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エピローグ 和解の夜明け

 ◆

 村の外れの森の中、ようやく呼吸が落ち着いてきたチェスターは近くの木にぐったりと背を預け脱力した。


「……ああ、俺は生きている」

「大げさだな」


 隣では非常食の干し肉を淡々と食べ続けるリシュリューがいた。それを見ただけでチェスターはまた吐き気を催しそうになる。


「おい、あんな現場にいた後でよくもそんな物食えるな」

「腹が減ったんだ、お前は食わないのか?」

「食えるわけないだろ!」


 大声を出すとまた胃の中の物が逆流しそうになった。さっき散々吐きまくって、もう腹の中には何も残っていないはずなのだが。


「それでチェスター、これからどうするんだ?村の殲滅は完遂したが、こちらも生き残ったのは俺とお前だけだ」

「ああ、……まったく、どうしてこんなことに……」


 チェスターはこの一時間でもう何度吐いたかわからないセリフを吐いた。あの羽の生えた化け物が暴れ村人が虐殺され、チェスターとリシュリューは命かながら逃げ帰った。だが、もはやこちらの損害は大きく、どの面下げて上に報告できるというのだろう。


「……逃げるか?」

「その方がよさそうだな」


 あの地獄から生還できたのはきっと神の加護があったからだ。チェスターはもう信じる事を許されない神にひっそりと感謝すると、ばっくれる算段を始めた、しかし、


「逃げる必要はないよ。君たちの任務は成功したんだ」

「!?」


 いつの間にか二人の側に男が立っていた。厳つい甲冑の上にマントを羽織り、顔を隠している。特徴のない顔は、それ故に一度見たら忘れられなかった。


「ロースローンさん!?」

「やあチェスター、無事で何よりだよ。リシュリュー君も」


 男、アルトリカ=ロースローンは朗らかすぎる笑みを浮かべた。状況が状況だけに、チェスターは思わずゾッとした。


「何故、あなたがここに……?」

「任務を完遂したかどうか確認しに来たんだ。初仕事で緊張したんじゃないかと思ってさ、だが、どうやら心配いらなかったね」


 アルトリカの明るい口調が逆にこちらを不安にさせる。チェスターは彼の目をまともに見る事が出来なかった。


「いや、しかし……、あなたから任された兵たちは全滅しました。この損害は―――」

「いいんだよ。あれは使い道のなかった寄せ集めだ、むしろ、あんなのをよこしてしまった事に対して君に謝罪しなければいけない」

「……っ」


 チェスターはますます顔を上げられなくなった。この男はまるで死んでいった兵士たちをまるで物のように語っている。同胞が死んでいった事に対して、なんの情もない。もし、この男がチェスターたちを無価値の存在だと認定すれば、恐らくチェスターたちにも同じようにふるまうだろう。それがただただ恐ろしい。


「それよりも、報告はしっかりしてくれないかな?僕も少しあの村を覗いたが生存者はいなかった。君たちはあの惨状を知っている唯一の人間だ。……何があったかきちんと話してほしい」


 何故か喉元に刃を突きつけられている気分になった。チェスターは後ろのリシュリューをちらりと見る。リシュリューもいつもの無表情とは違い、どこか緊張した面持ちだった。


「では、……お話しします」


 チェスターは最初にここに来た時の事から順を追って説明した。最初に奇妙な男女と遭遇した事、村人たちが抵抗し戦闘になった事、そしてそこにまたしてもマントを纏った白い奇妙な男と虎に変化する好戦的な女が乱入してきた事、そして―――


「最後にやってきた翼の生えた化け物の一人が兵と、入口から逃げようとしていた村人たちを虐殺しました。俺たちも殺されそうになって、何とか命かながら逃げ出しましたが。その後の事は俺たちにも―――」

「翼の生えた化け物に、虎に変化する女―――」


 黙ってチェスターの報告を聞いていたアルトリカが噛み締めるように呟いた。彼の目は皿の様に見開かれていて、唇はわなわなと震えていた。


「そうか、……そうだったのか。奴らは生きていたのか……!」


 突然彼はゲラゲラと笑い始めた。チェスターは戦慄し一歩後退する。同じく愕然としているリシュリューと共に、壊れた操り人形の様に笑い続ける上官を凝視した。知り合って間もないが、アルトリカという男はいつも無慈悲で冷酷で、何を考えているかわからない冷たい目をした男だと思っていた。こんな風に笑えるとは思ってもみなかった。


「上出来だよ、チェスター、リシュリュー。君たちは本当に素晴らしい働きをしてくれた!」

「あ……、ありがとう、ございます」

「さて、そろそろ移動しよう。ここは冷える、最寄りの町についたらゆっくり休むといい。君たちには、まだまだやってもらわないといけない仕事がある」


 アルトリカはまだ口角をひくつかせたまま踵を返した。まだ愕然としているチェスターとリシュリューはその背が遠くなるまでその場を動けずにいた。


「とりあえず、お咎めはなしって事でいいんだよな……?」

「ああ、だが今後も俺たちの事をこき使う気のようだ」


 いっその事ここで粛清され兵士たちと同じように死んだ方が幸せだったのかもしれないと、チェスターは本気で思ってしまう。だが、リシュリューは、


「安心しろ。あの男がチェスターを殺すつもりなら、俺が先にあいつを殺してやる」


 掌で短剣を躍らせにやりと笑った。それは先ほどのアルトリカが見せた狂人的な笑みと何ら変わりない。チェスターは「ああそう」と相槌を打ちつつも深くため息をついた。


 ◆

 兎の王がユリウスを置いて村を離れてから五十年近く経った日、兎の王は久々に村を訪れ、そのあまりの変貌ぶりに開いた口がふさがらなかった。

 あんなに人々が生き生きと暮らしていた長閑な村の情景はそこになく、暗くじめじめとした廃村が目の前に広がっていた。あちらこちらに生々しく残る戦火の傷跡、怪我でうめき声をあげる村人。何があったかを理解するのにそう時間はかからなかった。


 兎の王は急いで教会へと向かった。ここに残してきた友が一体どうなったのか、考えるだけで恐ろしかった。だが、教会にたどり着くより先にその姿は見つかった。村の中心から外れた廃屋に友の姿を一度だけ見たのだ。

 その時の衝撃を兎の王は忘れる事が出来なかった。友が生きている、だが、兎の王の『眼』では腐りはてた死体にしか見えなかった。生と死が同居する、歪で奇怪な人形となった友の側に、その相棒であった黒猫が静かに寄り添っているのを見て、兎の王は言葉を無くした。黒猫の仕業だという事は火を見るより明らかだった。だが、奴を咎める資格は自分にはない。兎の王は友に会わずにその場を去り教会へと向かった。


 そこもまた記憶していた美しい教会とは一変していて、それでも兎の王は意を決して足を踏み入れた。

 私室は意外にもそのままだった。だが、去った時と違うのは部屋中に紙が散乱し卓上にも見覚えのない紙束が積まれていた事。


 詩だった。それら全てが兎の王が去ってからユリウスが一人で書き続けた魂の結晶だった。


「……ずっと書き続けていたのか、ここで、こんなに沢山」


 彼が死に至るその日まで、彼はこの小さな世界で詩を生み出し続けていた。今やこの部屋は言葉の海となり、兎の王が帰還する今日までずっとただ無意味にこの部屋の中を漂い続けていた。


 ―――僕には何ができる。何をすれば報いる事が出来るだろう?


 ただ詩が残されたこの空間で、兎の王は立ち尽くした。その時、かつてここで楽しそうに夢を語った少年の姿を思い出した。


『いつか僕と神父様の詩を世に送り出して見せる』


 そう言って彼が生み出した架空の詩人の名が、戒めのように机の目の前の壁に仰々しく飾られていた。


「ザウド=パウエル、か……」


 兎の王は椅子に腰かけ机の前に向き直った。ユリウスが生前詩を生み出し続けたこの場所で、兎の王もまた、彼と同じように筆を滑らせた。


 その数年後、ユリウスが残した詩を全て編纂し、一遍の詩集に纏めた。一つだけ兎の王自身が書いた詩も組み入れた。

 詩集は数十年をかけて世に広まり、やがてそれは知らぬ者のいないベストセラーとなった。

 兎の王が『ザウド=パウエル』と名乗り始めたのもこの頃だった。



「……しかし、まだ使い続けていたとは思わなかったな」


 ザウドは先ほどユリウスの死体のそばで拾った古ぼけたメモ束を眺めて呟いた。ユリウスが幼い頃いらない書物を切って作ってやったメモ束、大事に使えと言ったのは言ったが、まさか今の今まで持ち続けていたとは思わなかった。中には眩暈のするほど細かい字で詩が書かれていた。あんな体になってからも執筆活動をやめてはいなかったらしい。

 あいつらしい、ザウドは不覚にも笑ってしまった。ユリウスがこの部屋を離れた後も、新たな詩が生み出されていた事が何だか不思議で、可笑しかった。


 その時机の上のボードがぼうっと光を帯び、一粒の光がこの教会の付近で蠢いていた。ザウドは冷静にその光の正体を追い、その人物を追うためザウドも教会の外へと向かう。件の人物はすぐに見つかった。闇に溶けかけた金色の髪が、風で寂しそうに揺れている。


「もう怪我はいいのか?」


 ザウドの呼びかけにジンロはゆっくりと振り返った。彼の目は通常時より鋭く、その容貌にはいまだ『食事』の名残がある。それでも彼の表情に曇りや迷いは見られなかった。


万物の奏者レーディンレルを置いていくのか?」

「……」

「ふんっ、情けない。一度や二度本性を見られたくらいで……。お前の覚悟は所詮その程度だったって事だな」


 ジンロは言い返してこなかった。あまりの張り合いの無さにザウドは逆に不気味さを感じてしまった。


「ザウド、昔、俺がお前を酒場で半殺しにした時お前が言った事覚えてるか?」

「……ああ」


 あの日の事はよく覚えている。まだ、獣王が行動を共にしていた時の事だ。その日、獣王の仲間たちが『食事』をとった日、酒場で酔っ払ったザウドはジンロたちに向かって暴言を吐いた。

 あの時のザウドは『食事』をする事に耐えられなかった。だからそれを平然と行うジンロたちに嫌気がさしていたし、いつまでもその業から抜け出せない自分にも辟易していた。


「あの時お前が言った事は真実だと思う。俺たちはいつまでたってもこの業から抜け出せない。抜け出すためには、死ぬしかない」

「僕がそう言ったらお前は怒った。お前らは業に縛られながらそれでも懸命に生きていこうとしていた。それを僕は冒涜した」


 そう言って二人は黙り込んだ。二百年経った今なら、あの時お互いが何を思っていたのか少しはわかる。


「それから百年近く後に再会した時驚いた。あの兎の王が詩を書いて、随分丸くなったもんだなってさ。……ユリウスの事があったからだろう?」


 ザウドは答えなかった。


「改めてあの時の事、謝るよ。殴ってすまなかった。……今日の事も、お前が止めてくれなかったら、きっと今頃もっと後悔していた」

「……お前も随分変わったよ」


 前にザウドはジンロの事を全く変わっていないと言ったが、それは撤回しなくてはいけない。ザウドの知っている鳥の王は、こんな殊勝に謝る奴ではなかった。彼を変えたのは他でもない彼女なのだろう。


「さて、無駄話はこれくらいにしてもう行くよ」

「どこに行く気だ?」

「―――ブリドリントの森」

 

 ジンロはその方角をまっすぐ見て言った。


「ブリドリント……、僕たちの『始まりの森』か」

「そこの獣たちに危機が迫ってるらしい。猿の方にも伝えておいてくれ」

「危機が迫ってる、って……誰に聞いたんだ?」

「狼」


 その瞬間、ザウドは反射的に悲鳴を上げ飛び上がった。


「お、お、狼!?お前、会ったのか!?」

「数日前、イスカにとり憑いて話しかけてきただけだ。この近辺にはいないだろ、安心しろ。……お前相変わらずあいつには弱いな」


 ジンロは声を押し殺して笑っていた。一方のザウドの方はそんな事も気にかけられぬほど、すっかり気が動転してしまっていた。


「とにかく一度あいつに会ってくるよ。―――その間イスカの事を頼む」

「は!?なんで僕が万物の奏者の面倒なんかみなくちゃいけないんだ!一緒に連れて行けよ」

「ブリドリントはあいつが行きたがっている王都とは真逆だし、危険があるとわかっている場所にわざわざ連れていく事もないだろ。……それに、ちょっとばかしあいつの側に長くいすぎた。気持ちを切り替えるいい機会だと思う」


 そう告げるジンロの顔は見えなかった。彼がどんな思いでそれを決断したか、ザウドは理解できないし、する気もなかった。


「まったく……、どうして僕がお前の代わりに万物の奏者の面倒なんか……」

「それともお前が狼の方に行くか?」


 その問いにザウドは全力で首を振った。ジンロはそうだろうな、と満足げに頷いて、


「頼む。なんだかんだ言って、こういう時お前が一番頼りになる」

「……都合のいい時だけ調子のいい事言いやがって」


 ジンロは笑った。本当にこちらが見ていて痛々しい程に。


「もうすぐ夜明けだ。―――もう行くよ」


 ジンロの身体が暗闇でまばゆく光った。光は肥大し、やがてそこに一頭の巨大な怪鳥が姿を現す。

 怪鳥は一鳴きすると大空へと高く舞い上がった。風圧が地面を駆け抜け草花が宙を舞う。

 ザウドはいつまでも空を見上げていた。金色の鳥がはるか遠くの茜空に消えて見えなくなるまで―――。


第四章完。ここまで読んで下さりありがとうございました。

少々後味の悪い結果となりましたが、もう少しイスカと獣王の行く末を見守っていただければ幸いです。

次回はちょっと視点を変えて、イスカと同じくメルカリアを旅立った彼の話を。


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