多田道場
多田道場は小四郎の家からかなり遠くにある。
歩いて半時(約1時間)近くも掛かるのだ。
城下には一本の大通りがあり、その通りに沿って多くの店が犇いている。
その通りから何本も横道が延びてはいるが、大通りから逸れるに従って寂れていく。
道場やら習い事の稽古場は大抵その横道を少し入った所にあるので、道場へはその大通りを通って行くことになる。
昔の町人の遊び仲間と会うかも知れない、と小四郎は期待するのだが、3年の間に小四郎の外観は大きく変わっていた。
背が伸びたことは勿論だが、かつての童顔は影を潜め、やや厳つい顔立ちになっていた。
3年前の小四郎しか知らぬものが今日の小四郎を認めることは難しい。
大通りの東の外れに近い横道を少し入った所に多田道場がある。
道場主の多田宗平は3年前に妻を亡くし、今年十二になった娘と二人暮らしだった。
道場は高橋道場に比べてかなり広い。
道場主の宗平から一通りの紹介を受けて稽古に入り、何人かの門弟と立ち合ったが、誰も小四郎の敵ではなかった。
多田道場に師範代と呼べる者はいなかったが、一人、沢田清之進が相手になりそうだったので、小四郎は清之進に
「一手お願いします」と申し込んだ。
ところが清之進は
「いやいや、神童殿の相手など、とても勤まるものではない」と言って立ち合おうとはしなかった。
……くっ、こんな所まで自分への悪態が流布されているのか……と小四郎は一瞬暗澹たる気持ちになったが、清之進以外の門弟たちは《神童》という言葉を文字通りに受け取ったようだ。
「おい、高橋道場では神童と呼ばれていたらしいぞ」
「どうりで強いはずだ」
その時、何時の間にか防具に身を固めた宗平が
「どれ、儂が相手をしよう」と進み出てきた。
すると門弟たちは乱取りを止め、道場の端の方に正座し始めた。
どうやら道場主が立ち合う時の多田道場の慣習らしい。
小四郎は正眼に構えたが中々打ち込めなかった。
打ち込むときの隙を突かれそうで怖かったのである。
宗平は相手が打ち込んで来そうにもないので攻撃に移った。
凄まじい攻撃だった。
小四郎は良くこれを躱したが何合かの打ち合いの末に一本取られてしまった。
宗平の繰り出す技は全て見知ったものである。
だが速さが五郎兵衛のそれとは違った。
五郎兵衛の時は、技の前後に出来る隙を突くことが出来た(敢て突かなかった場合もあるが)。
宗平の場合は、隙を認めた時には打ち込んできた竹刀を受け止めねばならず、また、その後に出来る隙は『あっ』という間に立て直されてしまうのだ。
「五郎兵衛に大分鍛えられているようだな。
清之進が相手をしないのでは他に相手になる者はいまい。
儂が皆の稽古の後で教えよう」
……またか……と小四郎は思った。
「では何時頃来れば宜しいでしょうか?」
「皆と同じで良いよ。
篠田には年少者の指導を頼みたい。
手当は出せんが、その分個別の指導で勘弁してくれ」
小四郎は、ほっ、とした。
高橋道場の二の舞になるかと危惧したのである。
早速、その旨が門弟達に宗平から伝えられた。
直ぐに小四郎は年少者の指導に当たることになったが、その日の稽古の残り時間は幾何もない。
取り敢えず、この日は家稽古の指導だけをすることにした。
小四郎が課した素振り百本に少な過ぎると不満が出た。
「俺は毎日二百本やっている」
「俺は三百本だ」
中には五百本やっている、という者もいた。
小四郎は
「只の素振りではなく、足捌きを伴った素振りだ」と言い、見本を見せることにした。
足捌きは小四郎独自のものではなく、五郎兵衛を真似た摺り足にした。
宗平の指導と統一性を持たせるためである。
前に大きく踏み出し、竹刀を振り下ろして
「一本」
元の位置に戻りながら振り下ろして
「二本」
右に大きく回り込みながら
「三本」
左に回って戻りながら
「四本」
今度は誰も何も言わなかった。
二間程(3m 超)、前後左右に動きながらの素振りはそんなに楽ではないと理解できたのである。
「これを漫然とやるのではなく、少しでも遠くに、と、少しでも速く行うのだ」
小四郎自身も身につまされる部分があった。
自らの俊敏さにかまけて足捌きの速さを疎かにしてきた嫌いがある。
五郎兵衛の動きに付いていければ良し、としてしまったのだ。
先程の宗平との試合稽古で《速さが足りない》ということを嫌でも思い知らされてしまった。
「いいか、足捌きや、竹刀の振り下ろしを出来るだけ速く」と自らに言い聞かせるように年少者達に語るのだった。