回想:修得
五郎兵衛との稽古は相変わらずだった。
……力が必要だ。
竹刀を弾き飛ばされたり泳がされたりしない力が……
その頃、小四郎は家の手伝いをするようになっていた。
奉公などに出ている町人の子等への後ろめたさから、小四郎は自分から家の拭き掃除をする、と言い出したのだ。
百二十石取りの篠田家は藩から小さいながらも屋敷を与えられている。
庭の三方を囲む廊下を雑巾で毎日拭くのだ。
時々、柱や雨戸、門扉も拭いた。
……そうだ。
雑巾を絞る感覚で竹刀を握ろう……
小四郎はそれまで、先ず濡れた雑巾で廊下等を拭き、次に乾いた雑巾で水気を拭き取るようにしていた。
それを変えた。
二度目にする乾拭きを一度目の濡れ雑巾を絞って拭くようにしたのだ。
小四郎がきつく絞った雑巾は良く水気を拭き取ったのだが、下し立ての雑巾でも五日位でボロボロになった。
初めのうち母はせっせと雑巾を縫っていたのだが堪り兼ねて、
『あまり強く絞らないように』と小四郎に注意することになってしまった。
それを受けて小四郎は片手で絞るようにしてみた。
初めは右手だけだったのが、左手だけを使っても乾拭きが出来るようになっていった。
この頃になると小四郎の竹刀は弾き飛ばされも泳がされたりもしなくなった。
だが、五郎兵衛の竹刀は多彩に、右から、左から、上からと小四郎に降り掛かってくる。
良く持ち堪えるようにはなったが、歯が立たないことに変わりは無かった。
……そうだ、片手で五郎兵衛の打撃を受けてみよう……
だがこれまで、小四郎の体勢が崩れて竹刀を片手で持つ状態になると、
『両手で竹刀をしっかり持て』と五郎兵衛の叱責が飛んだ。
そこで小四郎は両手で握っているように見せながら実質片手で持つことにした。
片手の方が柔軟に竹刀を動かせ、五郎兵衛の竹刀に対処できるのだ。
雑巾の片手絞りが片手でも弾かれないようにさせていた。
五郎兵衛の『竹刀は両手で持て』という指導は必ずしも間違いではない。
木刀や竹刀に較べて本物の刀、真剣はかなり重い。
両手でなくては容易に扱えないのだ。
故に道場での《名人・達人》と呼ばれる者でも真剣の勝負に強いとは限らない。
八九三と呼ばれる町人が持つ刀は軽く作られているが、折れ易いので武士が持つのは恥とされた。
高橋道場に入門してから約半年の月日が流れ、多彩な攻撃も小四郎に通じなくなり、五郎兵衛は足を使わざるを得なくなっていた。
上体をほとんど動かさずに小四郎の右や左に回り込んで打ち込む。
又は、素早く小四郎の面前に躍り出て体ごと弾き飛ばしながら打ち込む。
俊敏さを誇った小四郎もその五郎兵衛の動きにはついていけなかった。
五郎兵衛の足の動きを見ようとすると袴に隠れてよく見えない上に、竹刀への備えが疎かになって簡単に打ち込まれてしまう。
お手上げだった。
五郎兵衛の足捌きを真似たいのだが、五郎兵衛は相変わらず何一つ手解きしてくれなかった。
ある時、諦めから茫とした状態で五郎兵衛の竹刀を受けていると、これが思ったより良く防いでいることに気付いた。
何かが解りかけた。
だが、その時には五郎兵衛に3本とられてしまっていた。
「もう1本、お願いします。」と小四郎は言ったが、
「今日はこれまで」と取り合ってもらえない。
次の稽古の日が待ち遠しかった。
小四郎が気付いたのは、
『竹刀の動きを見ても駄目、
足の動きを見ても駄目、
五郎兵衛を確と見据えるのではなく、
五郎兵衛の背後を漠と見ること』だった。
このようにしながら注意を竹刀と足の動きに向けると、ある程度持ち堪えながら五郎兵衛の足捌きを観察できるのだった。
袴の所為で良く見えなかったが、三月もすると足捌きの概要が小四郎にも分かってきだした。
廊下を拭く前に五郎兵衛の足捌きを真似て動いてみると、確かに速く動ける。
ほんの短い距離ならば小四郎の走る動作よりも五郎兵衛の摺り足の動作の方が速いのだ。
だが小四郎はその足捌きをそっくり真似ることはしなかった。
摺り足は廊下や道場の床のような平らなところでは可能だが凹凸のある場所では不可能に思えたからだ。
そこで左右の足の連係動作だけを真似することにした。
五郎兵衛の摺り足は上体がほとんど動かないのに対して、小四郎の足捌きは上体が多少波立つ。
見た目はあまり美しくなかった。
この頃から小四郎の一人稽古の素振りは、足捌きを組み合わせたものに変わっていった。
次回で回想編は終わります。