表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

scene9

 冷蔵庫に二枚、並べて貼られた高校の年間行事予定表は、静流が、蛍光ペンでカラフルに色づけしていた。同じ高校だったら行事を見落とす心配もないのにね、と言いながら、蛍光ペンで二枚の紙に色づけしていた静流が、その選択肢を選ばなかった理由は多分、俺と同じだった。


 中学の頃の成績は、通じて静流の方がやや勝っていたけど、その誤差はテストの合計点にして、十点程度。学年順位にして、一番か二番かぐらいで、常に俺達は学年二十位圏内で、一教科につきジュース一本を賭けて競い合っていた。


 静流は自分の学力より少し上の進学校を、俺は自分の学力より少し下の進学校を。静流の方が前向きで、俺の方が後ろ向き。まるで、拗ねた子供みたいにそうやって、いつも暗に訴えることしかできない。それ以上をしたらいけない。


 立ち入り過ぎないことで、俺達は心地いい距離間を作ってきた。それは、家族としてのつながりで、多分、静流が最も求めているものだ。


 ――静流を求める気持ちが、喪失の予感につながる。昨日より今日、その予感が確かになっていた。


 行事予定表の四月の欄の今日の日は、黄色に光って健脚会を知らせていた。いつもより、おかずの分量の多い弁当に気付いたのは、昼食時になってからだった。


 今朝、静流がまた病院に通うことを初めて知った時みたいに、なんだか自分に嫌気がさした。付き添いは父さんがするから、俺は必要ないらしい。


 小学生でもあるまいし、弁当の中身の多さを喜ぶ気にはなれなかった。義務的に静流の気遣いを残さず食べるそんな自分に、溜息が漏れた。


 昨日より、今日。今朝より、今。じわじわじわじわ、予感が膨らんでいく。不安と同調したそれは、昨日静流が残した言葉に辿り着く。絞り尽くしたはずの劣情が、俺の股間を膨らませて、もう顔を出していた。


 勝手に高鳴る心臓の鼓動は、昨日覚えた静流の感触を求めていた。そんな俺を見透かしたように、淫らに染まった静流のコトバは、カウントダウンの始まりだった。


 欲情に染まった欲求は、一時的に顔を出して、すぐにその影を潜める。でも、勃起した俺のチンポは、萎えるその時まで心待ちにしていた。


 静流の全部を、知る時を。


 静流の願いを思い出して、俺は膝を抱いた。







 その日の夜、昨日と同じ時間に、静流が俺の部屋をノックした――。







 父さんの仕事が定時終わりなので、七時過ぎには三人揃って夕食を摂るのが当たり前だった。


 中学生にして、部活と家事の両立なんて無理だからと、迷わず家事を選択する静流に、酔っ払いの父さんはその健気さに泣いて喜び、シラフになると真顔で「そんなこと気にする必要はない」と言い張った。


 中学生活において、部活はステータスの一つで、重要なファクターを占めていた。それによって交友関係は左右されるし、部活に入らない者はクラスの一割にも満たない少数派に位置して、その少数派閥はどちらかと言えばマイナスイメージに縛られていた。


 おまけに内申にも直接響くとなれば、いいことなんて一つも無さそうなものだけど、当の静流は毎日を満足そうに過ごしていたし、親友にも恵まれていた。そんな静流に遠慮して「俺も部活辞めるぜ! 喜べ静流!」なんて言うのはあまりにも的外れに思えて、中学三年間、俺は野球部に従事した。


 その三年間で、静流は家事に磨きをかけ、俺は球拾いに磨きをかけた。


 高校に上がってからも、静流が部活に入る気配はなく、俺もそろそろ自分の野球の才能に見切りをつけた。


 中学三年間を振り返ると、初めのうちは同居を前提に俺と静流が付き合っているという噂は絶えることがなかったけど、卒業する頃には、誰もが他人の恋愛より、自分の恋愛に力を入れるようになっていた。


 そんな中、周りの目を意識してお互いに学校では極力近づかないよう努力していた俺達に許されたのは、アイコンタクトのみだった。もちろん、俺は視線に好意を込めていたけど、それを受け取って微笑む静流がその意味を解していたかは別の話だった。


 性への目覚めを果たしても、俺と静流の関係に変化はなかった。ただ、静流の瞳だけに満足していた俺の視線は、徐々に静流の胸や脚へと逸れていった。プラトニックな関係に、心は満足しても体が満足しなくなっていた。オナニーを覚えたのは、その頃だった。


 高校に上がっても、そんな風に続くものだと思っていた。


 七時過ぎに三人で夕飯を摂って、皿洗いを手伝って、リビングで談笑して、風呂上がりの父さんの晩酌に付き合って、部屋に戻る。そんな日常。


 満足していたのかと問われれば、満足なんてしていなかった。幸せだったかと問われれば、幸せだった。でも、今どうすべきなのかが分からない。いつだって、答えは実感の後についてくる。答えを先に立てたとしても、思い通りになるとは限らない。


 ――静流が、レイプされたみたいに。


 日常を取り戻す? やめる? 喪失を前提に提示された選択肢のどちらかを、まともな神経で選べるわけがない。どっちを取っても、静流への裏切りになるなら、せめて静流が望む方を。選ぶ? 


 静流はこのままでいてほしいと俺に言った。


 静流は否定しないでと俺に言った。


 どっちも、静流が望んでいる。どっちも、俺が望んでいる。


「おかえり」を言った時、出したはずの答えが覆っていることにようやく気付いたのは、昨日の夜と同じ時間に、俺の部屋のドアがノックされたからだ。


 ドアの外に立っているのが静流だと確信していた。


 今朝、静流はこのままでいてほしいと俺に言った。それは、もう一人の静流と出会う前までの俺に、預けられた願いだった。


 それができないほどに、惹きつけられていた。


 ドアを開けて、静流が部屋に入ってきた。


 ――もう、戻れない気がした。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ