終わりの始まり
西暦1945年8月6日午前9時15分(日本時間)
アメリカ合衆国 ハワイ オアフ島
中部太平洋方面連合国軍最高司令部
このとき、ハワイ時間では、8月5日午後2時15分になる。
最高司令部は大混乱のただ中にあった。
「戦艦〈ウィスコンシン〉より入電! マリアナ諸島に正体不明のロケット弾多数が着弾! 大爆発を起こし、航空軍に壊滅的被害が出ている模様!」
「第3艦隊司令部より続報! 沖縄の第10軍についての被害報告です! 損耗率が概算で、4割超とのこと!」
「硫黄島守備隊より緊急信! 国籍不明機による空襲を受けている模様です!」
最高司令官、ニミッツ提督は髪を掻きむしる。
「意味が分からん。どういうことなんだ?」
提督の問い。これに情報主任参謀が応じる。
「日本軍の総攻撃と思われます、閣下」
この返答に提督は苦笑する。
「総攻撃だと? 大した総攻撃があったものだ!」
現状は常識を超越していた。
沖縄と、マリアナが核攻撃――それも同時多数の――を受けている。日本本土を強襲していた第11艦隊は壊滅。編成表から姿を消している。伊豆大島上空では、多数のB-29が一方的に叩き落とされている。
おおよそ、あり得ない事態だった。これほどの軍事力が日本側にあったのであれば、もっと早い段階で反撃され、大損害を被っていたはずだ。だが、それは無かった。
本土に引きつけ、こちらの補給線が伸びきったところで反撃する計画だったといても、既に日本各地の都市は戦略爆撃でボロボロ。論理的に考えて、反撃するのが遅すぎる。これでは意味がない。
「例のアレが関係しているのか?」
提督は再度問いかける。
「さて、それは何とも……情報が不足しておりますので」
参謀の煮え切らない返答。
例のアレ――それは、1カ月ほど前から発生していた謎の時間移動事件だ。
日本を爆撃していたB-29の一部が通常どおりに任務を行い、帰投(少なくとも搭乗員たちはそう思っていたらしい)。だが、帰還してみると、基地側では1週間ほどが経過。大騒ぎになっていたというもの。
時間移動の規模はマチマチ。1週間の時もあれば、五時間程度の時もある。この事件の話は、箝口令が敷かれていたにもかかわらず、前線の兵士たちの間で瞬く間に広まった。
曰く、日本軍がタイムマシーンを開発した。曰く、宇宙人が人体実験目的で米兵を誘拐している。曰く、アーネンエルベの秘密兵器。
噂は日増しに拡大。一人歩きをしていた。このため、それを払拭するべく、連合軍では日本本土への大規模攻撃を決定。第11艦隊を新編。さらに、第313爆撃団を急きょ投入。広島への核攻撃と合わせて、大規模攻撃作戦を実施していたのだが……。結果は失敗。大損害を生んで、これといった戦果はなし。完全な敗北だった。
「それにしても……」
情報参謀が言葉をつづける。
「出現したジェット機。これに、赤い星が描かれているというのが気になります」
「そう。そこが問題だ」
提督が応じる。
「仮に部隊マークを誤認したのだとしても、広範囲にわたって目撃されているのは奇妙だ」
日本の国籍マークは、赤丸。赤星ではない。従って、赤星を付けた航空機を目撃しても、部隊マークと判断するのが自然だ。だが、これだけ各地の部隊で目撃が相次いでいるというのは……異常だった。
「緊急信! 第3艦隊、マケイン提督より! 日本軍機多数の空襲を受け、大損害! ハルゼー提督は戦死した模様です!」
新たな報告が舞い込む。二人は顔を見合わせた。確かにこの時期、第3艦隊は沖縄方面に展開。日本の神風攻撃隊から執拗な攻撃を受けていた。だが第3艦隊は、優秀な艦載戦闘機に加えて、効果的な防御陣形を採用。被害を極限にまで抑えることに成功していたはずだ。
さらに、凶報はそれだけに留まらない。
「急報! アラスカに弾道弾と思しき飛翔体が多数命中! 正体不明の大規模爆発を観測したとのこと!」
今や、事態は急速に悪化していたのだ。
だが、まだ最悪ではない。
全体像を俯瞰できるものがいれば、これはまだ始まりに過ぎないことを知るだろう。
++++++++++ ++++++++++
日本海の一角。佐渡島の沖合10km地点。その海の中。そこに、それはいた。
ボレイ級戦略任務重原子力潜水巡洋艦の壱番艦『ユーリー・ドルゴルーキー』だ。彼女はソ連海軍が誇る戦略原潜の一隻。
全長180m。水中排水量25,000t。R-30M“ブラヴァー”潜水艦発射弾道弾を16基搭載。さらに、それぞれの弾道弾には、8発ずつの核弾頭が搭載されている。
たったの一隻で、米国を破壊できるだけの火力を有している艦だ。
その死と殺戮の使者はこのとき、ソ連海軍の箱庭たる日本海をゆっくりと回遊中だった。
地上のことなど何も知らずに……。
「艦長。海上に大きな動きがあります」
ソナー員長がそう報告してきた時、艦長は発令所にいた。もともと潜水艦の艦長はかなり根気を要するものだが、戦略原潜の場合、さらに酷い。海に出てしまえば、何カ月も同じことの繰り返し。戦略原潜の軍事的重要性を鑑みればやむを得ないことではあるが、海面に出ることすらない。
従って、このような報告は、息抜きの絶好の機会だった。退屈な発令所勤務に飽き飽きしていた艦長は二つ返事で席を立ち、ソナー室へと向かう。
発令所はソナー室のすぐ横。移動にはさしたる時間を要しない。目的地にはすぐに着いた。
「海上に動き?」
ソナー室に入ると同時、艦長は疑問を口にする。
「はい、艦長」
ソナー員長は、液晶ディスプレイの一枚を指さす。
そこには、多数の艦船の航跡が描かれていた。ソナーが捉えた音響データをもとに割り出されたものだ。
艦長はその表示に目をやり、眉を顰める。報告通り、それはいびつだ。多数の船が急遽出港。港に向かっていた筈の船舶も、急に転進し港から離れようとしている。
「速度は?」
艦長の問いかけ。
「かなり早いです。私の見たところ、ほとんど全ての船が最大速度で航行中です」
ソナー員長は即座に返答。艦長の問いを予期していたのだろう。
「特に……これを見てください」
ソナー員長が指さす航跡。それは原子力巡洋艦『ピョートル・ヴェリキー』だ。太平洋第二艦隊の旗艦である彼女は、舞鶴基地を出港。最大速力で北へと向かっている。
「地震かな?」
艦長の問いかけ。七年前の東日本大震災の時は凄まじかった。日本海に展開していたほとんど全ての艦が、楽団でも乗せているかのような騒音をまき散らし、津軽海峡へ突進していったのだ。
だが、この問いにソナー員長は首を振る。
「違うと思います。地震のような音は現在探知していませんし、そもそも、各艦の進路はバラバラです。何処か特定の目的地を持っているようには見えません」
この答えに、艦長は首を捻る。しばらくたって、艦長は口を開く。
「とすると……演習か?」
それは、当然といえば、当然の疑問。戦争のない、平時の軍隊の行動は単調。退屈を紛らわせるため、演習は良くある。提督の誰かが、兵の士気を上げるべく突発的な演習を思いつくこともしばしば。
だが、この問いにソナー員長は肩をすくめる。
「不明です。仮に演習だとしても、規模が大きすぎます。定期運航のタンカーまで動員するのはいくら何でも……」
――――やり過ぎです。
そんな言葉をソナー員長は飲み込む。これが本当に演習だった場合、上層部批判と取られかねないからだ。
「ふうむ?」
艦長がうなる。
状況が不明だった。
こんなとき、水上艦なら衛星を通じて、ある程度の状況は手に入るんだが……。生憎と彼の乗っているのは戦略原潜。
その価値は――政治的にも軍事的にも――極めて高い。海面の状況が気になるからと言って、おいそれと通信可能深度まで浮上する訳にはいかなかった。
「まあ、大したことではあるまい」
艦長はそう結論を出す。
おそらくは、予定にない大規模演習だろう。
米ソの核戦力は、地球を軽く百回は滅ぼせるほど。アメリカ大統領がどんな間抜けであろうと、戦争になどなるはずがなかった。
「この動きが何であれ、今日の昼には原因が判明するだろう」
戦略原潜は二日に一度、通信傍受可能深度にまで浮上し、通信用アンテナを展開することになっていた。祖国が壊滅していないかを確認するためだ。定期放送を受信できれば、祖国は無事。できなければ、報復攻撃を行う。
そのことは、全員が承知していた。この船の乗組員だけでなく、アメリカ人たちも。
それと同時。せっかく通信傍受用に浮上したのだからと、幾らかの情報も受取る手はずになっている。そのときに、海上のダンスについての情報も手に入るだろう。
そして、彼女、『ユーリー・ドルゴルーキー』にとって、次の通信傍受予定はこの日の正午。危機回避上の問題から、流石に正午ちょうどに浮上する訳ではないが、それでも尚、大凡その位の時間には事情が判明するはずだ。
艦長は肩をすくめると、発令所へと戻っていく。昼飯まで、どうやって時間を潰そうかと考えながら。