第七話 詩聖の残滓、三者の思慕②
「―――っ、ごめんなさい。ユリウスさん」
「君が謝る必要はないだろう」
イスカの眼から静かにあふれてくる涙をユリウスは笑いながら拭った。その笑い方がやはり祖母に似て温かった。すると、
「―――若く碧い新芽は朝露濡れて、やがて美しく華咲き誇る」
ユリウスが歌うように呟いたのでイスカはキョトンとした。ユリウスは少し照れ臭そうに頬を掻く。
「ごめん。なんだか君を見てたら詩の冒頭が思い浮かんでしまった」
「詩、……ですか?」
「ああ、前に言っただろう。僕は頭の中に浮かんだ感情を言葉にして書きしるすのが癖なんだ」
「そうでしたね。それにしても、自分の事をうたわれるのはちょっと恥ずかしい、かな」
イスカもつられてはにかんだ。詩を読むのが趣味とはなんともロマンチストな人だ。けれどユリウスの素朴で温かい人柄は確かに、詩人と評するのにも違和感がない気がした。
ふと、イスカの頭の中でピン、と閃いたような感覚がする。
「……あの、その詩って、ずっと昔から詠んでるんですか?」
「ああ、さっき言っていた、僕に色んな事を教えてくれた人がね、読み書きや文法表現何かを教えてくれた。その時に練習として詩をたくさん書いたんだ。それが癖になって、その人と一緒に詩を考えるようになって、それを書き溜めるようになったんだ」
「その書き溜めた詩って、どうしたんですか?」
「さあ、僕がこの家に移り住んだ時のごたごたで紛失したと思ってるんだけど……、ああ、ここに住む前は丘の上の教会でお世話になっていたんだ」
「えっ……」
それはもしかして、とイスカは自分の中に想起されたある可能性を見出した。そして、
「だからあるとすれば教会かな。とはいえもう随分時間が経っているから残っているかどうかはわからないけどね。……しかし懐かしいな。確かペンネームも考えたんだ。あの人は嫌がったけど。確か名前は―――」
「―――ザウド=パウエル」
今度はユリウスが目を丸くする番だった。その表情がイスカの推測を確信に変えた。
「君、どうして僕とあの人のペンネームを知っているの?」
イスカは脱力し息を吐いた。兎の王がザウド=パウエルだと聞いた時、どうしてもイスカの知る詩と、彼の人柄に食い違いがあるような気がしてならなかった。違和感があったのだ、彼が本当にあの『ザウド=パウエル』だとはどうしても思う事が出来なかった。
もし、今目の前にいるユリウスこそが本物の『ザウド=パウエル』だとしたら、ユリウスの言う様々な事を教えてくれた恩師というのは―――
「あのっ、ユリウスさん」
事の真相を聞き出そうと身を乗り出した時、家の外で何かが倒れるようなけたたましい音がした。続いて多数の罵声、それが徐々に近づいてくる。
「……何かあったようだ。表を見てくる、君はここにいて」
「あ……、待ってくださいユリウスさん!」
青白い顔のユリウスを単身外に出す事は憚られたので、イスカも迷わずついていく。扉を開けると、いつもは静かで人通りのない通りの向こうから、怒りに身を震わせた村人たちが行進してくるのが見えた。ただ怒っているわけではない。皆薄汚れていて傷だらけでどこか惨劇の場から命かながら逃げ出してきた、といった風貌だった。そして物騒な事に、彼らの大多数の者の手には、鋭利な刃物や棍棒が握られていて、イスカは驚愕する。
「―――君は下がって」
ユリウスが頼りない足取りで一歩前に進み出た。村人たちはこちらの姿を確認するとあからさまに敵意を露わにした。村人の一人がこちらに向かって何かを投げた。べしゃりと湿った音を立ててイスカたちの目の前に黒い何かが落とされる。
「―――ミロ!?」
その正体はぐったりとしたミロだった。イスカは慌ててその哀れな黒猫の身体を抱き上げる。ミロは息をしていなかった。体中のあちこちに傷を負い、何者かに暴力を受けた跡が残っている。
「―――っ、あなたたち!ミロに何をしたのよ!?」
「黙れ、悪魔の手先め!」
男が興奮して叫んだ。皆目を血走らせ、こちらを親の敵のように睨んでいる。
「お前のせいだ!お前がこの村にずっと居座り続けているから!だからまたしてもよくないものを呼び寄せた!」
「もう俺たちを解放してくれ!この村から出て行ってくれ!」
「そうだ!教会にいる悪魔共々消えてくれ!」
村人は口々に叫び出す。それらは皆、イスカの側に立つユリウスに向けられていた。
「……」
ユリウスは無表情のまま、黙ってその罵倒を受け入れていた。ただ静かに、それが当たり前の事であるかのように、涼しい顔をして受け入れていた。
そんなユリウスが一歩前に進み出た。威勢のいい村人たちは、何故かそれだけで一斉にどよめく。―――怖がっているようにも見えた。
「……わかった。僕もいい加減潮時だと思っていた」
ユリウスの声は低く、何の感情も浮かんでいない。一瞬、その瞳がイスカの腕の中でこと切れているミロに向けられた気がした。
「君たちが僕を殺して気が済むというなら、甘んじて受けよう。ただし条件がある。そこにいる彼女と、―――その猫は全くの無関係だ。手は出さないと誓って欲しい」
ユリウスはまた一歩、村人たちに近づいた。丸腰である事をアピールするように両手を広げ、無防備な状態でまた一歩。イスカから離れていくその背が壊れそうで頼りない。
「待って!ユリウスさんダメ!」
イスカが叫び声をあげた瞬間、斧を持った村人の一人がユリウスに躍りかかり、ユリウスの細い首に容赦なく重い一撃を叩きこんだ。
―――
一面に真っ赤な花が散った。どよめきと悲鳴が渦を巻き、その中心にあったユリウスの身体は動きを止め、どさりと重い音を立てて崩れ落ちた。彼の首から上が消え、一拍遅れて体の数メートル離れたところにユリウスの頭部が転がり落ちた。
イスカは呆然とその光景を見ていた。今、何が起こったのか、状況を理解する事を頭が拒み、イスカは真っ赤に染まる目の前の光景をただ網膜に焼き付ける事しかできない。
(―――何、これは何?)
「化け物を倒したぞ!」「これでこの村は解放される!」「呪いから解かれる!」
遠くで歓喜の声を挙げている村人たちがいる。だが、イスカの視界にはもう映らなかった。
その時、イスカの腕の中で蠢く気配がした。ぐったりとこと切れていたミロが弱弱しくその金の瞳を開いた。
《―――ユリウス》
次の瞬間起こった出来事は、呆然としていたイスカでは理解する事が難しかった。ただ、地面がうねり周囲のあちこちから樫の木が生えてきて、それらが首を無くしたユリウスの身体を覆った。木々は膨れ上がり、やがてイスカとミロを巻き込むとその幹を上へ上へと伸ばしていく。イスカは悲鳴を上げることも出来ず、太い幹に体を絡めとられイスカはいつの間にか意識を手放していた。




