第三十一話『懐かしの味』
椿の借金を清算した後、俺は椿の身なりを整える事にした。
椿の髪の毛は中途半端に長くてボサボサだ。昔みたいにすっきり短くした方が絶対に良いと思って最初に理髪店へと行く。
髪の毛を短く切って無精髭を剃っただけでかなり清潔になった気がした。
それから向かうは紳士服の店だ。
椿が着ていた背広は、はっきり言ってよれよれのくたくただったので、着るだけでみすぼらしく見えてしまう。
椿はさっき、泣きながら営業成績が上げられないと言っていた。
そりゃ、髪の毛ボサボサで貧相な恰好をした人が営業に来ても、うさんくさいだけであって信用なんてしてもらえないだろう。
だから、新しいスーツと靴を買う事にしたのだ。
身綺麗な爽やかな青年であれば、それだけで相手の対応も変わるだろう。
人間見た目が大事なのだ。特に、営業だったら靴の見た目は大事である。
椿は身長が高いから、淡い紺色のスーツなんかが似合いそうである。
ネクタイの色は、薄黄色か薄ピンクなんかが良いだろう。
俺は椿に合うスーツやネクタイを、紳士服店の従業員と共に吟味していく。
椿は俺と従業員に振り回されてげんなりとしていた。
「何から何まで、本当にすまないな…」
「そういう時は、謝られるよりもお礼を言ってほしいかな?」
帰り際に椿に謝罪されたので、俺は訂正を持ちかける。
椿は「それもそうか」と、苦笑をして、真っすぐに俺の目を見て「本当にありがとう」と言って頭を下げた。
俺に対しては借金が出来てしまったけど、消費者金融の借金がなくなった事で心に少し余裕が生まれてきたのじゃないだろうか。
少しひねくれた態度をとっていた椿は、それからは素直になっていた。
椿の家に戻り、冷蔵庫に入れていた一昨日からのおかずの残りで昼食を済ませてから掃除を再開する。
せっかく天気が良かったのだから、先に布団を干しとけばよかったと帰ってから後悔する。
でも、短い時間でも干さないよりかはマシだと思ってすぐに布団を外に干す。
そして片付けの再開だ。
掃除は椿も手伝ってくれた。
まあ、「元々自分の家なのだから自分で掃除するのが当然なのにな…」と反省をしていたようで、掃除を始めた椿は、高校時代に部室を掃除していた時のようにかなり手際が良かった。
「あ、そろそろ帰ってお婆ちゃんのご飯用意しなきゃ!」
かなり集中して長時間掃除をしていたのだが、ふと時計を見たら、いつの間にか夕方の六時を回っていた。
危ない危ない。今日、バイト休みで良かった…。
「お婆ちゃん?」
「うん。わたし、お婆ちゃんと二人暮らしで家事は全部わたしがやってるから」
俺の言葉に椿が何故か驚いた表情をしていた。
どこに驚く要素があったのだろうか?
本当は椿にも夕飯を作りたかったけど、婆ちゃんの方が優先だ。
それに、まだ一昨日に作ったおかずがそこそこ残ってるので早く食べてもらわないと傷んじゃうからね。
「明日は仕事ですか?」
「あぁ、仕事だ」
「何時頃、帰ってきます?」
ちょっとだけ椿の表情が「何故それを聞く?」といったような怪訝そうな表情になっていたが、ため息を吐いた後にきちんと答えてくれた。
「大体いつも夜の八時前後に帰ってくる」
「じゃあ、わたしは明日はバイトがあるので、バイトが終わったら来ても良いですか?」
「そんな予感はしていたよ…勝手にすれば良い」
椿は苦笑をしながら答える。
多分、これからも俺が押しかけて来る事を理解しているのだろう。
次の日の夜、バイトが終わった俺は、ある食材を持って椿の家へと向かった。
ドアをノックすると、意外にも早く椿が顔を出す。
丁度、玄関近くにでもいたのだろうか?
「本当に来たんだな」
「そのやりとり、昨日もしませんでした?」
もしかすると、これからもずっと同じやりとりを繰り返す気なのだろうか?
「おじゃましま~す」
靴を脱いで椿の家へ上がる。
ゴミの日は次の日なので、まだダイニングキッチンには俺がまとめたゴミが置いてある。
しかし、その袋の数は増えていて、床やダイニングキッチンの奥に見える椿の部屋が綺麗に片付いているのが見えた。
もしかして、俺がいない間にも掃除をしたのだろうか?
買ってきた食材を台所に置き、一度椿の部屋へと移動をする。
うん、昨日の段階で掃除をしていなかったところもある程度綺麗に片付いている。
やっぱり部屋が綺麗になると気持ちが良いな。
「掃除、されたんですね」
「そうじゃないと、君が掃除をするからな」
「自己紹介しましたよね?わたし、リリーって名前です」
まだ椿に名前を呼ばれていない気がしたので、もう一度名前を答える。
椿は少しだけ口元を曲げる。何か変な事言ったかな?
「名字はなんて言ったかな?」
「リリーって呼んでください」
ニコリと爽やかに笑って、俺は椿の質問をスルーした。
絶対、椿は俺の事を名字で呼ぶ気だっただろ?そうはさせないぞ。
椿は手を頭に当ててため息を吐く。
「気が向いたらな…」
いや、気が向くもなにも、これから俺の事をどう呼ぶつもりなんだよ!
もしかしてアレか?名前で呼ぶのは恥ずかしいってやつか?
まあ、そんな事はさておき、今日の目的を果たさないとな。
今日の目的、それは椿に懐かしのあの料理を振る舞うのである!
そして、その懐かしのある料理とは…。
「チキン南蛮か。懐かしいな。よく高校生の頃に食堂で食べてたよ」
テーブルに並べられた料理を見て、椿がそう呟いた。
うん、知ってる。俺が水曜日に食べに行く時、いつもついてきてくれてたもんな。
そして、俺もそうだったが、椿も南タル定食が一番のお気に入りだった。
「ふっふっふ…。そしてさら~に!!」
俺は自作の特製タルタルソースを入れた小鉢をテーブルの上に置く。
このタルタルソースは、リリーとして食堂に通っていた際に、何度も南タル定食を頼んで舌で感じる味から分析、再現をしたタルタルソースなのだ!
再現度はかなり高く、食堂に俺の作ったタルタルソースを出してもきっと誰も気付かないだろう。
俺はスプーンを使って、チキン南蛮にタルタルソースをかけていく。
椿の喉がゴクリと鳴ったのが聞こえた。
「さぁ、召し上がれ」
「いただきます!」
椿はまるで待ちきれなかったかのようにして、一口サイズに切られたチキン南蛮に、タルタルソースを塗りたくって口の中に放る。
そしてゆっくりと咀嚼をして味わった後、一筋の涙を零した。
「うまい…それに、懐かしい味だ…。どうして、この南タルを知ってるんだ?」
その質問に、俺は正直に自分が椿と同じ高校出身であることを明かす。
椿が自分の通っていた高校を何故知っていると質問をしてくる事があれば、見に行った試合で覚えていて、憧れのままその高校に入学をした、と返す事を決めていた。
そして、食堂で一番の人気メニューだから椿も食べた事あるのではないかと言う答えも準備している。
ほんの少しの沈黙の後に、椿が俺の考えていた通りの質問をしてきたので、さらっと答える。
まあ、大体は真実だから予め答えを決めてなくてもすぐに答える事はできただろうけど、それでもちょっと口籠ってしまうよりかは信頼は得やすいだろう。
今回は、自分の分も作っていたので、俺も一緒に少し遅めの夕食を食べる。
「ん~!我ながら完璧な再現度!」
何気にチキン南蛮の下敷きになっているパスタも美味しいんだよなぁ。
ご飯を食べ終わって食器を洗った後、俺は後回しにしていた風呂掃除を開始する。
その前に、トイレを確認したら、やはりというか物凄く汚れていた…。
なので、とりあえずトイレには漂白剤を掛けて風呂掃除の間は放置する事にした。
これだけでもある程度は汚れが落ちるだろう。
風呂場の壁にカビキラーを噴きかけてしばらく放置、その間に風呂用洗剤を使って新しく買ってきたスポンジで浴槽や風呂の床を洗う。
しばらくゴシゴシと洗っていると、風呂場のドアが開かれた。
「悪い、トイレは使っても…うわ!ご、ごめん!!」
トイレを使いたかった椿が、俺に許可を求めようとしていたのだが、風呂掃除中の俺が服を濡らさないようにと下着姿になっているのを見て、驚きで風呂場のドアを閉める。
「漂白剤がついてるので、一、二度トイレの水を流してから使ってください」
逆に俺が風呂場のドアから顔だけを出して椿の質問に答える。
椿は、顔を赤くして俺の方を見ないようにしていた。
それからは風呂掃除が終わった後にトイレ掃除、そしてガスコンロの掃除をして俺は帰宅をする。
今日一日だけじゃ風呂もトイレも完璧には汚れは落ちていない。
なので、これから繰り返し掃除をしていってもっと綺麗にしていこうと思っている。
もちろん、帰る際に椿に次の約束を取りつけるのは忘れなかった。
椿は若干呆れた表情をしていたけど、初日などと違って、柔らかい笑顔で「待ってる」と言ってくれた。
椿が大変な時、俺は助けになれなかった。
だから、今、俺は椿の助けになって、椿をもっと元気にするからな。
・次回更新予定:明日。
・嘘次回予告
ある日、リリーが椿の家に行くと、家の中で椿が死んでいた!?
鍵はかけられ、まるで自殺のような死に方をしている椿。
しかし、それは巧みに偽装された密室殺人事件であった。
親友を殺されたリリーは、犯人を見つけ出すと決意する。
「この謎は必ず解いて見せる!ばっちゃんの名にかけて!」
次回、リリー少女の事件簿 第三十二話『椿死す』




