指導
次の稽古日、小四郎は道場に着くと行き成り道場主の宗平から奥へと呼ばれた。
「実は困ったことが起こっての」と宗平が言い、続けて
「一人の門弟の父親が、お前が指導することに異を唱えてきたのじゃ。
無論、儂は
『入門し立て、と云っても同門の弟分に当たる高橋五郎兵衛の道場で鍛えられ、当道場においても門弟の中では一、二を争う剣術の腕である』
と申したのじゃが、中々納得してもらえんかった」
小四郎にとって、いくら年少者相手とは言え、師範代のごとき役割は新参者として荷が重かった。
そこで、これ幸いと
「無理からぬことと思います。
出来ればこの役は辞退したいのですが」と言った。
「まあ、そう言うな。
あとは儂に任せてくれ」
稽古が始まる前、宗平は年少者を集めて言った。
「お前たちは基本が十分とは言えない。
そこを小四郎に鍛えてもらった方が良いのだが、それでも尚、
『上級者に交じって稽古したい』
という者があればそれを許す。
希望する者は申し出よ」
三名の門弟がそれに応じた。
後で分かったことだが、およそ半年後に若君付きの小姓が何人か選定されることになっており、その内の一人は剣術の腕が重視されるというのだ。
条件として、それぞれの家の跡継ぎ、という一項がある。
小四郎も年齢的には当てはまるのだが、篠田家の跡継ぎは兄の大三郎である。
そのため選考の対象にはならない。
何故このような条件があるかと言えば、藩の財政状況があまり芳しくないからである。
新しく家を興すことは財政的に非常に難しい。
若君の小姓を勤めた者が、その任を解かれた時、藩のどこにも居場所がない、というのは聞こえが悪い。
家の跡継ぎならば当主を隠居させ、然るべき役職に就かせることが出来るのだ。
上級組に移った三人は何れも家の跡継ぎだった。
小四郎もこの後おいおい分かるのだが、剣のみで身を立てることが非常に難しい時代に入っていたのである。
小四郎の稽古は五郎兵衛を反面教師としていた。
竹刀の握り方から教えたし、足捌きは自分の袴の裾を捲り上げて、十分に両足の動きが見えるようにした。
試合稽古では、負けた方にはどこが悪かったのかを指摘し、勝った方には良かった点を褒める。
ただ、一人の者が勝ち続けると、全員の前で勝ち続けている者の難点を示し、そこを突かせるようにした。
すると勝ち続けていた者は面白いように負けていく。
それを繰り返して行く内に全体の腕が上がって行ったのだが、小四郎も含めて門弟達にその自覚は全く無かった。
小四郎が指導して半年程が過ぎた頃、小四郎は道場主の宗平に、年少組の一人が道場を辞めることになった、と告げられた。
若君の小姓に選ばれて江戸に向かうのだ、と云う。
確かに小四郎が教えた中では上位にいたが、まだ粗削りで、もう少し鍛えたかった、というのが正直なところである。
宗平は『良く鍛えてくれた』と小四郎を労い、続けて
「改めて基本がいかに大事かを門弟達に言いたいのだが、先に上級者たちと稽古をしてきた三人の年少者がそちらに戻りたいと言ったら受け入れてくれるか?」と小四郎に問うた。
「是非もありません。
喜んで迎え入れましょう」
結果的に三人は戻って来なかった。
宗平は上級者達に基本の大切さを説き、小四郎が基本の修得に成果を上げている旨を告げた。
そして小四郎の教えを受けるものを募ったのだが、手を挙げたのは横川和馬ただ一人だった。
だが、宗平は
「和馬、お前の基本は大丈夫だ」と言って、それを許さなかった。
横川和馬は上級者の中でも五本の指に入る。
小四郎や、小四郎を揶揄した沢田清之進には及ばないが、それなりに精彩を放つ存在だったのだ。
宗平としては、かつて上級組に移ってきた三人に希望してもらいたかったのだが、和馬以外は誰も興味を示さなかった。
結局今迄通りだった。