scene12
理性にしがみつこうとして、もうそんなものが俺の中に少しも残っていないことを思い知らされた。口から思わずこぼれた言葉は、理性に寄るものじゃなくて、衝動を促すための確認作業に過ぎない。
静流の答えを予感していることがその証拠で、俺はただその事実に気付かない振りをしているのだろう。
「こんなの……おかしいだろ。お前、こんなこと……抵抗――ないのかよ」
椅子の上で体育座りをしたまま、静流が首を傾げて見せる。もう、静流の目を直視することはできなかった。
「……抵抗? 何それ?」
「なにって――」
「羞恥心? モラルとか、そういうの? もしかして、恥じらいとかあった方が興奮するとか。あいつだったら、こんな誘ってこないとか。この期に及んで比べてんだ?」
「……っそういうことじゃ」
「ないって? じゃあ、どういうこと? 説教でもしたいっての? もっと自分を大事にしろとか? ――だったら、私の存在意義ってどーなってんの?」
抑揚のない静流の声は、まるで独り言のように虚空を彷徨って、俺に向かう。
「言ったでしょ、信ちゃん。私あいつの交代人格なんでしょ? あいつが心に背負えないだけの痛みから逃げるために作りだした「別人」。それが私なんでしょ? じゃあ、私はあいつの捌け口でいるのが存在意義。そのためだけに私はここにいる。でしょ?」
否定も肯定もできなかった。そのどっちを自分が望んでいるかも分からずに、俺は自分のしたことの意味を見せられている。
「そんな願い下げな存在意義なんてどーでもいい。クソ食らえだよ。でも、それ否定したら私は私じゃなくなるでしょ。私の存在意義がそれしかなかったら? だったら、どうする? ねえ? 私どうしたらいい? 欲しいんだよ、理由が。
あいつの捌け口になるためだけに作られた私が、あいつの一番大事なもの横取りしてさあ。なんでって? 憎いからに決まってんじゃん。オカシイくらい、憎たらしいの。だから、あんたを私のモノにしてやんの。それって、おかしい? まともじゃない? フツーじゃないの? ねえ、私って変? だったら、他にいい方法教えてよ」
それが、助けを求めているのか、ただ、諦めて無目的に吐き捨てているのかは分からない。ただ、これが静流の本心だということだけは分かった。答えがどちらに傾いていたとしても、俺はただ、救いようのない自分の馬鹿さ加減と目の前の現実になす術がなくて、ただ、聞くことしかできない。
「恨まないで、憎まないで、ハッピーエンド? そんなのがあるなら教えてよ。あり得ないでしょ。私がここにいる時点で行き着くのはバッドエーンド。――違うってんなら教えてよ。この恨みつらみ全部だよ。全部誰にもぶつけないで誰も傷つけないで、私も罪悪感なしに、願い下げな存在意義なんて忘れられるような、私、生きてるって実感。白々しくて鳥肌立っちゃうような、そんな夢物語を用意できるならご自由に。出来ないなら、もう二度とこんな退屈な質問しないでくれる? ねえ、こっち見てよ」
従わなければいけない理由はなかったけど、言われた通りそうしたのは、そこにあるような気がしたからだ。
俺の中で見つからない答えとか、その癖無くなった理性とか、正体不明の胸の痛みとか、どうすべきかとか、納得いく理由とか、諸々(もろもろ)そんなのじゃなくて。
もう一人の静流の欲しがってる存在意義。それだけしか、もう考えられなかった。
椅子の上で体育座りをしたまま、まだ首を傾げたまま、静流がこっちを見ていた。無表情で無感情に、本心を乗せたその言葉に同情の余地はなかった。
「あいつは信ちゃんのことが一番大切。だから、私は信ちゃんが欲しいの」
同情の入る隙間もない徹底した静流の願望に、それでも静流だけを気にかけるしかできないこの正体不明の感情に言葉を当てはめるとしたら、なんだろう。恋というには白々しかったし、嫌悪というには程遠い。
もっと近しくて、寄り添いたくて、知りたくて、求めてる。今言葉にするにはあまりにも掴みどころがなくて、俺はただ胸の痛みを我慢するしかなかった。静流は俺と類似した気持ちを俺に抱いてる。でも、その出所も向かう先も俺とはまるで違った。
存在意義。ただ、それだけのために静流は俺を求めてる。そして、そうすることでしか埋められない静流の心の救いようのなさに、俺は心を痛めてる。まだ、完全に二人の静流を切り離せないのに、この痛みも気持ちも、今初めて知ったものだった。
もう、否定することも忘れて確信し始めていた。
「――今のが、私の本心だよ」
まるで媚薬のように、静流の本心が俺の気持ちを弄ぶから、俺は。
「次は、信ちゃんの番」
ただ、胸を痛めながら、流されるしかなかった。
「……本心。見せてよ」
疑うことも忘れて、考えた。どの時点から、俺は静流に惹かれたんだろう?
誰でもない、目の前の静流に。
答えを見つけられないまま、ただ、静流を抱きたいのは、きっと。
静流の存在意義のため――だけじゃないと、思いたかった。