第二話『橘』
本文中の『転生』を『転性』に訂正。
病的なまでに白い肌の金髪碧眼の少女が鏡に写っている。
辛うじて見える金髪はかなり短い。
まるで丸坊主にしてから数週間経過した後くらいのかなりの短さである。
何故、自分に向けられた鏡にそんな少女が写っているのか不思議でたまらない。
俺はごく一般的な日本人で、髪も目も当然ながら黒い。
肌の色は少し陽に焼けた健康的な色をしていたはずだし、何より性別は男だ。
「見えるか?」
『……ギュッ』
思考が追い付かずに少しだけ遅れて肯定の瞬きをする。
「この娘の名前は、リリー・スコット・橘。今のおぬしの身体じゃ」
ますます意味がわからない。
鏡の少女の紹介をされたと思ったら、今の俺の身体だって…?え、どういう事なの…?
「まあ、理解が追い付かんのはしょうがないよの」
どうやら俺の目があまりにも泳いでいたらしい、目だけでこっちの考えを理解しやがった。
「詳しい事は後で説明するが…おぬしは死んだ。じゃから、その体におぬしの脳を移植したんじゃ」
………今、なんとおっしゃいましたか?
「何かもう一度言ってほしそうな目をしておるの。心して聞くのじゃ」
女性はスッと一呼吸をしてからゆっくりとその言葉を口にする。
「その体に、おぬしの脳を、移植したんじゃ」
あぁ、うん…。なるほど、ね…。
……日本って脳移植して大丈夫なんだっけ?
「さて、どこから話したものか…」
ベッドに備え付けられている機能を使って、女性は俺を起き上がらせた。
ちょっと立ちくらみのような感覚があったけど、これは多分寝たきり状態だったから血の廻りが悪くなっていたんだろう。
ベッドの脇に椅子を用意して座った女性は、顎に手を当てて思案をしていた。
「何か色々言いたそうな目をしとるが、後々詳しく説明したりするでな」
声を出そうと思っても、全然喋る事ができないから一方的に喋られるだけになるけど、まあとりあえずは現状どうなってるかを詳しく聞きたいからしょうがないか。
それから最初に話してくれたのは今日の日付だった。…二ヶ月も過ぎてる…。
いや待てよ。二ヶ月と見せかけて実は何年も経ってたりしないだろうな?
「あぁ、ちなみにおぬしが事故に遭ってからおよそ二ヶ月じゃな。年は跨いどらんから安心せえ」
それには確かにホッとできるけど、安心できる要素ってそんなにないよな?
「さて、まずおぬしの事じゃが…。その体に脳移植をした事はさっき話した通りじゃな」
微妙に首を動かせたので、こくりと頷いてみた。
「いくらなんでもこの日本で許可もなく脳移植をしたりするのは違法じゃ。無論、この事を知っておるのはワシとこの病院の院長だけじゃ」
おいおい、犯罪者かよ。
「ま、院長はワシには逆らえないからの。知ってはいるが何も言えないのが院長の現状じゃ」
いや、院長の話をされても困る。
「当然、おぬしの脳移植はワシが勝手に内密に行った。脳を取り出されたおぬしの元の肉体は、完全に死亡する事となる。まあ、元々脳を取り出す直前には死亡していたがの」
まあ、脳を摘出して死なない人間なんていないよな。
「と、言う事はじゃ。世間ではおぬしはすでに死んだ事となっていて、すでに葬儀も何もかも済んでおる。もちろん、戸籍も死亡届がすでに届けられておる」
「元のおぬしはもはや存在せぬ人間、まあ、元々死亡でしかない未来だったのじゃから、こうして脳移植をして生き永らえた事をあとはどう捉えるかじゃが…」
「まずは勝手に脳移植をしてしまった事については詫びる。すまぬ…。これからおぬしはリリーとして生きていかなければならない。そうなると、男から女へと転性を遂げた事になってしまい、今までのようには生きていけなくなって、苦労してしまう事もあるじゃろう。もしかすると、死んでいた方がマシだったかもしれないという人生を歩む可能性だってある」
「じゃが、それでもワシは…リリーを…可愛い孫娘が元気に動き回る姿をもう一度見たかったのじゃ…」
そう言って、女性は顔を俯かせた。
…ん?今、なんて言った?孫娘?
「少しだけリリーの話をしようか…」
女性は少しだけ遠い目をしながらリリーの事を語りだす。
「リリーは今から十年前、日本人であるワシの息子と結婚したイギリス人女性との間に生まれたハーフの女の子じゃ」
「母親譲りの金髪碧眼はそれはもう愛らしい姿での、目に入れても痛くないと本気で考えたものじゃ」
孫が生まれたら大抵の爺ちゃん婆ちゃんはそう言うよね。
「リリーはワシによく懐いておった。ワシもリリーの事は大好きじゃったから、ついつい甘やかせてしまっていたものでのう。息子にはしょっちゅうあまり甘やかさないでくれと言われたものじゃった…」
「あの時は幸せじゃった…」
過去形、か…。
一体何があったのだろうかと少しだけ考える。
「五年前の事じゃ…あの日、ワシは全てを失った」
「いつものように、リリーは両親と共にワシの家へ遊びに来ようと車で移動をしていたところじゃった。…そこで交通事故に巻き込まれた…」
その言葉に俺は思わず生唾を飲み込む。
俺も交通事故に巻き込まれたばかりの身だ、他人事ではない。
「息子と嫁は、即死だったそうじゃ…。リリーは後部座席にいたおかげか、軽傷で済んでいた…」
「ただし、それはあくまでも体の外傷に限った話じゃ…」
「リリーは事故に遭った際、強く頭を打ったみたいでな…打ちどころが悪く、それからずっと意識不明の植物人間状態となってしまった」
「脳に酷い損傷を負ってしまっていての…脳死は免れたが二度と目覚める事のない身体となってしもうた…」
「ワシは何とかリリーを目覚めさせようと手を尽くした…じゃが、リリーを目覚めさせる事はできなかった…」
少しだけ目に涙を溜めているのが見え、俺も思わず涙腺が緩んでしまう。
「当時五歳で体もまだ小さかったリリーが、ずっと寝たきりになってしまい体だけ少しずつ成長していく姿を見るのは、とても辛かった。それでも、ワシはずっとリリー見守り続けてきた」
「そんなある日、リリーとは逆に体の損傷は激しすぎるのに、脳は全く傷つかずに緊急搬送されてきた患者がおった」
女性は俺の方を見る。
もしかしなくても、俺の事だろう。
「運び込まれたのを見た時はこれで生きておるのが不思議なくらいじゃと思ったものよ。他の医師達も懸命に治療をしておった」
「じゃが、流石に無理があったようでの…おぬしの体はすぐに死に絶えてしまったよ」
やっぱり俺の事だった。
「その時ワシは、すぐに行動を移したよ…突発的な行動じゃった」
「このまま一生目覚めないのであれば、他の誰でも良いからリリーの体を使い、元気な姿を見せてほしかった…そんな安易な考えで、ワシはおぬしの体から脳を摘出し、リリーの体へと移植した」
その結果がコレというわけね…。
「他の医師達にはバレないようにやったが、診断書の改竄や隠蔽などいくつかしなければならない事もあったでの。院長にだけは事情を話して…まあ、脅してやった。ワシはあやつの弱みはいくつも握っておるでの」
あ、悪い顔してる…。
少しジト目で見ていたら「リリーの顔でそんな目で見るでない」と少し泣きそうな表情をしていた。
「そんなわけで、あとはおぬしが目覚めるのを待っていたというわけよ」
なるほどね、まだ不明な点は多くあるし、何か秘密にしているような事もあるようだけどいくつか納得のいくところは見つけられたよ。
まず、この体がちょっとでも動かそうとすれば痛みが走るのは、五年も寝たきりだったから筋肉は当然衰えているし、筋だって固まってしまっているからだろう。
さらに、声が出ないのも声帯が発達していないし、ずっと喉を潤す事なんてしていなかったからだろうね。
これはリハビリが物凄く大変そうだなぁ。
「そういえば、ワシの自己紹介をしていなんだな」
そう言って、女性は居住まいを正す。
「ワシは天才科学者の橘 花蓮じゃ」
おおう、自分で自分の事を天才と言ったよこの人。
「あ、ちなみに化学の方も研究しとるから天才化学者でもあるぞ」
知らんがな。
ってか、医者じゃねぇのかよ。
こうして俺は、橘 花蓮と言う自らを天才と名乗った女性の手により、異世界転生はできなかったけど、そのまま現世に女としての転性をしたのであった。
次回更新予定:本日昼12時。(12時更新予定でしたが、朝の8時に更新しました)
・補足裏設定
花蓮の手術:実は主人公の蘇生に成功してる。
・嘘次回予告
俺は高校生バスケ部、柊 実。
親友で同級生の黒川 椿とその他バスケ部員との部活の練習が終わり、帰宅をしていた。
横断歩道の信号を見るのに夢中になっていた俺は、真横から近づいてくるトラックに気づかなかった。
俺はそのトラックに轢かれ、目が覚めたら…。
金髪碧眼の少女になっていた。
橘 実が生きているとやつら(トラックの運ちゃん?)にばれたら、また命を狙われ、周りの人間にも危害が及ぶ(及びません)。
花蓮博士の助言で正体を隠すことにした俺は、花蓮に名前を教えてもらい、橘 リリーと名乗り、花蓮が研究所をやっている花蓮の家に転がり込んだ。
たった一つの命を繋ぐ、見た目は少女、中身は男、その名は、橘 リリー!
次回名探偵リリー第三話『この嘘次回予告は大体あってた』