第五話 病の回想、鳥の狂暴①
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窓の外がうっすらと明るくなりジンロは薄目を開けた。いつものように窓の淵で眠っていたジンロは、窓の外から見えるどんよりとした明け方の空気にため息をつく。
礼拝堂の中を見返してみた。人気がなく冷たい空気が停滞している。
「……今日も行ったのか」
ジンロはもぬけの殻になっている寝台を見て呟いた。
一昨日前、街を散策して戻ってきてから、イスカは毎朝陽の上らないうちに礼拝堂を抜け出し、どこかへと足を運んでいた。行先など一つしかない、散策の途中で出会ったユリウスという男とその飼い猫であるミロの家だ。
行くなとジンロが忠告しても、イスカは自分の意思を曲げなかった。万物の奏者として、あの男を救おうとしているのだろうか。
「馬鹿な事を」
だが、無理やり連れて帰ってきたところで、彼女は納得しない。イスカはああ見えてかなりの頑固者だ。ジンロがいくら説得したって、そう簡単に聞き入れてはくれまい。下手をすればもっと悪化する。情けない事に、ジンロはどうすればいいか全く見当がつかない。
ジンロは閉ざされた重い扉の前で深く息を吐いた。この扉を開けて、イスカを連れ戻す気力が起きない。
「お前が行ったところで事態が悪化するだけだ。好きにさせておけ」
ジンロの心の中を見透かしたように、その声が響いた。振り返るとそこにローブを目深にぶった線の細い青年の姿がある。
「……ようやくお出ましか、ザウド」
昨日まで散々呼んでも部屋から出てこなかった男がここにきてようやく顔を出した。相変わらず皮肉気で、嘲るような眼差しでこちらを見透かす。
「ふん、小娘一人御しえない腰抜けが。……安心しろ、万物の奏者はちゃんと猫の抜け道を通っている。村人に会う事もない」
「……全てお見通しってわけか」
ジンロたちが村人に襲われた事も、九生の猫に出会った事も、そこでユリウスを救うよう求められた事も。
ジンロはザウドに向き直った。イスカがあの家にいるというなら、少なくとも村人に追い回され即刻手にかけられるという事はない。今、ジンロが糾弾すべきは、目の前にいるこの男だ。
「聞きたい事がある。今度こそ逃げんじゃねえぞ」
「上等だ。僕もお前に言っておかなければならない事がある。―――来い」
ザウドはそう言って礼拝堂の奥へと消え、ジンロはその背を追った。
ザウドの部屋に案内されると、そこには意外な先客がいた。
「フィオナ、お前こんなところにいたのか?」
しばらく姿を見ていないと思ったら、散らかった部屋の一角を無理やり陣取ってふんぞり返っている。明らかに機嫌はよろしくないようだ。
「あら、お姫様ほっといていいのかしら?」
「……あいつは今いない」
「ふーん、放っていかれちゃったの?可哀想」
「っお前な!」
ただでさえ気落ちしている時に神経を逆なでしてくる女だ。あと一歩で掴みかかるところで、両者の鼻先に鋭利な刃物が飛んできた。横の壁には最初に礼拝堂に来た時にジンロたちを襲った紙片がナイフのように突き立てられている。
あと数センチずれていれば頭部をさっくりやられていたかと思うと、背筋が寒くなった。
「お前たち……、僕の話を聞く気があるのか?」
「……悪かったよ」
怒りに目を紅く染めた兎は、作業机から駒を動かして遊ぶボードのようなものを取り出すと、ジンロたちが座っているところにやってきて乱暴にそれを置いた。
「それは?」
「僕の視覚を具現化させる装置だ。ここに映っているのは、この村とその周囲数百メートルにある建築物や生き物だ。これを使えば、僕が知覚できる範囲のものを全て座標化し特定できる」
「へえ、よくできてるわね」
その盤上では確かに、ジンロが見てきた村の光景がジオラマのように正確に再現されていて、よく見ると小さな光の粒が無数に蠢いているのが見える。
「この光が生き物か?」
「そうだ。そして、注目すべきはここ、だな」
ザウドが示すまでもなく、その地点は大変目を引いた。村から数百メートル離れた森の中、そこに光が不自然に集中している。数は五十余り。暗く映し出されている森の中で、そこだけが異常に明るく照らし出されていた。
「こいつらは何?」
「兵士だ。おそらく……術師狩りの部隊だろう」
「術師狩りだと?」
ジンロは驚愕しザウドを見た。
「術師狩りがこんなところに来てるって事は、まさか、標的はここか?ここは術師の村なのか?」
「正確には村『だった』と言った方が正しい。今ここに暮らしている奴らは術師の伝統なんて継承していない。ただ、その血を引き細々と暮らしている残党だ。おそらく自身が術師であること自体知らない奴もいるだろう。……だが、たとえ伝統が継承されずとも術師は術師だ。国府連中が嗅ぎまわってここの所在を突き止めても不思議じゃない。今術師の界隈はここ数百年で最も揺れている。……大規模な派閥争い、お前たちもラージュの街で見たはずだ」
「革新派の術師の事?」
ザウドは頷いた。
「今まで隠れてひっそりと生きていた術師の中に突如現れた一派。彼らが何を目的に行動しているかもある程度は知っているはずだな」
前にラージュで出会ったクライヴが言っていた事が本当だとすれば、第二の獣王の誕生、そして―――獣王戦争の再来。
「それが今回の件にどうつながる?」
「獣王の誕生に必要なのは、獣と人の身体。かつてシルキニスの公爵は何万という生贄を集めその実験を行った。結果的にその成功に至ったのは万物の奏者を喰った我ら七人の獣王のみ。つまり最も効率的な手段は万物の奏者を捕らえ、適性のある獣にその肉を喰わせる事。だが、実際に万物の奏者は代ごとに行方をくらませ捕まえる事が困難であり、なおかつ術師たちの間で肝心の儀式の詳細が知らされていない。……だからこそ必要なのだ。獣王の生成を確実にするための実験台が。そしてそれに選ばれたのが」
「全国各地の術師たち。……つまり今森の向こうで待機しているのはここにいる術師たちを餌として捕えるため、かしら?」
フィオナがザウドの説明の続きを述べ、そしてふふっと笑みをこぼした。何が可笑しいのかジンロには到底理解できなかったが、もしこの話が本当なら今この国ではおぞましい試みが始まろうとしているうえに、とんでもない事実まで浮上している。
「なあ、だとしたらその術師を捕らえる役目をどうして国府の兵士がやっている?おかしいだろ、国は本来術師を迫害する立場にあったはずだ。その話の通りならば、獣王を生み出す革新派ってのはまるで……国そのものの意思のようだ」
「意見はごもっともだがおかしい事はない。そもそもかつて僕たちを生み出すよう指示を出したのはシルキニス公爵だったはずだ。つまり今回の件も同様。革新派の暗躍、裏で糸を引いているのは国府だ。……そして、おそらく術師の歴史に詳しいものなど国府の中にもそういない。その真実を知っていてなおかつ各地へと兵を派遣する事ができる者、宿敵であった術師を懐柔し駒にすることができる者。そんな人間はこの国に一人しかいない」
まさか、とジンロは息を呑む。
「黒幕は現シルキニス国王。陛下自らが駒を集め、その計画を実行しようとしている、という事だ」
予期せぬ事実にジンロは絶句し、フィオナは声をあげて笑い出した。
「ははっ、なるほど。だから猿が直々にお出ましになったってわけね。ガラドリム国の宰相がわざわざこの国に足を運び入れるなんておかしいもの」
「国王が指示しているとしたら目的はなんだ?わざわざ国王が内乱を教唆などするわけがないだろうに」
「その辺の理由は僕もわかっていない。とにかく今言える事は、ジンロ、フィオナ。今の段階で我々獣王がいまだ健在であるという事を奴らに知られてはならない。リマンジャ自身も相当の賭けをしてこの国に戻ってきた。奴らに正体が知られるような言動だけは控えろよ」
ジンロもフィオナも頷かなかった。フィオナはどう釘を刺しても人を喰う事はやめないだろう。ジンロは人をむやみに喰う事はないが、それ以上に厄介な立場にある。
イスカ、―――万物の奏者である彼女のもとについていれば、否が応でも革新派の連中に遭遇する。しかも奴らはすでに万物の奏者の正体を特定している。イスカが危険な目にさらされているのに、己だけ隠れているというわけにもいくまい。
双方の拒否を察したのか、ザウドは苛立ちげにため息をついた。
「お前たちは人間に干渉しすぎなんだ。この姿を得た時、人間の世に干渉しない方がいいと決めたのを忘れたのか?」
「……それはお互い様だと思うが」
「どういう事だ?」
ジンロが意味ありげにザウドを睨みつける。
「ザウド、この村は以前にも術師狩りに遭った事があるのか?」
ジンロの問いにザウドは頷いた。
「それはいつの事だ?」
「……およそ二百年前だ」
二百年前、それを聞いてジンロは確信した。昨日出会ったユリウスという男は、この村は盗賊に襲われたと言っていたが、おそらくそれは間違いだ。
「ザウド、先日俺はユリウスという男に会った」
ザウドの手が止まった。ぎろりと眼光のきつい瞳がこちらを睨む。ジンロは気にせず話をつづけた。
「その男が言うにはこの村は一度盗賊に襲われた。だから村人たちは余所者に対して疑心暗鬼になっているのだと。……違うんだろう?彼らが襲われたのはただの盗賊じゃない、術師狩りの兵だ。彼が言っていたのは二百年前の術師狩りの事、なぜ彼はさも見てきたかのように語ったのか」
「……」
「もう一つある。彼は不治の病に侵されていると付きの猫が言っていた。……だが奴の気配は明らかに死人のそれだった。もう生きちゃいない。不治の病も嘘っぱちだ」
ザウドはジンロを睨んだまま固まって動かない。何かを探るようにこちらをじっと見つめている。
「ザウド、確かお前がこの村に住み着き始めたのも二百年近く前だろう。ちょうど、……俺と喧嘩して仲たがいをした時だ」
「……ああ、そんな事もあったな」
「お前がこの村にとどまる理由はなんだ?お前は二百年前に何があったか知っているんじゃないのか?ユリウスの事も―――」
その時、ボード上から破裂音がして映っていたジオラマも光の粒も全て消え、辺りが一気に暗くなった。
ボードを停止させたザウドは俯いているため表情が読めない。ただ、動揺している事は確かなようで、よく見ると細い指先はごくわずかに震えていた。
「話せよザウド。お前の知っている事を」




