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第五話 病の回想、鳥の狂暴②

 ◆

 今日も空色は芳しくない。洗い物を片付けながら、イスカは窓の外を見てため息をついた。ここは一昨日前出会ったユリウスとミロの暮らす一軒家。ジンロに反対されたものの、窓辺でジンロが眠っている隙をついて、こっそりと教会を飛び出しここに来ている。

 まだ日が昇らないうちにミロの教えてくれた猫の抜け道を通って。きっとジンロが知ったらユリウスの家に行くことを許してはくれないだろうから。


(……きっとばれてると思うけど)


 昨日、日中姿が見えなかったイスカをジンロは咎めなかった。多分イスカが何をしているのかわかっているはずなのに。

 けれどたとえ咎められようと、この家の二人に出会った日の晩考えて決めたのだ。ユリウスを助ける事を。そのためにミロが言っていたように、ユリウスの側に出来る限りいてあげようと決めた。

 確かにユリウスは会ったばかりの赤の他人だ。それにイスカが助けられるなんて保証もない。でも、


(あの二人は、どこか他人のように思えない)


 最初に二人を見た時の懐かしさと既視感。一緒にお茶を淹れているあの温かな光景が目に焼き付いて離れない。


《イスカさん、洗い物はもうその辺で結構です》

「―――あ、ミロ」


 いつまでも流しに手を突っ込んだままのイスカを心配してミロが声をかけてきた。


《すみません、客人に掃除から何からやってもらって……。私は猫ですから家事には不慣れですし、ユリウスも普段寝ている事が多くてついつい溜まりがちで。私がもう少し色々できればユリウスの負担も減るんですが》

「いいのよ、このくらいの事。私にできる事ならするから、なんでも言って」


 先日村人たちから助けてくれた礼も含めて、イスカはこの家の家事や雑務を色々とこなしていた。

 先ほど三人で朝食を頂いた後、ユリウスはまた寝室に戻ってしまった。ユリウスはああして一日のほとんどをベッドの上で過ごすのだという。


《さて、私は見回りに行ってきます。ユリウスの事、よろしくお願いしますね》


 そう言ってミロは猫用の出入り口から出て行ってしまった。一人になったイスカはもうやれることはないかと辺りを見回す。隣の部屋から咳をする声が聞こえてきた。どうやらユリウスは起きているようだ。


「お茶でも淹れようかな」


 イスカはキッチンで湯を沸かし茶葉を拝借して二人分の茶を用意すると、そっと寝室をのぞき込んだ。


「ユリウスさん、起きてたらお茶でもどうですか?」

「ああ、君か。ありがとう、頂くよ」


 にこやかに笑うユリウスの顔色は青白かった。やはりあまり体調がよくないらしい。イスカはサイドテーブルにカップを置き、自分もスツールに座った。


「悪いね、雑用を色々任せてしまって。僕もこんな体じゃなきゃ出来る事も多いんだが……。ミロにもいつも負担をかけてしまっているし、申し訳ないよ」


 ミロと同じような事を言うので、イスカはつい笑ってしまった。


「私の事は気にしないでください。ミロは命の恩人ですし、家事は嫌いではないから」

「そうか。……ミロに何か言われた?」


 ユリウスはふと、にやりと口角を上げた。まるでイスカとミロが交わした事を全て周知しているかのようだ。


「な、何か、というのは……?」


 歯切れ悪く尋ねると、ユリウスはまたさっきの朗らかな笑みに戻って、


「いや、ミロの事だからてっきり君に僕の身の回りの世話を無理やり頼んだんじゃないかってね。君はあの子の言葉を理解できているみたいだし、随分はしゃいでいるみたいだったから、君に迷惑をかけてないかなと思ってね」


 そう言って何事もなくお茶を飲み始めた。病の事でミロに懇願された事はユリウス自身は知らないらしい。


「ユリウスさんはミロの言葉が聞こえてるんですか?」

「いいや、聞こえない。でももう長い付き合いだから、言葉がわからなくても、彼が何を考えているかわかる」


 ユリウスははっきりと断言した。この言葉の中に、これまでの二人の付き合いの長さや信頼の深さが詰まっていた。

 改めてイスカはこの二人がメルカリアにいた頃のイスカとジンロに似ているのだと痛感する。だからこんなにも気がかりで、強く惹かれるのかもしれない。


「ユリウスさんは、体調を崩されてもう長いんですか?」

「ああ……、そうだね。もう随分長い事こんな生活だ。ミロにも、随分と世話をかけている。……本当はね、自分でも治る見込みがないのはよくわかってるし、早く楽になってあの子を解放してあげた方がいいんじゃないかと思う時がある」

「そんなこと言わないでください!」


 イスカは思わず声を張り上げた。


「ミロはユリウスさんに何としても良くなって欲しいと思ってます。冗談でも、そんなこと言わないで下さい」

「そうか、……すまなかった」


 イスカとユリウスは双方とも目を伏せ、しばらく無言でお茶を飲む。ふと、ユリウスの枕元に随分年季の入った小さなメモ用紙とインクペンが置かれているのを見て、イスカはそれに視線を向けた。


「ああ、これが気になるかい?」


 それに気づいたユリウスが少し照れ臭そうにメモ用紙を持ち上げパラパラとめくった。


「何か書かれていたんですか?」

「趣味の一つでね。頭に浮かんだ言葉を忘れないようにこうやって書き溜めておくんだ」


 イスカがメモ用紙をのぞき込むと、そこには細かい字でびっしりと文章が書かれていた。散文や韻文、詩の類が無秩序に並べられていて、文字通り言葉の海が広がっている。


「すごい……、見せてもらってもいいですか?」

「いいけど……、素人の落書きみたいなものだよ。見ても面白くない」


 ユリウスは気後れ気味にイスカにメモ用紙を手渡した。イスカはその膨大な言葉の世界を隅々まで堪能する。素人だなんてとんでもない。温かくて繊細で、どこか懐かしさを感じる言葉選びの数々にイスカは舌を巻いた。

 ほう、と感嘆のため息を漏らしながら読みふけっていると、さすがにいたたまれなくなったのか、ユリウスがメモ用紙をひょいっと摘み上げた。


「ほら、これはもうおしまい。それより、せっかくだから君の話を聞かせてよ」

「私の話、ですか?」

「ああ、君は旅をしているんだろう?君の故郷の話とか、旅先で目にしたものとか、そういうのを聞きたい」


 メモ用紙を取り上げられて残念に思ったイスカだったが、ユリウスは目を輝かせて話を聞かせてくれと訴えてくるので、仕方ないかとほほ笑んだ。闘病生活が長いのなら、遠い町の事を知る機会も少ないだろう。イスカはリクエストに応えて、自分の故郷の事を話し始めた。


「私の故郷メルカリアはここから北西の山岳の方にある街です」

「メルカリアか。聞いたことはあるが僕は行ったことがないな、どんな街なんだい?」

「とても賑やかな街です。繁華街では商人たちが卸売りをやっていて、一緒に歩く友達の声が聞こえないくらい。たまに楽団や劇団もやってきます。中央広場でお芝居をやったり演奏会では参加者皆で歌ったり……、ああでもメルカリアは聖騎士のお膝元なので、あまり騒がしくすると騎士団が牽制に来るんです。大人たちは夜まで馬鹿騒ぎする事もあるけど、巡回の騎士たちが来ると一斉に逃げろーって家に駆けだしたりして」

「へえ、それは面白いな」

「でも騎士団は決して怖い人たちばかりじゃなくて、時々町に降りてくると子供たちにお菓子を配ったりおもちゃを配ったりするんです。私も子供のころはそれがすごく楽しみでした」


 話をしながらイスカも懐かしい故郷を脳裏に思い描いていた。ジンロと共にメルカリアの街を出たのが遠い昔のようだ。今はもう懐かしい、けれど決して色あせない記憶。そしてその思い出の中にはいつも、ジンロと祖母リンデの姿があった。


(おばあちゃん……)


 話をしているうちにふと、祖母の事を思い出した。明るくて豪快でいつも太陽のような人だった。彼女が元気を失ってしまったのはいつの頃だっただろうか。


「……どうかしたかい?」


 思いつめた顔をしたイスカをユリウスは心配そうにのぞき込んだ。

 イスカは慌てて何でもないと首を振る。けれど目の前にいるユリウスの姿に祖母の面影が重なってイスカは胸が急に苦しくなった。

 ユリウスは祖母にも似ている。彼女は豪快な人だったが、時折見せる柔らかな表情とか、優しい物腰とか、今目の前にいる人に良く似ているのだ。祖母も病気になった時、こんな風に青白い顔で笑っていただろうか?治る見込みの薄い感染症だと診断されて、それでも明るくいようとする祖母の顔を思い出した。


 何故だか急に寂しくなった。もし今祖母が生きていたら、なんてここ数年一度も考えもしなかった事が今になって心の中に浮かび上がった。


「……私の故郷はとてもいい街です。家族も、隣人も、皆いい人たちばかりです」


 イスカはそう言って無理やりに笑う。


 あるいはこの時気づいていたのかもしれない。ユリウスを助けると決心した時から、無意識に考えないようにしていた事を。イスカがユリウスを『助けなければいけない』と直感で思ったその理由を。

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