第二話・勇者様うっかり殺人事件。
……目が覚めてしまった。
女共はダークドラゴンを焼いた焚き火の周りを囲むように、行儀よく眠っている。 寝相の悪いフータだけが少し離れた場所でイビキをかいていた。
尿意を催したので、大の字で眠っているフータの下半身を目掛けて小便をかけて、勇者様のおねしょを演出してみた。
……起きない。ダークドラゴンとの戦闘で余程疲れていたのだろう。 寝ぼけていたといえ、こんな子供染みたイタズラをしてしまった自分を申し訳程度に恥じた。
「……ごめんフータ。 明日迷宮を出て……万全で言い訳出来ない状況になったら、完膚なきまでにコテンパンにしてやるからな……覚悟しとけよ、クソッタレ勇者さんよ」
そう優しく語りかけ、踵を返した瞬間。
ポケットから毒の小瓶が滑り落ちた。
「あっ、やべっ」
ダークドラゴンの毒がたっぷり入った小瓶が、寝ているフータの顔の横で割れた。
「あっ、ヤバイ。やばっ!」
飛散した毒の飛沫がフータの顔面に満遍なくふりかかってしまった。
……何故かフータが満足げな表情で口をモゴモゴと動かしている。 ちょっと待ってよ。このタイミングで美味しいものを食べてる夢とか見ないでくれよ。
「んん……むにゃ……へへ、もう食べれねぇよぉ」
今、この世で最も聞きたくなかった寝言。
フータはペロリと舌なめずりをした。
恍惚とした表情で、美味しそうに咀嚼している。
「ん〜……むにゃ……むにゃ……」
「あーーーっ! だめだってぇ! 」
フータの身体がビクッと震えた。
突然目を見開いたと思ったら、一瞬にして眼球を裏返して白目を晒した。電気ショックを加えられたかのように全身をバッタンバッタン痙攣させて、「ヴヴヴヴヴェヴゥ……」となんとも言えない声を漏らしながら泡を吹いて絶命した。
その間、僅か三秒。 致死性の毒だとは思ったけど限度があるだろ。首席卒業天才魔導師の僕でも、三秒で死なれたら打つ手がない。
頭の中が真っ白になった。
失禁してしまったのだろうか? フータの下半身はずぶ濡れになっていた。 こんな時でも「汚ねえなぁ」という感情が脳裏を掠めてしまう辺り、人間というのは業が深い。 あ、違うわ、この演出をしたのは僕だ。
……頭の中が混乱している。 殺してしまったのか……? 僕のうっかりミスで。 確かに殺してやりたいとは思っていたけど、それは本当に殺したかった訳じゃなくて、「死に限りなく近い屈辱を味あわせてやりたい」という意味の「殺してやりたい」だった。
勇者の亡骸。その傍らで暫し呆然とする。
……そして僕は考えることをやめた。
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青白くぼんやり光るつららのような鍾乳石の陰で膝を抱えていると、「ふぁ〜あ」というあくびの声が聞こえてきた。
最初に起きてきたのは勇者のセフレ一号、盗賊のリンコ。 こちらに近づいてくると、まずは僕の頭をひっぱたいてきた。
「おは、ザコ」
そう言ってフータの亡骸に歩み寄り、頭を何度か撫でて「おっはよ! フータ様!」 と言いながら優しくキスをした。
「……クッサ! え!? 何これ! 」
フータの唇には毒が残っていたのかもしれない。 驚いた顔で僕を見たので、咄嗟に目を伏せた。
リンコは再びフータの唇に顔を寄せると、恐る恐る毒の匂いを嗅いでいるようだった。
「…………ンツォヴェッ!」
絶妙な声を上げてリンコは卒倒した。
フータの唇に残った毒の匂いだけでやられてしまったのか? またはキスをした際に微量に摂取してしまったのかもしれない。 ピクピクと痙攣しているが、これは僕の治癒魔法で回復できるレベル。 よって放置。
その騒ぎを聞きつけ、次に起きてきたのはコソ泥僧侶のカンナ。
眠そうに目を擦りながら僕に接近し、肩に前蹴りを入れてきた。
「おうおう、一晩寝て頭冷えたかぁ? おいゴミクズぅ」
「はい……昨日はすみませんでした」
このカスに謝るような事はしていない。 僕はフータの事を謝ったのだ。
カンナは腰に手を当てて鼻から息を抜くと、気絶しているリンコを一瞥した。
「あぁ!? リンちゃん昨日抱いて貰ったんか!? 絶頂の果てみたいな顔しちゃって! うわぁ〜腹立つぅ!」
カンナは気絶しているリンコにも鋭い蹴りを入れて、フータの亡骸の傍に滑り込むと、身体を寄せて添い寝の体勢を取った。
「フータ様ぁ、 あの二人ばっかり抱いてないでぇたまには私も抱いてくださいよぉ〜う」
フータの顔に頬ずりをしている。
やめておけと言おうとした瞬間に、いや本当は言おうとしてないけど、こいつもキスをした。 ヤリマンには寝ている勇者にキスをするってマニュアルでもあるのか。 カンナはすぐに異変に気付いて顔を上げる。
「……ドゥルジェッ!」
奇妙な声を上げ、身体を仰け反らせて失神した。 やはり白目を剥いて泡を吹いている。 先ほどのリンコよりも、ずっとまともに食らってしまったのだろう。…… よって放置。
……僕はサーンの枕元に立った。
目を覚まして、他の二人のようにフータの側に近づいていくようなら、止めなくてはならない。 ……この騒ぎでもまだスヤスヤと眠っている。 幼い頃と変わらない、可愛らしい寝顔だ。
「んん……あぁ、体が痛いぃぃ」
起きた。 身体が痛いのは当然だ、サーンは一番頑張っているからな。 ……才能も実力もからっきしのくせに。 いや、才能も実力もないからこそ頑張ってしまうのだろうな。 僕はサーンのそういう所だけは尊敬している。 だから、僕は0.2秒でサーンの肉体疲労を回復させてあげた。 慣れたものだ、幼い頃から、何度も何度もかけてあげてきたヒール。
「あれ? すぐ治った。 やっぱ私って回復力ヤバイわ。冒険者向きの体質だ。ね?」
サーンが僕に笑みを向ける。
僕は「そうだね」と答えて優しく彼女の肩を叩く。
「気安く触んなよカス」
「ごめん」
「……もう!まーだ寝ているの、フータくんったら!」
サーンは流れるような動作でフータに覆いかぶさり、「んーっ!ちゅっ!」とソフトなキスをして、そのままひっくり返って泡を吹いた。 もういいや、放置。
これで僕以外の全員が気絶した。 1人は死亡している。もうどうする事も出来ない。 何が何だかわからない。僕が殺したことがバレる前に、フータを抱えてこの迷宮を出よう。
「……おい、フータ様を連れて……どこに行く気だ……! 」
フータの亡骸を担いでいたら、最悪のタイミングでリンコが起きてしまった。 回復が早すぎる、そう都合よく寝ててはくれないか。 彼女は隣で気絶しているカンナを揺さぶって、起こそうとしているようだ。
「違うんだ! なんていうかその、これは事故だから! 僕が殺ったわけじゃない! 」
「なんの魔法を使った……ゲホ! 頭がクラクラするぞ……おい! フータ様を離せ!」
僕はおとなしく、フータの亡骸を地面に寝かせた。
「フータ様に睡眠薬を盛ったのか!?何を企んでるんだ、ただで済むと思うなよ……?」
僕は何も企んでいない。 毒を盛るなんて卑怯なマネだってこれっぽちも考えてなかった。
ただ……「運命」と言う名の意思を持たない怪物が、フータに永遠の睡眠薬を盛ってしまったんだ……
【……黄昏に舞いし火種を打つは枝垂れ草。微睡む日暮れの幼さよ、覆い惑うは深淵の……】
まずい、目覚めたカンナが詠唱を始めている。
いや別にまずくはないんだけど、やっぱ詠唱って長いな。 戦闘中にしょーもないポンコツ魔法出すために後衛でブツブツ喋ってるのをよく見てたけど……そんな自分に嫌気がさしたりしないのかな、このガラクタ。
……まだ魔法陣を展開してない。 地面に手を添えているので、おそらく地形に干渉する魔法なのかな?……この低脳にそんな魔法使えるわけないか。 低級魔法の詠唱なんていちいち覚えていないからわからないや。
ぼんやり見ていると、リンコが間合いを詰めてきて、肉弾戦を誘ってくる。それを軽くいなしながら、空中で瞬時に魔法陣を展開。カンナが発動直前まで練り上げた低俗な魔術式を一瞬で打ち消す。
「あれ! え!? な……なんで!? もしかして消された!? 」
カンナが叫ぶ。
「へーきへーき! こんなザコ相手に後衛の援護なんていらねぇよぉ!」
リンコが上段の蹴りを放ってくる。
左腕を魔力で強化して受ける。軽い、軽すぎる。 僕としたことが、魔力の無駄をした。
こんなもん生身でモロに食らってもダメージはないだろう。 藁の束で叩いたのかってくらい軽い。 カナブンくらいの昆虫が顔に衝突した方がよっぽど痛い。
「最後に忠告しておくけど……弱いよ。 こんな蹴りじゃ虫も殺せない」
「うるせぇよキモオタ!」
反対の左足で中段に蹴りを入れてきた。
……甘すぎる。右足を止められたから左の中段? そんな攻撃、赤子でもゴブリンでも読める。僕はリンコの両足を掴んで地面に叩きつけ、思いっ切り股を開かせた。 ご開帳だ。
「さすが勇者の肉便器。股が緩けりゃ下着も汚い」
「は、離せえっ! 殺すぞ童貞!」
ずっと起動させていた空間認識魔法が、後方で弓を引くサーンを捉えていた。別にこのまま躱してもよかったが、あえてフータの亡骸を盾にして三本の矢を遮った。「ドドドッ!」 と小気味良いリズムを刻む。 全弾、見事腹部に命中だ。
「あぁっ! フータくぅーーん!」
何がふーたくぅーんだ、撃ったのはお前だろヘタクソの尻軽女め。
そろそろ圧倒的な力の差を見せてやる必要がありそうだ。 これまでパーティではサポートに徹してきた。 牽制や誘導に軽めのやつを使うことはあっても、まともな攻撃魔法など殆ど見せたことがない。それは、前衛の専門家が居たからだ。 僕はいつも治癒と最低限の上乗せで陰ながらパーティを支えてきた。
……それに、僕は自分の魔法をひけらかすのが大嫌いだった。 学校でも課題以上の魔法は使わなかった。
得意になって習っていない中級魔法をひけらかして人気者になっているゴロツキまがいのボンクラ供が、とてもいやらしく見えて鼻持ちならなかったし、その「強さ」にひれ伏して金魚の糞みたいにくっ付いている女たちも酷く卑しく見えた。
だから僕は、そうはなりたくない、と強く思うようになった。
それでも僕には子供っぽいところがあって、成績でだけは絶対に僕より上へ行かせない、とおかしなプライドだけはずっと守ってきたんだ。
……今は状況が違う。 追放を言い渡されてから、僕が魔法学校時代に築き上げた「生き方」とか「矜持」みたいなものが全て吹き飛ばされてしまった。
……そうだな、こいつらには一番優しくて可愛い感じの攻撃魔法を見せてやろう。 慈悲深い魔導師だろ? ありがたいと思えよクズども。
僕は体内の魔力にブーストをかけた。 溢れ出した魔力が全身を覆うように迸る。
「……な、なんだ……それ……」
三人のうちの誰かが呟いていた。まずは土下座して命乞いが筋ってもんだろクソッタレめ。あばよ、勘違い女ども。
「〝冥土の旅の一里塚〟」
僕の魔力で生成された数千羽のツバメ達が女達を襲う。 実際は「魔弾」と呼ばれる魔力の塊を、僕の趣味でツバメ型にしているだけのシンプルな攻撃。
しかしその圧倒的な物量で、対象の五感ほぼ全てを奪う無慈悲な弾幕だ。 こんなにエゲツない弾数の攻撃魔法なんてお目にかかった事がないだろう? 痛いか? ん? ザコども。
あぁ、気分が良い。 気持ちがいい。 圧倒的な力で捩じ伏せるのは、こんなにも爽快なものなのか。 みんながみんな、馬鹿みたいに自分の力を誇示しようとする気持ちが少しわかった。
「こ、これでわかったよなぁ? 僕はフータと王都に行く。きっ、君たちみたいな弱者は、僕達のパーティに必要ないっ」
「この……! クソ野郎……!」
「フータ様に矢が刺さってるだろぉ……! はやく治癒魔法かけろこらぁ! 」
まだ喋る余裕があったのか、うるせぇんだよカスども。 まだ僕が喋ってる途中だろうが。なんならここで殺してやってもいいんだぞ? 大体、矢が刺さっても起きないフータに疑問を抱かないのか? 頭にスライムでも詰まってんのかよ。
僕は積年の怨みと魔力を込めて、最上級雷魔法の術式を展開した。 薄暗い迷宮の上部に文字通り暗雲が立ち込め、雷の低い唸りがゴロゴロと轟き始める。
「〝不機嫌な雷神〟」
当たらないように調整して、迷宮内に1分間、計120発の雷を落としてやった。
ズタボロになった三人の女が地に伏せ、僕をバケモノでも見るような目で見ている。
いつも自信満々で、怖いものなんて何一つないような顔でイキイキしていた彼女たちが。
今は無様に鼻を垂らし、小便を漏らし、慄然とした表情を浮かべながら全身をブルブル震わせて泣いている。 殺されると思ったんだろう。
逃げようとしているみたいだけど、逃げられる訳がない。僕が広範囲に重力魔法をかけてるんだから。
「ざっ、ザコどもぉ! せいぜい必死に鍛錬して、僕たちに追いつく事だなっ! 」
僕はもうここに居たくなかった。
一刻も早く立ち去りたかった。
さっきの爽快感は嘘みたいに消し飛んで、胸の奥に鉛玉が沈んでるみたいな気分だ。
すぐに空間転移の魔法陣を展開した。 魔力の消費がかなりデカイが、フータの死体を連れて行くくらいなら大丈夫だろう。 行き先は、僕がいつも黄昏ている人気のない街外れの草原。 とりあえず……フータの死体をなんとかしないと。
「ダメージカットと……魔力強化のバフはめいっぱいかけておいてやる。 それがなきゃ弱い君たちはこの迷宮を出る前に死ぬ。 軍隊ゴブリンにでも出くわしたらあっという間に……」
視界の隅で何かが動いたのを察し、視線を送る。 奇形のゴブリンが下半身に巻いてある布を脱いでいた。
「おっ、おいゴブリン何やってんだ! パンツ脱いでる場合じゃない。 ……ったくここぞとばかりに犯す態勢に入って……」
奇形のゴブリンはポカンとして僕を見つめている。
「油断も隙もない。 さぁこっちにおいで、君も来るんだよ。 ホルマリン漬けにして、インテリアになってもらうんだから」
ゴブリンを魔法縄で拘束し、引き寄せる。 こういった奇形のゴブリンを気持ち悪がって触れようとしない人は多いけど、僕は全然抵抗がない。 そういうところもみんなから気持ち悪いって言われたりする所以だけどさ。
「じゃあ、多分もう会う事はないだろうけど。 さよならみんな」
リンコ、カンナの2人は「殺さないで、殺さないで」と顔をグシャグシャにして命乞いをしてくる。 僕は、この迷宮を出るために必要なプロテクト魔法とバフをかけてやった。
「……じゃあ、元気でね、サーン 」
彼女は嘔吐しながら、虚ろな瞳で僕を見つめている。 僕と視線が合ってすぐ、両手両足をバタつかせて、僕から離れようと必死になっていた。
「……さよなら」
——僕は、魔法学校時代の、「魔弾」の試験を思い出していた。
一定の威力を保ちながら、どれだけ遠くまで魔弾を飛ばせるか、という子供騙しみたいな試験だ。
嫌われ者だった僕に「魔弾」のコツを聞いてきた男がいた。
とっても真面目で誠実な男で、仲良くなってからは毎日練習に付き合って、魔弾の扱いに関しては学校で僕に次ぐレベルになった。
僕は、試験の本番で手を抜いた。
彼が撃つ魔弾に、少し及ばないくらいまで調整して、「トップ」を譲った。
次の日から、彼は口を聞いてくれなくなった。
僕はただ、仲良しでいたかっただけなんだ。
彼を喜ばせたかった。 あんなに頑張っていたんだから、その努力を間近で見てたから、一番を取らせてあげたかった。
その行動が、彼を傷つけてしまうなんて思いもしなかったんだ。
いつだってそうだ。
僕の行動は全部裏目に出てしまうみたいで、結局は嫌われてしまう。
普通にしていても、頑張ってみても、最後は嫌われてしまう。
本当は、仲良くしたいだけなんだよ。
みんなが作る輪の中で、上手に、正常に、ひっかからないように。
くるくる回っていたいだけだったんだ。




