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第五話 病の回想、鳥の狂暴④

「―――ねえ、ジンロ。ジンロは前から知ってたって言ったよね?私の能力の事。……病を癒す力の事」

「ああ、知っていたさ。だが、その力は代償も大きい。お人好しのお前が、そんな力を自覚したらどうなるか、わかりきっていた事だ」

「そうだね。でも、私はもっと早く教えて欲しかった」


 ジンロが驚きに目を見開いた。今度はイスカが責め立てるように彼を見据える。


「おばあちゃん」

「……!?」

「もし、おばあちゃんが倒れた時、私が万物の奏者レーディンレルである事を自覚していれば、万物の奏者レーディンレルとしてもっと一緒にいてあげれば、おばあちゃんの病気は治った?あの時、おばあちゃんは死なずに済んだんじゃないの?」


 イスカがもっと早く自分の事を知っていれば、もっと早くこの力を自覚していれば。側にいるだけでその恩恵を与えられるというのなら、あるいは救いの道があったのかもしれない。

 こんなことを考えても仕方がないのに、もしもの事ばかり浮かんではイスカの心を切り刻む。

 そしてジンロが今日初めて動揺を見せた事で、イスカの後悔は絶対的なものに変わっていく。祖母を助けられたかもしれないという未練と、イスカの力を知っていながらそれを黙っていたジンロへの憎しみが突然堰を切って溢れ出した。


「イスカ、リンデの死に関してはお前に何の落ち度もない。あれはそういう運命だったんだ。だから―――」

「だから仕方なかったっていうの!?」


 気づけばイスカの頬に熱い涙が伝っていた。思えば祖母が亡くなってから、祖母の事で一度も涙を流さなかった。祖母が亡くなったのは神の導きだから、イスカにはどうにもできなかったことだからと諦めがついたから。だからイスカは泣かなかった。

 今更ジンロにあたってもしょうがない、過ぎた事を責めたって何も変わらない。

 でも、頭では理解できても、心だけは追い付かない。


「……っ、どうして……!」

「……」

「どうしてもっと早く教えてくれなかったの!?そうしたら、おばあちゃんを助けられたかもしれないのに!どうしていつもジンロはそうやって隠すの!?力の事だって本当はジンロから教えてもらいたかったのに……!」


 イスカは今日初めてジンロに隠されていた事を呪った。今まで隠し事が多かった彼を、初めて憎いと思った。こんな理不尽な思い、自覚したくはなかったのに、彼を責める言葉だけが口から溢れて止まらなかった。

 そんなイスカの思いをジンロはどう受け止めたのか、暗がりでジンロの表情は見えず、彼はただ声を押し殺して静かにイスカを諭す。


「イスカ、もし仮にお前が万物の奏者レーディンレルの力でリンデを救う事が出来たとして、あいつ本人がそれを望むと思うか?あいつはお前にただ普通の平穏を望んでいた。そんな奴がお前に力を使わせたいと思うわけがないだろう!」


 確かに祖母ならきっとそう言うだろう。けれど祖母だって人間だ。病魔に侵され死が己の元を訪れる瞬間を恐れた事だってあったはずだ。

 それなのにイスカは何もしなかった。祖母の側を離れ、何もせずに祖母の死を迎えた。イスカはきっとそれが一番許せないのだ。


 ―――だからこそ、今度こそ後悔したくない。


 イスカはジンロの手を乱暴に振り払った。そのまま聖堂を出ていこうとして、肩を強くつかまれる。


「待て。どこへ行く?」

「戻るの。ユリウスさんのところに。少しでも一緒にいてあげないと」


 言い終わる前にイスカはまたしても体を引き寄せられ、ジンロの腕の中に絡めとられた。いつもは温かいと感じるジンロの腕が、今ばかりは己を捕らえる牢獄に思えてイスカは必死に抵抗する。


「―――っ、放して!」

「言ったはずだ!お前のしている事は何の意味もないと!」

「意味ならある!」


 そうしてイスカはキッとジンロを睨みつけた。


「私が今あの人を救う事が出来たら、―――おばあちゃんを助けられなかった事もきっと割り切れる。もう二度と後悔したくないの、だから―――」

「リンデとユリウスじゃ状況が違う!ユリウスはもう死んでるんだ!お前がやろうとしているのは人助けじゃない!死者を蘇らせる禁忌だ!」

「それでも私はやりたいの!ジンロは教えてくれなかったじゃない!もうジンロの言う事なんか聞かない!」


 イスカは力いっぱいジンロの身体を押して拘束から抜け出した。その瞬間、ジンロの纏う空気が―――一変した。


「……離れるのか?」

「え?」


 驚くほど冷たい声に、息を荒げていたイスカの呼吸が一瞬止まった。恐る恐る見上げたジンロの姿は、今まで見た事もないほど禍々しく、輪郭は黒く歪んでいた。


「俺から離れて、あの男と心中する気か?」

「……っ!」


 イスカは悲鳴を上げそうになった。怖い、足がすくむ。今目の前にいる恐ろしい『何か』は、イスカをまっすぐ捕らえ、今にも飛び掛かりイスカの身体を食いちぎりそうだ。


 捕食者と獲物。二人の状況を表すにふさわしい言葉だった。


 じりじりとジンロが距離を詰める。


「い、嫌……、来ないで……!」


 イスカは震える足をもつれさせながら踵を返した。しかし、首根っこを掴まれあっけなく引き戻され、床に押し倒された。

 背中の痛みに呻く間もなく、ジンロがイスカの上にのしかかる。至近距離できらめく獰猛な獣の眼に奥歯がカタカタとなり始めた。


「嫌!放してっ!」

「ダメだ、行かせない」


 イスカが暴れる前に、ジンロは片手でイスカの両手首をあっさりと束ねた。そうして抵抗できなくなったイスカの上衣を躊躇なくまくり上げる。


「!?やっ、……やだ、何するの!?」


 上半身が突然冷たい外気に晒され、イスカの身体がびくりと跳ねた。首から下の鎖骨や胸、臍の辺りまでが露わにされて、イスカは恐怖と羞恥で頭が真っ白になる。

 ジンロの冷たい指が左胸に触れた。


「―――あっ、」


 途端、イスカの全身が痺れるように疼いた。恐怖でも羞恥でもない、もっと別の何かが体中を駆け巡る。それをぐっと抑えるようにイスカは唇をかんだ。

 身体の真ん中、心臓の部分をジンロの指が何度も這った。ジンロは息も荒く、目がぎらついて恐ろしい形相をしているのに、その手つきはなぜか優しくてイスカを愛おしんでいるようにさえ感じる。肌を弄られる度に甘い痺れが襲ってきて、イスカは吐息を漏らし身をよじる。


「やっ、……!?ジン、ロ……!」


 指で触れるだけに止まらず、ジンロは首を垂れると躊躇なくイスカの胸元に口付けた。二つの胸のふくらみの間、トクトクと脈打つ心臓、その熱く上気した皮膚の上にゆっくりと舌を這わせる。普段誰にも触れられる事のない部分に、冷たくざらついた舌の感触が伝わって、イスカの喉から悲鳴にも嬌声にも取れない声が漏れた。


「いや……っ、はな、して……」


 ジンロは時に甘く歯を立てて、その下で脈打つ心臓を食べたがっているかのようにイスカの身体を貪った。その姿は人の形をした異形の何かで、時折聞こえる低い唸り声は腹をすかせた獣のそれだ。


(どうして……、どうしてこんなこと……?)


 怖い。体を拘束されて無防備な姿を晒して、まるで本当に食べられているみたいで、羞恥と恐怖でイスカはわななく。


(でも怖いのに、どうしてこんなにも切なくなるんだろう?)


 恐怖に比例して甘い痺れはますます増長する。こんな風に求めてくる彼が愛おしく、離れがたいと感じるのも事実だった。


 そうして碌に抵抗も出来ぬまま、やがてジンロがゆっくりと顔を上げた。イスカの両手首を拘束していた手を解き、切なげな表情を見せながらもどこか満ち足りた顔を見せる。


「―――っ」


 イスカはぐちゃぐちゃになった感情を全て叩きつけるかのように、ジンロの頬を思いっきりひっぱたいた。


「―――ジンロなんて大っ嫌い!」


 イスカは一目散に教会を飛び出した。陽が落ちてすっかり暗い中、無我夢中で走り続けて教会の外れでイスカは一人蹲った。


「どうして……、話せばわかってくれると思ったのに……」


 イスカは声をあげて泣いた。顔は涙で濡れ、服も乱れてよれよれになって、掌もジンジンと熱くて、頭の中も真っ白で。そんなひどい状態でも、ジンロに触れられた感触と熱さだけは消えずに残っている。

 ユリウスの事、祖母の事、力の事。もっとジンロに伝えたい事はあったはずなのに。どうしてこんな事になってしまったのだろう。


 しばらくたってもジンロは追ってこなかった。彼が一体何を思ってあんなことをしたのか、今のイスカにはわからない。ただ一つわかるのは、こんな仕打ちを受けてもイスカはジンロの事が嫌いになれない。嫌いになれない事が余計に辛くて、イスカは涙をこぼし続けた。

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