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第六話 戦場の神父、懺悔の行方③

(なんだ?)


 一体何事かと目を見張ると、入口の方角から奇声を上げて走ってくる三人の兵の姿を確認した。


「ば、化け物だ!」


 その兵たちは顔を青ざめさせ、錯乱状態でこちらに駆け寄ってきた。


「おい、どうした?何があった?」

「隊長!隊長!助けてください!入口の兵が!村人が―――」


 パニックに陥った兵は、その続きを告げる事が出来なかった。ヒュンという鋭い音と共に、兵の口から上が消えてなくなったからだ。


「―――っ……!」


 熱い血しぶきがチェスターにもろに降りかかった。周囲の兵たちも突然の惨劇に悲鳴を上げ後ずさる。


「き、来たっ!」「やめろ、来るな!来るなぁ!」


 絶命した兵と共に逃げてきた二人の兵が後方に目を向け無我夢中で叫び続ける。一体何がやってくるのかと、チェスターは恐る恐るその視線の先を垣間見ると、―――


(……天使?)


 こちらに向かってくるのは、太陽の光に美しく輝く翼と髪を持った男だった。遠目で、チェスターはかつて己がいた教会で見た宗教画にあった天使に似ていると思った。洗礼された肉体美に、神々しく輝く天使の羽。しかし、やがてその者の顔を認識できるほどに距離が縮まると、チェスターのその見解は大きな間違いであるとわかった。

 その者は人の目をしていなかった。カっと見開かれ瞳孔は小さくこちらを無条件に嬲りつける。そう、それは人の目ではない、―――猛禽類の目だった。


「隊長!お下がりください!」


 近くの兵がチェスターを庇うように前に躍り出た。その瞬間、チェスターのすぐ横を重さを感じるほどの風圧が通り過ぎた。チェスターは思わず顔を覆う。直撃を喰らった兵は一瞬で切り裂かれ断末魔を上げて倒れた。


「嘘だろ……?」


 一瞬の出来事だった。先ほどまで重い鎧を纏いきびきびとした動きで村民を蹂躙していた屈強な兵たちが、身体をズタズタに切り裂かれ、全身を真っ赤に染めて一帯に転がっていた。血の匂いが辺りの空気を澱ませ、濁らせ、息をするだけで眩暈と吐き気に襲われた。


「たい、ちょう……」


 チェスターの足元で赤黒い肉塊が蠢いた。先ほど、前に躍り出た兵はチェスターを庇ってこと切れた。彼だけじゃない、周囲に転がっているものは皆、チェスターを庇って死んだ兵のなれの果てだった。

 チェスターは思わず吐き気を催して膝をついた。気持ち悪い、五感の全てが周囲のものを拒絶する。一変して地獄と化した光景の向こうから、まっすぐに翼を生やした男がこちらに近づいてきた。

 男がチェスターを見据える。次の獲物を定めた獣のように目を反らそうとはしなかった。

 捕食される獲物は自身の最期にこんな光景を見ているのだなと、この時なんとなくそう思った。


 逃げろ、逃げろ、化け物だ、殺されるぞ。


 後方で口々に村人たちが悲鳴を上げて逃げていく。チェスターもそうしなければ、今まさに肉食の獣に食い殺されようとしているのだから。


「ジンロ!」


 だが、チェスターの前に再び一人の男が進み出る。驚いたことに、それはマントを被ったあの青年だった。


「止まれ。それ以上の殺しは必要ない」

「……うるさい、どけ」


 翼の男の目が青年に向いた。自分に向けられたわけではないのに、ぞくりと恐怖で身体が震える。氷のように凍って動けなくなる。


「お前……、入口で村人もろとも殺したのか?―――今のお前は正気じゃない、いいから下がれ」

「俺は冷静だ。いいからどけ」

「冷静?そんなおっかない顔をした奴のどこが冷静だ?目を覚ませ大馬鹿者!」


 マントの青年から見ても、その翼の男の様子は異常なのだろう。男はおそらく仲間であろう青年に向かって手に握られた血まみれの剣を振るった。その瞬間局地的な豪風が青年を襲い、線の細い青年はあっけなく吹き飛ばされる。


「……っ!?おい、お前!仲間に何を――」


 チェスターが抗議しようとしたが、それ以上言葉が出なかった。


 ―――次はお前の番だ。


 目の前の化け物は間違いなくチェスターにそう言っていた。


(……やはり自分は間違っていた。これは罰だ。同じ術師を殺そうとした、神を欺き見捨てられ、無様に生きようと縋りついた、俺への罰だ)


 チェスターは己の胸元に揺れる十字架を見下ろした。これまでのチェスターの人生が、十字架に走馬燈のように映し出される。

 このシンボルに守られていた頃、チェスターは争い事とは無縁の温和な世界で生きていた。あの生温く手足が徐々に腐っていくかのような怠惰な世界で、ただ神に祈り勤めを果たすだけの日々を過ごす。その日々が唐突に打ち切られ、チェスターは庇護の無い過酷な世界に放り出された。祈る事も禁じられ、精神の拠り所を失い、ただ生きた屍のようにさまよう日々が始まった。路頭に迷い、明日の寝食すら危うくなった時、初めて人を騙し、欺いて命を奪った。


 これは罰だ。自分が今までしてきた事への―――。

 足元に転がる部下の死体、動く気力を失い、目の前の獣に首を垂れるしかない己の哀れな姿。チェスターは静かに懺悔した。こうして己の人生は終わるのか、とうわ言のように神の名を呟いたその時、


「チェスター!」


 名を呼ばれて我に返った。目の前の化け物に、一人の男が躍りかかる。自分と同じ顔を持つ、チェスターの半身ともいえる相棒。


「―――リシュリュー」

「何してんだよ!?早く逃げろよ!」


 珍しく弟に叱咤され、チェスターはまだ何も終わっていない事に気づいた。不意打ちを受けた男は、剣を振るってリシュリューの短剣をはじき返した。金属音が空高く響く。

 リシュリューは珍しく怒っていた。彼が戦いの中でこんなに怒った顔をしているのを初めて見た。


 いったん距離を置いた両者は、剣を構え互いに牽制する。辺りにはもうほとんど人が残っていない。先ほどまでリシュリューと相対していた女は、通りの端で吹き飛ばされた青年の容態を確かめていた。動けるものはもう、チェスターとリシュリュー、そして目の前の化け物しかいなかった。


「おいリシュリュー、もういい。お前も逃げろ」

「馬鹿にするな。言ったはずだ、あんたの邪魔をする奴は皆俺が殺してやるってな」


 そう言って、リシュリューはいつもみたいに笑った。その笑みがゾッとするほど勇ましくて、チェスターは瞬時に察する。これ以上、リシュリューを戦わせてはいけない。


「―――!?やめろ!リシュリュー」


 攻撃を仕掛けるため、踏み込もうとするリシュリューに、チェスターは悲鳴のように叫んだ。


 奇跡が起こったのはその時だった。

 地響きが辺りを揺らした。リシュリューはバランスを崩して跪き、目の前の化け物もまた初めて『人間』らしい動揺を見せた。ゴゴゴと身体を直接揺さぶられるような轟音が周囲に響く。


「なんだ!?」


 チェスターは大きな音のする方角を振り向いた。だが何も見えない。ただ地響きだけがチェスターの身体を揺らし、不安を煽る。

 一体何事かと呆けていると、狼狽し始めたのは翼の男の方だった。


「―――、まさか!?」


 驚愕した男は、チェスターたちに目もくれず、翼を広げ勢いよく飛翔した。そして鳥と同じように大空へと消えていく。


「―――馬鹿!あいつ、何してんのよ!?」


 続いて叫び声をあげたのは女だった。次の瞬間、チェスターは自分の目を疑った。立ち上がった女の輪郭がぐにゃりと歪み、虎の姿に変化したのだ。


「――!?」


 虎は大きな唸り声をあげ飛び立った鳥男の後を追った。あっという間にその姿が見えなくなり、辺りは一転してシンと静寂が支配する。


「チェスター」


 呆然としていたチェスターを我に返らせたのはリシュリューだった。リシュリューは険しい顔をして、腰を抜かしているチェスターに手を差し伸べる。


「悪いな、リシュリュー。お前のおかげで助かった」

「構わない。だが―――」


 リシュリューは辺りを一瞥し舌打ちした。チェスターも改めて周囲を見回す。もはや目も当てられない惨状だった。兵たちは誰一人息をしていなかった。皆、目も当てられない程無残な姿で地面に横たわり、辺りは一面血の海だ。

 村人たちも誰一人姿が見えない。通りの隅に目をやると、さっきまで倒れこんでいたあのマントの男もいつの間にかどこかに消えていた。ここにはもうチェスターとリシュリューしかいない。


「……一体何だったんだ?あの連中」

「さあな、一つ言えることは―――俺たちの任務は失敗した。それだけだ」


 兵士を皆死なせてしまった。村人を誰一人捕らえる事が出来なかった。


「あいつらを殺し損ねた。せめて女だけでも始末してやりたかった」

「そう言うな。お前は俺を助けてくれた。化け物をしとめるより、俺にとってはそっちの方がありがたい」


 やや消化不良で物足りなそうにしているリシュリューに、チェスターはあえて礼を述べた。


「これからどうする?チェスター」

「一度野営地に戻ろう。これ以上ここにいるのは危険だ」


 そう言ってチェスターはリシュリューと共に村の出口へと向かう。本当は足元に横たわる兵たちを弔ってやりたかったが、もはやそんな気力はない。


「それにしても―――」


 チェスターは後ろを振り返る。あの化け物たちが消えていった方角には相変わらず綺麗な空が見えるだけだ。


 ―――あそこには一体何があるんだ?


 あの鳥男の狂気を反らすほどの『何か』があそこにはあったはずだ。だが、それを確かめる気概はもうない。チェスターはもう振り返らずに、ノロノロと歩き出した。

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