺にとってはまだまだ全然足りない。
そして、すでに同年代女子よりも筋力が上回っているという事実に気付くのはもう少し先になるのであった。
鉄アレイだけでなく、一キログラムのハンドグリップやゴムチューブなどのトレーニング用品も購入し、その日の目的を達成した俺は自転車コーナーに寄って購入していた自転車を回収してから帰路に着く。
自転車のカゴにそうしたトレーニング用品の入った袋を入れて自転車を漕いだのだが…これは中々に重くてバランスが取り辛かった。
そもそも、このリリーの体で自転車に乗る事自体が初めてだったのに、いきなりそこそこな重量のある物をカゴに乗せて漕ぐのはあまりよろしくはなかったかもな。
もうちょっと自転車に乗る練習をしてからにすれば良かった。
それでも、安全運転第一で家まで帰り着く。
自転車をどこに置けば良いかわからなかったので、とりあえず門の内側の邪魔にならない所に置いてから、買い物袋を持って俺は婆ちゃんの姿を探す。
リビングには婆ちゃんの姿はなかった。
「この時間だし、まだ、けんきゅーしつに、こもってるのかな?」
時間的にはまだ昼少し前だ。
そう判断をして、俺は先に自室に買い物袋を置きに行く事にする。
自室に荷物を置いたら昼食作りだ。
お世話になる代わりに料理を作るって決めたからね、その役目はしっかりと果たさねば。
でも、俺の料理の腕前って、母さんの手伝いをしたり簡単な料理を作れる程度の腕前で、しかも高校生男児による少しずぼらなザ・男料理って感じの腕前だからなぁ…。
毎日のように高級料理を外食しに行っていた婆ちゃんには物足りないし見た目も悪いかもしれないな…。
初日は、贅沢をして素材の良い肉を買ったから見た目もそこそこに良くて味もシンプルに塩胡椒だったから悪くはなかったけど…。
しっかり頑張らなきゃ。
そうは意気込んだとしても、流石に今すぐには料理の腕は上がらない。
しかも、レパートリーにはまだまだ乏しい。
結局、この日の昼食は魚肉ソーセージを混ぜた野菜炒めの卵とじとなった。
昼食が完成した頃、婆ちゃんがリビングへとやってくる。
「おぉ、リリー。帰っておったのか」
「ただいま、婆ちゃん」
テーブルの上に野菜炒めと今朝の残りの味噌汁と、茶碗によそった白ご飯を置いていく。
なんというか…これだけの豪邸に住んでる人の昼食のイメージじゃないよね…。
「美味しそうじゃの」
それでも婆ちゃんは喜んでくれる。きっと、中身が別人だとわかっていても、リリーが作ってくれたからって思ってるからだろう。
最愛の孫娘の手料理となれば、それだけで婆ちゃんにとっては最高の調味料と言うわけか。
「「いただきます」」
そして一緒に料理を食べ始める。
「今朝はどこに行っておったのじゃ?」
「一昨日に連れてってもらったでぃしゅかうんとしょっぴゅだよ」
婆ちゃんは破顔させながら俺の言葉を聞いていた。
「何か買うたのか?」
「トレーニングよーひんと、自転車」
その言葉を聞いた瞬間、婆ちゃんはピシッという音が聞こえる程の動揺を見せて動作を止め、箸を落とした。
「…し」
「し?」
「しまった…自転車というのがあったか…」
そして婆ちゃんは項垂れる。
え?何かまずかったか?
そう思って質問をしてみると、婆ちゃんは「孫娘に、自転車を買うてあげるというイベントがあるのをすっかり忘れておった…」と、悲しそうな表情をしていた。
「ランドセルも結局買ってあげる事はできんかったしの…他に何かないかと考えておったのじゃが…自転車の存在はすっかりと忘れておったわ…この花蓮、一生の不覚…」
あ~…なるほどね。
せっかくの孫への購入イベントを、その孫である俺自身が潰してしまったというわけか…。
何か、悪い事した気がしたな。今度から、ちょっとした特別な欲しい物がある時には先に婆ちゃんに相談してから買うようにするか。
もしかしたら、今回の自転車のように婆ちゃんが「買ってあげたい!」って強く願う物もあるかもしれないしね。
今回は買ってしまったのはしょうがないので、とりあえず自転車をどこに置けば良いかを確認する。
そうして購入した自転車を婆ちゃんが一緒に見に来た時に「…デザインが可愛くないのぅ」と、残念がっていたのには苦笑をするしかなかった。




