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小四郎の剣  作者: 文福 春太
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飛躍

 多田道場では稽古を始める前に、道場主の宗平が訓話を垂れる。

主に技術的な事柄だが、時に精神論へと及ぶことがある。

その中で特に多いのが《女への警戒》だ。


 剣を志す者にとって最大の敵は女人(にょにん)であり、女人に(うつつ)を抜かすことが如何(いか)に剣の修行の妨げとなるかを諄々(じゅんじゅん)と説くのである。

門弟は皆、居住(いず)まいを正しくして聞いてはいるが、内心ではうんざりとしているようだ。

小四郎より入門歴の長い年少組の一人が

「あれは一人娘の美代殿に手を出させないための説教ですよ」

と、小四郎に告げたことがある。


 小四郎は何度か美代と顔を合わせたことがある。

美人と言っても良い容貌(ようぼう)は確かに宗平を心配させるに足るものがある。

だが、小四郎には他に気に掛ける事柄があった。

自分の《突き》が宗平に通じるかを試したい、という渇望が小四郎の頭を支配していたのだ。


 小四郎が思い悩むのは、《小四郎の突き》が上手(うま)くいった時のことである。

宗平に警戒されはしまいか。

宗平から学びたいことはまだまだ多い。

警戒されればそれを教えてもらえなくなる可能性がある、と思ったのだ。

道場主は門弟より必ず強くなければならない。

そうでなければ道場が成り立っていかないのだ。

そのことが小四郎を躊躇(ちゅうちょ)させていた。


 ()る時、小四郎が《突きの稽古》で二度続けて失敗した。

又と無い機会かも知れない。

次に《突き》が決まっても偶然を(よそお)える。

試すのはこの時だ。


 手に汗が(にじ)んだ。

小四郎は宗平目掛けて《突き》を入れた。

宗平の竹刀がこれを払おうとする。

小四郎は右手だけだ。

左手は形だけ(つか)に添えている。

宗平の竹刀が小四郎のそれに当たった。

だがびくともしない。

左手を放して右手を大きく突き出せば宗平を(とら)えることが出来る。


 だが小四郎の頭に《宗平なら見破るかも知れない》という不安が(よぎ)った。

左手を一瞬(つか)から放したが右手だけを大きく突き出すことは出来なかった。

飛び退(すさ)る宗平に当たった。

当たりはしたが、かなり浅い。

しかし、宗平は

「うーム」と唸った。


「見切ったと思ったのだが……

 どうやら《突き》は会得(えとく)したようだな。

 《突き》の稽古はこれまでとしよう。

 だが、これまで試合稽古では《突き》を()けてきたが、これからは除けずに打ち込むぞ。

 お前の突きに対する《受け》は完璧だが、いつ出るか分からない突きの《受け》はこれまでと勝手が違う。

 心して受けよ」

「はい」

「それともう一つ。

 《一刀流の奥義(おうぎ)》と呼ばれる技を使うかも知れん。

 お前には通常の技だけでは太刀打(たちう)ち出来んからな。

 だが、それは入門序列から云って清之進から先に教えるべきものだ。

 それ故、(くわ)しくは教えられんが、自らの才量(さいりょう)で会得してもらいたい」

「分かりました」と小四郎は答えた。

高橋道場でそういったことには慣れている。

問題無い、と心の中で小四郎は(つぶや)いた。


 高橋道場の五郎兵衛のように同じ技を(つづ)(ざま)に繰り出すことを宗平はしなかった。

小四郎が一本取られた技は、次に何時(いつ)出て来るか分からない。

対処法を考えても、それが有効かどうかは、場合によっては一月(ひとつき)二月(ふたつき)と掛けて確かめることになる。


 小四郎にとって(さいわ)いだったのは、奥義と思われる技の半分位は既に五郎兵衛から受けていた技だったことである。

それらの技の対処法は分かっている。

だが、小四郎は()えてその対処法を行使しなかった。

三度、四度と一本取られてから(ようよ)う用いることにしたのだ。

その(かん)に真に受け切れなかった技の()(よう)とその防御の研鑽(けんさん)を積み、辛抱強くその機会を(うかが)った。


 そうこうする内に、ほとんど全ての技に対処出来るようになってきた。

だが慎重な小四郎は一度(ひとたび)(はば)んでも、二度目、三度目は(わざ)と受け損なって見せた。

阻んだことが偶々(たまたま)だと思わせたかったのである。


 その内に宗平はとんでもない技を繰り出してきた。

小四郎には宗平の竹刀の軌跡が全く読めなかったのだ。

何も分からない内に一本取られていた。

『何なんだ、この技は?』

心中は驚愕(きょうがく)に満ちていたが、それを態度には表さなかった。

今度はせめて竹刀の動きを(とら)えたい、と思ったが宗平が次にその技を出してきたのは二月(ふたつき)も後のことである。

その時も宗平の竹刀の動きを認めることは出来なかった。


……もっとあの技を()らってみたい。

  そうすれば攻略の糸口を見出すことも可能だろう。

  だが、もしかするとあの技は宗平にとっての必殺技なのかも知れない……


小四郎が独自の必殺の《突き》を隠したように、宗平も必殺技は隠したいであろう。

これが秘剣と呼ばれるものかも知れない、と小四郎は思った。


……何か対策を考えねば……


 小四郎が考えたのは、奥義と思われる技を《受け切る》ことで宗平があの技を出さざるを得ないようにすることである。

だが、(ことごと)く受け切ってしまえば宗平に疑念を抱かせてしまう。

そこで徐々(じょじょ)に受け切る割合を増やすことにした。


 この稽古を(はた)から見れば、圧倒的に宗平が押している、感じるであろう。

それは小四郎が宗平の小さな(すき)には()えて打ち込まず、大きな隙の時だけ打ち込むためだ。

内実は小四郎の剣技が宗平のそれを上回っている、と言って良い。

だが真剣勝負ならば、小四郎に勝ち目は万に一つもない、と小四郎は思っている。

宗平があの《秘技》を出せば今の小四郎では全く太刀打(たちう)ち出来ないからだ。

目一杯の忍耐が小四郎を自制させていた。


 小四郎の、奥義を受け切る割合が徐々に増えてきた。

宗平が小四郎から一本を取るための時間が多くなってくる。

宗平が苛立(いらだ)つのが目に見えてきた。

だが《あの技》は中々出てこない。


 そんな或る日、宗平が

「今日は所用があるので、あまり長くは教えられんぞ」

と、断ってきた。

「はい、(よろ)しくお願いします」

もしかするとあの技が出て来るかも知れない、と小四郎は(なか)ば期待した。


……今日は目一杯受け切ってみよう……


だが、《受け切る》も何もそれは最初に飛び出してきた。

心構えが出来ていた所為(せい)か、小四郎は視界の片隅で宗平の竹刀の動きを(とら)えた。


……見えた……


だが、その時には小四郎の頭上に宗平の竹刀が迫っていた。

思わず小四郎はこれを竹刀で防いでしまった。

次の瞬間、宗平の竹刀が小四郎の喉元に突き刺さる。

小四郎は大きく()()って倒れ、激しく()き込んだ。


「大丈夫か?」と宗平が小四郎の顔を(のぞ)き込む。

続けて、

「よく最初の《面》を(かわ)したな」と小四郎を()めた。


小四郎はと云えば、喉の痛みに顔を(ゆが)めながらも宗平の太刀筋が見えた喜びに満たされていた。

「今日はここまでにしよう」

「はい」と小四郎はしわがれた声で答えた。


あと数回これを喰らえば対処法を見出せる、と小四郎は思ったのだが、この後、思いも掛けない展開が待っていた。

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