回想:進境
小四郎が七つ(日暮れの約2時間前)頃、道場に向かうと、大抵通常の稽古は終わっており、小四郎が他の門弟達と出会すことはほとんど無いのだが、稀に道場の近くで擦れ違うことがある。
小四郎は軽く黙礼して通り過ぎるのだが、相手は小四郎へ聞こえよがしに、
「神童殿はこれから稽古だぜ。
特別に教えてもらえて羨ましい限りよなあ」等と言う。
『羨ましいのなら何時でも替わってやるさ』と心の中で呟くのだが、不快感は治まらない。
どうやら《神童》が小四郎を揶揄する言葉らしい。
小四郎は本来の意味の《神童》とは掛け離れた自分を見詰めている。
道場での1日の稽古は極めて短時間であるが、それでも1年が過ぎようとしていた。
小四郎の独自の足捌きは漸く五郎兵衛の動きに付いていけるようになっただけだ。
そんな或る日、五郎兵衛は何故か苛立ち、攻撃が雑になっていた。
小四郎への打ち込みは悉く弾き返され、中々1本が取れない。
「どうした。受けてばかりでは勝てぬぞ」
五郎兵衛は小四郎の受けに手を焼いていた。
剣術における隙は攻撃のときに現れ易い。
小四郎に攻撃させようとしたのだ。
だが小四郎は、『えっ』と思った。
五郎兵衛は防具を付けていない。
それ故、これまでの稽古は《受け》の稽古だと思っていたのだ。
中々打ち込んで来ない小四郎に一層苛立った五郎兵衛は竹刀を大きく振り被って小四郎に叩き付けようとした。
それより一瞬早く間合いを詰めた小四郎が竹刀を打ち下ろすと五郎兵衛の左腕にそれが当たった。
「くっ」と五郎兵衛の顔が苦痛に歪んだ。
だが、すぐ様平然と
「今日はこれまで」と言った。
まだ小四郎から1本も取っていない。
「有難う御座いました」
かなりの手応えを感じた小四郎は五郎兵衛を慮って何も言わなかった。
次の日から五郎兵衛は防具を付けて小四郎に稽古を付けるようになった。
五郎兵衛にとって小四郎との稽古はあくまでも付け足しだった。
出来れば短時間で終わらせたい。
だが小四郎からは簡単に1本を取れなくなっていた。
不用意に1本を取りに行くと、その隙を突かれて逆に1本取られるようになってしまったのだ。
そこで五郎兵衛は一刀流の剣技を使うようにした。
《奥義》とか《秘剣》と云った大袈裟なものではないが、門弟でもそれなりの腕前になった者だけに教える技である。
一刀流独自のものかどうかは分からないが他流派の者には安易に見せてはならない、とされたものだ。
小四郎を攻め倦んだとき、五郎兵衛はこの技を繰り出し、小四郎との稽古を四半時(30分位)以内に抑えた。
一つの技が小四郎に有効だと分かると、その技ばかりを出してきた。
剣技の《出し惜しみ》である。
結果的にそれは小四郎に幸いした。
多種多様な技を無作為に出されると、恐らく小四郎の上達にはもっと時間が掛かったことであろう。
小四郎も対応に工夫した。
五郎兵衛の技の《受け》を修得するまでは攻撃しなかったのだ。
《受け》を修得すると、五郎兵衛が技を繰り出す直前に出来る隙や、その技が甘く入って出来た隙を巧みに突いて次の技を暗黙の裡に催促した。
これを繰り返す内に、小四郎の剣術はみるみる上達していった。
入門してから3年の月日が過ぎる頃には小四郎の背も伸び、昔のチャンバラ仲間に出会っても《チビ》とは呼ばれない位には大きくなっていた。
それでも五郎兵衛よりは4,5寸(12~15cm)低い。
その小さい相手に遅れを取ることがある。
最終的には五郎兵衛が3本取って終わるのだが、あと数年で追い越されるような気がしてきた。
もう小四郎に有効な技は残っていない。
体調が思わしくなければ小四郎に負けるかも知れない。
もしそうなったら道場主にとって致命的である。
幸い他の門弟達は誰も見ていないが早めに手を打たないと大変なことになる、と五郎兵衛は考えた。
ある時、五郎兵衛は小四郎を呼んでこう言った。
「他の門弟たちは中々お前を受け入れないようだ」
確かに彼らと擦れ違う度に悪意の籠った言葉を投げ掛けられる。
多くは小四郎を《神童》と揶揄しながら。
「そこで、少し遠くなるが私の兄弟子が開いている一刀流の多田道場があるのだが、そこに移る気があれば紹介状を書こう」
「考えさせて下さい」と小四郎は答えた。
道場を移ることに吝かではないが移る道場は自分で選びたい、と思ったのだ。
小四郎としては《二刀流》を学びたかったのだが、城下に二刀流の道場は全く無かった。
だが、二刀流の道場を捜して尋ね回っている内に、五郎兵衛の言っていた多田道場は中々の評判であることが分かってきた。
小四郎が気に入ったのは多田道場が他流試合を受け入れていることだった。
この頃ほとんどの道場が他流試合を拒んでいた。
道場主が相手に敗れれば、その道場は評判を落とす。
それだけは避けたいのだ。
そこら辺を配慮する兵法者は門弟達が帰った後に申し込むのだが、道場の武者窓から誰かが覗いているかも知れず、大抵は断られる。
小四郎も一度その現場に出会したことがあった。
先ずは型通りに、
「他流試合は受けられない」と五郎兵衛は断った。
だが相手は、
「拙者も一刀流でござる。
他流試合ではござらん」と言ったのだが、五郎兵衛は
「当方は高橋一刀流でござる。
同じ一刀流でも異なるものと承知されたい」と追い返してしまった。
確かに、陰流、新陰流、柳生新陰流等と同派か別派か分からないものが多々ある。
五郎兵衛が独自に築いたものであれば別流派と云って良いのかも知れなかった。
しかし、小四郎は別の流派と戦ってみたいという願望がある。
だが、城下の道場で他流試合を受け入れているのは、どうやら多田道場だけのようだった。
そこで小四郎は五郎兵衛の言に従い、多田道場に移ることを決めた。
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小四郎は高橋道場の約3年間を振り返っていた。
ここで受けた仕打ちは、結果的に小四郎の腕を上げたのかも知れない。
だが、例えそうであったとしても長く停まる所ではない。
高橋先生、あなたは私が強くなったので追い出したのかも知れない。
だが、私は先生が弱いから出て行くのではない。
この3年間で失われたものがある。
かつての物怖じしない快活な性格は、さながら近寄り難い求道者の趣に様変わりしていた。
これは私の望んだことではない。
解っている。
もう戻れないことは解っている。
大きくなった私が小さい頃の私に戻れないように。
でも、それを望んではいけないことなのか?
例え剣が弱くとも、あの頃に出会った人たちと一緒に生きていくことは出来ないのか?
解っている。
もう遅いのだと解っている。
私に残ったものは剣だけだ。
剣では私の望むものは手に入らないかも知れない。
だが剣と共にそれを追い求めるしかないのだ。
多田道場には何も期待しない、と冷めた思いの自分がいる。
同時に、何かが変わるかも知れない、と思う自分もいる。
怯えた自分と気楽な自分が鬩ぎ合う。
これは誰もが乗り越えねばならぬものなのか?
父や兄も同じ思いに浸ったのだろうか?
小四郎は明日からの多田道場を思い、中々寝付くことが出来なかった。
しんとした闇の中で遠くから犬の吠える声が聞こえる。
そうして知らず知らずのうちに小四郎は眠りに落ちた。