第三話『花蓮の家』
それから二年の時が過ぎた。
「ここが今日からおぬしの家じゃ」
黒塗りの高級車から降りた俺は、目の前に建つ大きな豪邸の前に立った。
「うわ、でっけぇ…元の俺ン家の何倍あんだよ…」
リリーに転性する前の俺の家は、決して貧乏という訳ではないがそこまで裕福な家庭という訳でもなかった。
父親の勤める会社の社宅の一軒家に、安い家賃で住んでいて、家の大きさも二十坪ほどのこじんまりとした平屋だった。
それがどうだろうか。今、俺の目の前に広がっている花蓮さんの家は、かなり大きく、庭を含めたら三百坪くらいあるのではないかという広さだった。
ここが今日から俺が住む家になるのか…。
二年前にリリーの体へと転性をし、目覚めた俺はとにかくひたすらリハビリ漬けの毎日だった。
なにせ五年も寝たきりの肉体なのだ、あちこちが錆び付いてて動かない。
まずは固まった筋をほぐすためのマッサージからだったのだけど、その時点で結構痛かった覚えがある。
ある程度柔らかくなったらとにかくストレッチをして、少しずつ少しずつ体をほぐしていった。
間に発声練習もして、今はようやくまともに喋れるようにはなった。
ただ、それでもまだ拙い喋り方になっていて、サ行とナ行は特に噛みまくってしまう。
まあ、他にも結構噛み噛みだったりする事もあるけど…。
まともに動けるようになったら、今度はストレッチを交えながらとにかく筋トレに勤しんだ。
その甲斐あってか、今はそこそこ重い物も持てるようにはなったし、体はかなり柔らかくなった。
もはや入院生活をせずともまともに暮らしていける段階となったので、花蓮さんが退院をして普通の日常生活を送ろうと切り出してきたのである。
ただ毎日ひたすらストレッチと筋トレと発声練習だけの日々は流石に退屈だったので、退院できるというその切り出しは願ったり叶ったりであった。
花蓮さんは、中身が俺とはいえ、体は可愛い孫娘なのだから是非自分の家へ住んでほしいと言ってきた。
俺としても、元の俺は死亡届が出されているし元の家族のところに行くわけにもいかないし、だからと言って一人暮らしをするわけにもいかない。
それでいて自分の事を知っている人が一緒であるならば安心できると思い、それを了承した。
ちなみに、リハビリ中に一度だけ外出をし、元の家族を一目だけでもと花蓮さんに車椅子を押してもらって連れていってもらった事もある。
両親は酷くやつれていた。
花蓮さんも「事情を打ち明けたいなら協力するぞ」と言ってくれていたが、両親の姿を見たらとてもじゃないが打ち明ける気分にはなれなかった。
ただ一言、すれ違い様に「がんばってください」と、声をかけ、俺は両親と別れた。
それから俺は振り返りはしなかったが、何故か両親が泣いていたように思えた。
花蓮さんの「本当に良かったのか?」という言葉が今でも忘れられない。
前の自分とも決別をし、俺はこれからリリーとして新たな人生を過ごす事になる。
その第一歩を今、踏み出した。
「とりあえず、必要そうな物は買い揃えておいた。他に必要な物があったら遠慮なく言ってくれ」
花蓮さんは真っ先に俺の部屋へと案内をしてくれた。
「うわ…天蓋付きベッド…」
部屋に入って真っ先に飛び込んできたのは、どこぞのお姫様が寝台に使用しているのではないかと思われる、ファンシーな天蓋付きベッドだった。
「可愛いじゃろ?リリーに良く似合うと思うての」
「いや、確かにリリーには似合うだろうけど、俺には似合わないと思うよ…」
二年の間ですっかり髪も伸びたリリーの体は、まさに美少女と言っても過言ではない成長を遂げていた。
日本人特有の少し幼さの残る顔立ちに母親譲りの金髪碧眼、それらが合わさってリリーは誰がどう見ても美少女そのものであった。
ただ、五歳の頃から全く動かず寝たきりとなり、点滴のみの生活であったリリーの体は、十二歳女子の平均よりもかなり下回る程の小柄な体である。
元々の俺は、バスケ部に所属をしていて身長も百八十七センチメートルあった。
それが今は百八センチメートルであって、逆に新鮮な気分である。
(まあ、あまり身長は高すぎても不便だしなぁ…)
油断をしていると頭をしょっちゅうぶつける羽目になってしまうし、冬なんかは風呂で足が伸ばせられないせいで膝が湯からはみ出してしまって温まらないし何より寒い。
布団も足の先がはみ出してしまって、冬は丸まって寝ないと寒くて堪らない。しかも、起きた時に体が痛む。
服もサイズが合うやつがなかったりするし、高身長ってだけで羨ましがられる事は多いけれど、その分苦労も多い事を理解してほしいね。
「ま、流石にこの体じゃそんな高身長になるわけはないか」
「何をブツブツ言うとるんじゃ?」
花蓮さんが少し呆れた表情でこっちを見ていた。
「まあ、確かに中身はおぬしじゃが、見た目はこんなにも可愛いリリーなんじゃ。このベッドでも問題なかろう」
「普通のベッドで良かったんだけどなぁ…」
でも、今の季節はこの天蓋が役に立つかも。
今の季節は夏である。
夏といえば、色々思い浮かべるものもあるだろうけど、天蓋付きベッドが夏に役立つ場面といえば一つしかないだろう。
そう、蚊帳である。
目の前の天蓋付きベッドに付いてる蚊帳は流石にファンシーすぎてちょっと引くが、蚊帳を使って寝るのには昔から憧れていた。特に有名アニメ映画の影響で。
どれくらい蚊を寄せ付けずに寝られるかが楽しみである。
「それにしても、ベッドばかりに気を取られてたけど、部屋も物凄く広いなぁ…」
男の時の俺の部屋は四畳半だった。
それがどうだろうか、この部屋二十畳くらいあるんじゃないか?
これだけ広かったら少し落ち着かないかもしれない…。
それと、設置されてる家電も何気に高そうなのばかりであった。
特にテレビなんかはこれだけデカかったら、観るのって逆に疲れるんじゃないの?っていうほどのデカさだった。
「あ、パソコンがあるのは助かるな」
すでにパソコンを置いてくれていたのは素直に嬉しい。
今の世の中、スマホやパソコンがないと生きていけないよね。まあ、自分の場合はスマホは別にいらないけど、パソコンだけは絶対必要だった。
置いてあるモニターも少し大きめではあったがテレビに比べれば常識的なサイズである。
「おぬしがどういうパソコンが好みかわからんかったでの。とりあえず若者だったらゲームが好きなんじゃないかと思うてゲーミングパソコンにしておいたぞ」
「それは嬉しいけど、よくゲーミングパソコンとかチョイスできたね」
何気にキーボードは文字が光るやつだしマウスもボタンが十二個ついてる。そこまでやり込まないよ…。
「ただの時代遅れのババアにはなりたくないからのぅ」
「自分で自分をババアって言わないでよ、花蓮さん」
すると花蓮さんは俺の方をジッと見てきた。
「中身は別人だとしても、ワシにとってはリリーはリリーじゃ。これからワシはおぬしの事をリリーと呼ぶ」
「う、うん。わかった」
「じゃから、ワシの事を他人行儀に花蓮さんなどと呼ばないでほしいんじゃが?」
その瞳は少しだけ悲しそうな色をしていた。
「そう、だね…。えっと…」
「普通にお婆ちゃんで良いでないか」
「わかった、婆ちゃん」
俺が花蓮婆ちゃんをそう呼ぶと、婆ちゃんは満足気にして頷いた。
しかし、婆ちゃんってそんなに婆ちゃんと呼ぶほど歳くってないように見えるんだけどなぁ。
これだけ若く見えるんだったら、婆ちゃんって呼ばれるの普通は嫌がらないかな?
そんな事はなく、普通に婆ちゃんはリリーに「お婆ちゃん」と呼んでもらいたかったみたいだ。
「それとリリーにこれを渡しておこう」
そう言って、婆ちゃんは俺に何かを手渡してくる。
それは銀行の通帳と印鑑、それとデビットカードだった。
「ワシに言ってくれれば必要な物は揃えるが、自分で何か買い物したい時にはそれを使うと良い。リリーの名義で作っておる。もしも足らんくなったら振り込むでの、遠慮なく言ってくれ」
「あ、ありがと…う!?」
渡された通帳を開いて、俺は驚きに目を見開いた。
通帳に記入されていた金額、一の後にはゼロが七個あった。
「い、一千万!?」
「なんじゃ、少なかったか?やっぱり五千万くらいあった方が良かったかの?」
「いやいや!多すぎだって!!」
とてもじゃないが十二歳の子供に渡して良い金額ではない。
「そうかの?一千万くらいすぐになくなってしまうじゃろ」
「どういう金銭感覚!?」
その後、話を聞いてみたら婆ちゃんは発明品の特許をいくつも持っていて、毎月数千万単位で収入があるらしい。
更にマンションもいくつも持っているらしく、家賃収入もかなり多いと。
そりゃ天蓋付きベッドとか購入するわな…。
「ワシの肉親はもうリリーだけじゃ。ワシが死ねば遺産は全てリリーに相続されるからの」
「今そういう話しないで!?働く気なくなって引きこもっちゃうよ!?」
すでに部屋の中も引きこもりには最適すぎる空間である。
自堕落な生活をして引きこもりにはなりたくないが、一生困らなそうなお金があるって考えたら、堕落してしまいそうだ。誘惑怖い。
「可愛いリリーがいつでもそばにおってくれるなら、引きこもってくれても構わんがのぅ」
「そういう事いわにゃいで!?」
くそ、盛大に噛んでしまった。
こうして、俺はリリーとして婆ちゃんと一緒にこの家で暮らす事となった。
次回更新予定:本日昼12時。
・裏設定
主人公の両親:大事な一人息子が死んでしまい、途方に暮れるが、リリーの応援が死んだ息子からの応援に聞こえた気がして立ち直り、今度こそ子供を幸せに育てあげてみせると、女の子の養子を取る。
・嘘次回予告
今回はお休み。