第二十九話『温かな手料理』
まずはお米を洗って炊く事にした。
炊きあがるまで時間だってかかるし、おかずがあって白米がないのは寂しいもんね。
炊飯器のスイッチを押して、炊きあがりにかかる時間を確認する。
一時間かかるのか、一応早炊き機能はあるみたいだけど…まあ、いいか。
その間に味噌汁や他のおかずを作る事にする。
って言っても、おかずは簡単な物だ。
厚焼き玉子に鮭の切り身の塩焼き、レタス・トマト・玉ねぎを使った鶏肉のサラダ。
とにかく、日本の朝食で馴染みのあるメニューにしたのだ。
もう、夜も遅いしあまりガッツリした物は良くないだろう。それに、椿の様子からして、胃が弱ってそうだしな。
ちなみに、俺は厚焼き玉子は砂糖を使った甘いのが好きなんだけど、椿は塩を使ったしょっぱいのが好きだったはずである。
だからちょっと不慣れな塩の厚焼き玉子を作る事にした。
流石に味噌汁の具の好みや、使用する味噌の好みまでは知らなかったので、味噌は合わせ麹味噌、具材は絹ごし豆腐に玉ねぎと乾燥わかめ、そしてネギである。
本当だったら煮干し(いりこ)で出汁を取りたいところだったけど、時間がないので買ってきておいた顆粒だしの素を使う。
ちょっと関係ないけど、煮干しといりこの違いって、東日本と西日本での呼び方の差なだけであって、全く同じものなんだよね。
地域差で呼び方が違うのって、なんか面白いよね。
ほとんどの料理が、後は仕上げだけの状態になった。
サラダだけは先に完成させて器に入れて冷蔵庫に入れている。
せっかくだから、ドレッシングを作ろう。
って言っても、ドレッシングもすぐに完成してしまう。
五分も時間潰せなかったんじゃないだろうか。
炊飯器を見てみるが、炊きあがりまでまだ四十分近くもかかる。
う~ん、やはり早炊きにするべきだったか…。
せっかくなので、ご飯が炊きあがるまでに明日以降の椿の朝食の準備をする事にした。
味噌にかつお節と顆粒だしの素を混ぜ、団子状にする。
これは手作りインスタント味噌汁の素だ。
あとはこれに乾燥わかめなどを乗せて、熱湯をかければあっという間に味噌汁の完成というわけである。
これをとりあえず十個作ってタッパーに入れて冷蔵庫に保存をした。
あとで、椿に説明をしておこうっと。
出汁用にと買ってきていた煮干しも、朝食などの足しにしてもらう為に料理に使用した。
煮干し、ゴマ、砂糖、醤油、料理酒、みりんで作った簡単な煮干しの佃煮だ。
これもタッパーに入れて冷蔵庫に保存。
ついでだから、今から椿に食べさせるおかずにもちょっとだけ加えようっと。鮭の切り身があるけど。
余ったサラダチキンも、味付けをして炒めた。
これは早めに食べてもらわないといけないな。
そう言った感じで、買ってきていた食材を使って、保存の効く料理や保存はあまり効かないけど、食べてもらいたい料理を作り置きしていく。
そうしてたら、いつの間にか時間が経って炊飯器が炊きあがりを知らせてきた。
「おっと、他の料理に夢中になり過ぎてた」
一時中断をして、今日のおかずの仕上げに取り掛かる。
熱したフライパンに塩で味付けをした溶き卵を流し込む。
ジュッという音と共に、ふわっとした良い香りが立ち込める。
あまり焼き過ぎないようにしながら、フライパンの端に玉子を集めくるくると丸めていく。
追加の溶き卵を流し込んで、同じ作業を繰り返して少しずつ厚焼き玉子の形を作っていく。
三度目の流し込みで、溶き卵を使い切り、最後に丸めたところをほんのりきつね色になるまで弱火で焼いて、厚焼き玉子の完成だ。
あとはこれを一口サイズに切るだけだけど、その前に鮭の切り身を焼いていく。
最初はバターで焼こうかと思ったけど、最初はシンプルに塩胡椒のみの味付けと風味の方が良いかと思って、下ごしらえの時に塩もみをしていた程度だ。
じっくりと弱火で焼いて、中まで火を通す。
焼けたと思ったタイミングで裏返して、反対側もしっかりと焼く。
こういうシンプルな料理って、本当に完成された料理だと思う。
これでも失敗する人がいるってのが信じられない。
鮭の切り身を焼いている間に、厚焼き玉子を一口サイズに切り、切り身が焼けたら、味噌汁を温めなおして、仕上げにサイコロ状に切った豆腐を投入する。
この、手の平で豆腐をスッスッて切っていく瞬間が結構好きである。
この時、ついでだからともう一品、冷奴を追加した。
手間もかからずすぐに準備できて美味しいのが良いよね。薬味におろし生姜があればもっと良かったけど、さすがに生姜は買ってなかったので、かつお節ときざみねぎが薬味である。
「よし!完成だ!!」
料理が完成したので、椿が寝ている部屋へと運んでいく。
テーブルの上にも何やら色々乗っていたので、どけるのがちょっと大変だった。
テーブルに料理を並べ終わると、俺は椿の体を揺さぶり起こす。
「椿、起きて。ご飯できたよ」
「ん、む…」
気持ち良く眠れていたのかどうかはわからないが、椿はゆっくりと起き上がる。
「……本当に作ったんだな」
頭をぼりぼりと搔きながら、テーブルに並べられた料理を見て、椿が呟く。
ほんの少しの間、椿はテーブルに並べられた料理を眺めていた。
「…せっかく作ってくれたんだ、ありがたくいただこう」
そう言って、箸を手に持ち両手を併せる。
そして、味噌汁を少しだけ口に含んだ。
「…うまい」
「良かった…」
椿の好みの味噌がわからなかったし、顆粒だしの素なのでもしかすると椿の口に合ってないんじゃないかと不安に思っていた。
それから椿は、もう一口味噌汁を飲んだ後に、厚焼き玉子に手をつける。
そして一口サイズに切られた厚焼き玉子を、そのまま一口で食べるとゆっくりと咀嚼をして…。
椿はポロポロと涙を流し始めた。
「えっ!?だ、大丈夫!?もしかして、しょっぱすぎた!?」
塩での味付けの厚焼き玉子は滅多に作らないので、もしかして塩が多すぎたのかと思った。
味見をした時には特に感じなかったけど、もしかすると椿にとっては塩が多すぎてしょっぱすぎたのかもしれない。
そう思って、焦っていたら椿は袖で涙を拭いて「大丈夫」と、呟いた。
「…母さんが作ってくれてた玉子焼きに味がそっくりで、その懐かしい味につい涙が出てしまっただけだよ」
あぁ、おふくろの味を感じて懐かしさに涙を流してしまったのか。…色々と聞きたい事はあるけれど、今は後回しにしよう。
少しの間、椿は黙々と俺の作った料理を食べていたが、半分程食べたところで口を開いた。
「こんなに温かな手料理を食べたのは何年ぶりだろうか…」
その目には、またもや涙が溜まっている。
一体、いつからこんな暮らしをしていたのだろうか。
疑問に思う事だらけであるが、今の俺は、椿に信用されていない。とてもじゃないが、話を聞きだす事などできないだろう。
椿がご飯を食べている間に、俺は風呂を入れる事にした。
ダイニングキッチンのすぐ横に風呂場があるのは料理中に何度も見ていた。
俺は風呂場のドアを開けて愕然とする。
浴槽は湯垢塗れでかなり汚く、壁は黒カビだらけだった。
「これ…もしかしてトイレとかもヤバイ状況なんじゃ…」
すぐ横にトイレのドアがあるのが見えるが、中を見るのが怖くて開けれなかった。
とりあえず、壁の黒カビは今すぐにどうこうできる訳ではないので、せめて湯垢を少しだけでも落とそうと、俺は風呂掃除をする。
浴槽をゴシゴシと洗って湯垢を落とす。本当ならピカピカになるまで磨きたいが、あまり時間をかけすぎても椿が寝る時間が遅くなってしまうので、とりあえず全体をササッと洗う程度に抑えた。
そして浴槽にお湯を張ろうかとお湯張りのスイッチをキョロキョロと探して首を傾げる。
「あれ?スイッチがないな…」
少し経ってから理解する。
ウチはオール電化住宅で、スイッチ一つでお湯を一定量まで自動的に溜めてくれるが、椿の家は蛇口から直接お湯を溜めるタイプの家だった。
便利な家に住み慣れてしまった弊害が少しだけ出ていた。
溢れさせないように気を付けないとな。
風呂場から戻ると、椿はご飯を食べ終わっていた。
「ごちそうさまでした、こんなにうまい飯を食ったのは、久しぶりだ…」
「お粗末様です。今、お風呂を沸かしてるので、沸いたら入っちゃってください」
その間に、俺は食器を洗う事にする。
皿を洗っている間、背後から椿の視線を強く感じた。
皿を洗い終わり、ふきんで台所を拭いてからすぐにお風呂のお湯を止めにいく。
お湯は丁度良さげな量が溜まっていた。
「お風呂沸きましたよ」
「ぇ、あぁ…ありがとう…」
椿が服を脱ぎ始めるのを眺める。
あんなに筋肉があってたくましかった体は、細くガリガリになっていた。
そんな椿の体を見て、思わず目を背けてしまう。
もしも、椿がこんな事になった原因が俺の死であるならば、俺はそれを償わないといけないな。
普通だったら叶わぬはずの償い。
俺は、その償いをする事ができる。
その為には、椿に元気になってもらわないとな。
椿が風呂に入ってる間に、軽く部屋の掃除をしながら、俺はそう思案するのであった。
・次回更新予定:明日。
・裏設定
本当だったら二十七話で出しておかないといけなかった裏設定。
椿のフルネーム:黒川 椿
リリーに転性をする前の主人公の親友。
バスケ部キャプテンを務めていて、主人公よりも身長が高くバスケも上手だった。
・嘘次回予告
リリーの手料理は世界を救うレベルの温かさだった。
やがてリリーは地球を飛び越え、宇宙を、銀河をも救う事になる。
次回、天使旧友伝説 第三十話『誰が為の料理』
リリーの歴史がまた一ページ…。




