第二話 邂逅①
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エレノーラ=ハイネル。メルカリア聖騎士団長、オットー=ハイネルの娘で、ローレンスが騎士団にいた頃婚約していた女性。上流貴族の出で箱入りのお嬢様であったが、本人は非常に気が強く騎士団長の娘という肩書に恥じない凛とした女性だった。
言動も少々型破りなところがあるのはローレンスもうすうす感じていたが、まさか故郷から遠く離れた、こんな場末の酒場で再会するとは誰が予想しただろうか。
「それで、メルカリアを離れて、こんなところで何をしていたんだ?」
店内の隅のテーブルをはさんで、ローレンスとエレノーラは向かい合っていた。エレノーラは酔っ払いを相手にしていた時の気丈さから一変して気まずそうに下を向いている。テーブル上の小さな傷を穴が開くほど見つめて黙っているので、ローレンスは深いため息をついた。
「ここは君のような貴族の令嬢が来るところじゃない。そもそもいつメルカリアを離れたんだ?団長殿はこの事を知っているのか?」
団長という言葉を耳にした瞬間、エレノーラの肩が僅かに動いた。貝のように閉ざされていた彼女の唇が小さく開く。
「……お父様には黙って出てきました」
「黙って出てきた?何故?」
「喧嘩しましたの。だから、もう家には戻りません」
はっきりと告げるエレノーラにローレンスは絶句した。
「喧嘩って……、原因は何だ?」
するとエレノーラは急に険しい顔になって唇をわなわなと振るわせる。
「―――から」
「ん?なんだ、よく聞こえな―――」
「あなたが勝手に騎士団を辞めて婚約を解消なさったから!」
エレノーラは見ていてこちらが痛くなるほど勢いよくテーブルを叩いた。酒場に残っていた客たちが一斉にこちらを振り向く。彼女の怒号に、なんだなんだと野次が飛ぶ。
「お父様から急に婚約解消を言い渡されて、問い詰めたらあなたが急に騎士団をお辞めになったって!どうして私に相談して下さらなかったの!?その腕の事だって!一言だっておっしゃらなかった!」
「おい、待て。もう少し声を抑えろ」
「いいえ!私はもう殿方の言う事なんか聞きません!あなたもお父様も、私の事など軽く見てらっしゃるもの!」
騒ぎは次第に増長する。これはまずいと判断したローレンスはエレノーラの腕を掴むと強引に店の外へ連れ出した。
シンと静まり返った通りをローレンスとエレノーラは歩いた。
店を出てきてしばらく喚いていたエレノーラであったが、冷たい夜風にあたって幾分頭が冷えたのか、今は不機嫌そうな顔をしながらも黙ってローレンスについてきていた。
「君、滞在先はどこだ?」
「……リューン家、私の大叔母の家です」
「ならば貴族街だな。そこまで送ろう」
ローレンスはそう言ってエレノーラを先導する。二人ともお互いに口を閉ざしたまま、黙々と貴族街を目指す。と、
「ローレンス様」
「なんだ?」
「その腕は、どうされたの?」
エレノーラの遠慮がちな声が響いた。ローレンスは自身の右腕を見下ろす。これを失くしたあの日の事は今でも鮮明に覚えている。悍ましい鱗の怪物。太刀打ちできなかったあの時の屈辱は決して忘れる事は出来ない。
「戦いでへまをした。それだけの事だ」
「騎士をお辞めになったのはどうして?お父様に言われたから?」
「いいや、自分の意思だ。団長殿はむしろ止めた」
退団届を提出した時、ハイネルは言った。「剣を振るえなくとも騎士でいる方法などいくらでもある」と。けれどもローレンス自身がそれを許さなかった。中途半端にあの場所にしがみつくことは彼自身耐えられなかった。
「だから騎士を辞めた事で、君の父君を責める必要はない。全て俺の意思だ、あの方は悪くない」
エレノーラは返事をしない。そう言われても、彼女自身が父親に対して煮え切らないものがあるのだろうと、ローレンスはなんとなくそう思った。そして、
「……なら、私と婚約を解消したのはどうして?」
エレノーラが堅い声で呟いた。ローレンスの歩みが止まる。おそらくこれが彼女にとって一番納得のいかない事なのはよくわかった。
「君と結婚する必要性がなくなったからだ」
ローレンスはあえて冷たい口調で告げた。背の後ろでエレノーラが息を呑むのが聞こえる。
「俺が何故君と婚約をしたか、君だってわかっていたはずだ」
「……」
ローレンスがエレノーラと婚約したのは出世のため、騎士団長の婿というその肩書が欲しかっただけだ。
エレノーラは答えない。だが、彼女は箱入りであっても馬鹿じゃない。そして、貴族の結婚とはそういうものだという事も騎士団長の娘として理解しているはずだ。
「俺は騎士として上に行くために君を利用しようとした。だから上に行く事が出来なくなった以上、君との婚約に価値はない。―――もちろん君にとっても」
「私にとっても……?」
「父君が俺たちの婚約を認めてくださったのは、あくまでも俺が『将来有望な騎士団長候補』であったからだ。そうでなければ大事な愛娘を託したりなどできない。……だが、今の俺は右腕を失い日常生活を送る事すら困難だ。将来性もない。こんなお先真っ暗な男に大事な娘を任せられると思うか?もし俺が父親なら反対だ……まして、騎士団長の娘となればなおさら、側に立つ人間は選ばなければならない。君だって隻腕の生活困難者が夫だなんて不名誉だろう?」
だからローレンスは身を引いた。エレノーラだって貴族の娘としての体裁がある。こんな先の見えない男に嫁ぐより、もっと地位もあって将来有望な男の元へ嫁に行く方が幸せになれる。そのあたりの事もよく理解があるはずだ、と思ったが、エレノーラはそれを聞いた途端目に見えてわなわなと震え出した。
一体どうしたのかと、一歩エレノーラに近づいた瞬間、―――頬に鋭い痛みが走った。
「―――っ!?」
エレノーラは泣いていた。さっき酔っ払いに絡まれた時ですら気丈にふるまい、涙を流さなかった彼女が、今ボロボロと止めどなく涙を溢れさせている。
「ええ、私だってわかっていましたわ。あなたが私ではなく、『騎士団長の娘』と結婚したがっていた事くらい!」
「……っ、だったら―――」
「もう何もおっしゃらないで!あなたは……あなたは何もわかっていない!」
エレノーラは、頬をぶたれて唖然としているローレンスの横をすり抜け、ドレスを振り乱して走り出した。
「おい、勝手に行くな」
「もうここまでで結構です!もうあなたの事なんて知らない!」
そのままこちらを振り向かずに走り去ってしまった。ローレンスは追う事も出来ずに立ち尽くす。貴族街まではもうすぐそこだ。区画に入ってしまえば安全だから無理についていく必要もない。だが、
「なんなんだ一体……」
未だ納得のいかないローレンスは、頬をさすりながら独り言ちる。なぜ彼女があんなにも怒りだしたのか、情けない事にローレンスには全く見当がつかなかった。




