回想:道場入門
小四郎が通っている剣術の道場を変えることにしたのは十三歳のときである。
体よく追い出された、といった方が良いのかも知れない。
十歳のとき高橋道場に入門した。
それまでは城下の町人の子供たちと遊んでいた。
そうなったのは同じ年頃の武家の子弟が近くにいなかったせいであろう。
小四郎が特に気に入った遊びは《チャンバラ》であった。
手ごろな太さの木を刀の長さに切って、それで打ち合うのだが、当たると結構痛い。
小四郎は小さいながらもすぐに順応して、俊敏に動き回りながら良く相手の手や足を打った。
毎日が楽しくてしようがなかった。
だが、大きくなると町人の子供たちは家の手伝いや奉公に出たりして仲間から離れていく。
仲間に入ったときには最年少で皆から《チビ》と呼ばれていた小四郎も、年下の子が多くなると何となくいたたまれなくなり、父に頼んで高橋五郎兵衛の一刀流道場に通わせてもらうことにした。
高橋道場では、当時普及しだした防具を採用していた。
木刀での稽古は怪我を誘発する。
場合によっては死ぬこともあるのだ。
木刀が竹刀になり、さらに、その打突を防護する用具が考案されていた。
父が買い求めてくれた竹刀と防具を見て、小四郎は
「これからは頭や顔を打っても良いのだ」と思った。
というのは、チャンバラでは頭や顔を打つこと、及び《突き》は禁止されている。
さらに幼い故の手加減を知らない小四郎に手を焼いた町人の子供たちは、
「チビはお侍の子なんだから木刀(キガタナ)ではなく草刀(クサガタナ)にしろ」
と言って、小四郎だけ草で作った刀にさせた。
草刀とは丈の長い草を数本ひもで縛ったものである。
お侍の子なんだから、という子供たちの言い分に小四郎は理由もなく納得していた。
そのような制約がなくなり思う存分遊べるのだと、
小四郎の胸は期待に膨らむのだった。
次回、高橋道場に入門した数日間と、幼馴染の町人の子、権太との再会が語られます。