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第四話 異教の聖画、黒猫の導き③

 ◆

「……やだ、降ってきちゃったじゃない。最悪」


 時を同じくして、廃れた村の偵察に出かけていたフィオナは突然降りだした小雨に悪態をついた。

 イスカについて兎のいる教会まできたはいいが、兎の相変わらずな頭の固さに状況は膠着し、することもないので何もない村へと繰り出したものの、


「誰も歩いてないじゃない。若い男も―――いるわけないか」


 実際には道のあちこちからこちらを伺う気配がするのだが、近づいてくる気はないらしい。隠れてコソコソするなんて、と腹立たしさは一層高まる。


「やっぱりこんなところにまでついてくるんじゃなかったかしら?」


 歩き疲れて近くの壁に寄りかかって座った。本当に、自分は何しに来たのか度々馬鹿らしくなってくる。


 その時、一つ向こうの通りが騒がしくなった。男たちの怒号と忙しない足音、静まり返った村にしては珍しい。


「くそっ、どこ行きやがった!?」

「まだ遠くには行っていないはずだ!探せ!」


 どうやら複数人の男たちが誰かを探している。明らかに殺気立っている彼らの様子からして只ならぬ事態でない事を察知した。


「まさかとは思うけど、あいつらのせいじゃないでしょうね……?」


 今朝がたフィオナが起きた時、ジンロとイスカの姿が見当たらなかった。二人で村に出ていったのだとすると、可能性はなくはない。


「……とりあえず見つかる前に退散っと」


 自分まで厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ。フィオナは建物と建物の隙間に身を滑らせると、軽い身のこなしで壁を登り始めた。それほど高くない民家の屋根に上ると、そのまま体勢を低くして屋根から屋根へと飛び移る。道を堂々と歩いていては村人の目にさらされる。さっさと逃げた方が得策だ。

 出来るだけ殺気立っている連中が走り回っているエリアの逆方向へと進み、もう少しで村のはずれに到着するか、という頃、ふとフィオナは妙な気配を感じて足を止めた。


「……?」


 フィオナがいる建物は他の家屋より高く、その屋根の上からは小さな村とその周辺の街道が一望できた。

 村の囲いの向こう、東の街道の方から妙な気配を感じる。姿は見えない、だが、確実に何か多勢の集団らしき気配が隠れている。


「何、……何かいるの?」


 フィオナは鼻は聞くが目はいい方ではない。兎のような目と耳を持っていれば正体がわかっただろうが、


「気味が悪いわ。さっさと帰って兎に聞いた方が―――」

「ほう、仲間がいるのか」


 突如背後から抑揚の無い声がして、フィオナは飛びのいた。家屋の屋根上という本来なら人とばったり出くわすことなどありえないその場所に、いつの間にか一人の男が立っていた。


(あら、結構いい男)


 その男は思いのほか若く、鼻が高く顔は整っている。線はやや細めだが体格も悪くない。ここにきて思わぬ理想的な獲物に出会えたことにフィオナの中の獣王の本能が鎌首をもたげた。

 だが、状況が状況だ。さすがのフィオナも警戒を解くことなく、男に笑いかける。


「こんにちは。お散歩かしら?」

「こんな屋根の上をか?」


 男は口をゆがめて笑うが、どこか人形的だった。感情が顔に現れにくいと言えばいいのか、その不気味さにフィオナはたじろぐ。男の胸元では十字のペンダントが揺れていた。裾の長い黒い法衣から見て、彼はおそらく聖職者だ。だが、こんなところに突如現れた事といい、希薄な表情といい、明らかにただの神父とは思えなかった。


「俺からも聞こう。貴女は村人ではないな。何者だ、こんなところで何をしている?」

「ただの散歩よ。散歩で屋根の上を渡っちゃいけないの?」

「それにしては随分軽い身のこなしだった。ただのお嬢さんにしてはお転婆が過ぎやしないか?」

「……何、さっきからずっと見てたの?私の事」


 フィオナははにかんだが、内心では冷や汗が止まらなかった。見られている事に気づかなかった。こいつが現れた時も話しかけられるまで気配すら感じなかった。この男の方がよっぽど只者ではない。


「それより私の質問に答えてよ。あなたこそこんなところで何しているの?」

「俺は仕事だ」

「仕事?」


 明らかに村人ではない男は、静かに答えた。突然彼の伏せた目の奥がギラリと光った気がして、フィオナは反射的に戦闘態勢に入った。


 キィン


 一瞬だった。目にもとまらぬ速さで投擲されたナイフがフィオナの腹に向けてまっすぐに飛んできた。フィオナはそれを両手で受け止める。その手には鋭く大きな爪が歪に生えていた。


「……っ!」

「やはり人間でなかった。化け物め」


 男はフィオナの爪を見て、先ほどとは一変し嬉々として笑った。瞳孔は見開かれ口元はひきつったように歪められている。狂気の笑みを浮かべた男の手には今しがた飛んできたナイフと同じものが握られていた。


「あんた、神父じゃないわね。何者?」

「教会をあぶれた『元』神父だ。今の仕事は―――化け物退治」


 強い踏み込みと共に男が一瞬で間合いを詰めてきた。フィオナは体を大きく後ろへ反らし距離をとる。狭い屋根の上でフィオナは危うく転落しそうになりながら、しなやかな身体のバネで隣の家屋へと飛び移った。


(化け物退治ですって!?冗談じゃないわ!)


 フィオナは舌打ちをしつつ、屋根の上を飛び越え逃げた。後ろを振り返ることなく全速力で駆け抜ける。だが、


「きゃっ」


 後ろから顔の横すれすれにナイフが飛んできた。見ると男もフィオナと同じように軽々と屋根の上を跳んでいた。虎の王フィオナならともかく、明らかに人間離れした身体能力にフィオナは頬を引きつらせた。


「もうっ、なんなのよあいつは!」


 悪態をつきながら、フィオナの心中に灯るのは歓喜だ。

 楽しい、虎である己を追い回すその度胸、実力。狂気に満ちた顔、フィオナと同じ戦う事が心底楽しいと言わんばかりの表情。


 ―――あんな男を食べる事が出来たら、どんなに心が満たされるだろう。


 いつの間にかフィオナも笑いが止まらなくなっていた。自分の中に潜んでいた獣王の本能がすっかりと呼び覚まされ、この状況を楽しんでさえいる。


 やがてフィオナと男は広い建物に着地した。ここは村の中心にある役場だ。村はずれの教会に帰るつもりが、気づかぬうちにこんな中心にまで来てしまったらしい。

 逃げるのをやめたフィオナは息を整えつつ、男を振り返る。


「ねえ、名前教えて」


 フィオナが告げると、男は一瞬キョトンとした顔した。さっきの狂気を孕んだ顔ではない、年相応の幼さが残る可愛らしい表情だった。


「……リシュリュー=ブレイク」

「あはは、答えちゃうんだ。……まあいいわ。私の名前はフィオナ=スペント。いい名前でしょ?」


 リシュリューは答えなかった。彼はまた最初の無表情に戻り静かにナイフを構える。


「ねえリシュリュー。お姉さんと賭けをしない?」

「賭け?」

「あなたが勝ったら私の事好きにしていいわよ。あなたがなんでこんな辺鄙なところまで化け物退治に来たか知らないけど、それが望みなら化け物として倒されてあげる」

「……ではお前が勝ったら?」


 リシュリューは抑揚のない声で尋ねる。フィオナは瞳孔を細め、にぃと笑った。


「私に臓物を頂戴。あなたの腹の中に詰まった、美味しそうな臓物を」


 唇の隙間から除いた鋭利な八重歯が光った瞬間、フィオナは猫のようなしなやかな動きで男に躍りかかる。リシュリューもまた、それに応戦するようにナイフを前に突き出し大きく振りかぶった。

 その時、


「やめろ、リシュリュー!」


 叫び声と共に、フィオナとリシュリューの間に閃光が走った。フィオナは思わず飛びのく。リシュリューもまた驚いてナイフを取り落とした。

 フィオナの前に立ちふさがったのは、リシュリューと同じ顔の、同じ背格好の、そして同じ黒服を纏った男だった。彼の掲げた左手から先ほどの閃光の名残がバチッと弾けた。


「チェスター、お前まで来たのか?」

「馬鹿野郎!お前がいつまでたっても偵察から帰って来ないからだ!」


 チェスターと呼ばれた男は、リシュリューを見るなり怒鳴り声をあげた。リシュリューとは瓜二つの顔をしているが、こちらは表情の捉えやすい男だった。


「心配なってきてみれば、こんなところで厄介事とはな」


 そう言って、チェスターがフィオナに向き直る。彼はすぐにでも術を打てるように構えを崩さない。

 思わぬ乱入者だが、フィオナにとっては大したことではない。どうやらこのチェスターという男は術師のようだ。獲物がまた一人増えた、しかも術師。こんなうれしい事はない。


「……女、何が可笑しい?お前何者だ?」

「―――可笑しいに決まってるわ。ああ、私この村に来てよかった」


 フィオナは自身の身体が高ぶるのを感じた。すると自身の体の輪郭が歪んでいくのを感じた。瞳孔が細くなり、徐々に人ならざる者に変化していくのがわかる。


(ああ、美味しそう。こんな御馳走をいっぺんに二人も食べれるなんて……!)


 フィオナの変化に二人の男も警戒を強めた。緊迫した空気がよぎる。だが、またしてもその空気を切り裂くように、上空からバサバサと白い群集が三者を取り囲んだ。


「なっ……!」


 フィオナたちが虚を突かれて驚愕する中、その白い紙片の群れが形を成し、やがてフィオナの側に一人の人間の影を形作る。その正体にフィオナはこれ以上ないほどの嫌悪を向けた。


「兎……、良いところなのよ。邪魔しないでよ」

「ふん、お前こそ。こんなところで『食事』をする気か?いい迷惑だ」


 常人ならすくみ上ってしまうほどの脅しでも、兎の王ザウド=パウエルは平然と睨みかえす。腕力も体力も何もかもフィオナより劣っているくせに、度胸だけは据わっている。

 ザウドは呆然としているリシュリューとチェスターに向き直ると静かに告げた。


「双方武器を収めろ。今ここで争うのは得策ではないだろう?」

「はあ!?ちょっとあんた、いきなり割り込んできて何言いだすのよ!?」

「この血の気の多い馬鹿の事は気にしなくていい。そっちの後ろの奴も同類のようだが」


 ザウドはリシュリューをちらりと見て、次に警戒を緩めないチェスターに向き直った。


「あんたなら話が分かるだろう。ここは見逃してやる。引け」

「……言われなくても、俺はただこいつを引き取りに来ただけなんでね」


 そう言って、チェスターは不満げなリシュリューの首根っこを掴むと屋根を飛び降りた。二人の影はあっという間に見えなくなり、フィオナは獲物にまんまと逃げられた事に絶望する。


「ちょっと!どうしてくれんのよ!せっかくの御馳走だったのに!」

「うるさいな。ここは僕の領域だ。揉め事を起こすなら出て行けよ」


 正論を返されてかっとなったフィオナはザウドの身体を真横に切り裂いた。ザウドの身体は無残に裂け霧散し、紙片が渦となって巻き上がる。

 これはただの偶像。ザウドがよく使う術の類だ。どうせ本物はあの陰湿な礼拝堂の奥に引きこもっている事だろう。


《安心しろ、どうせあいつらとはすぐにでも再会するさ》

「……どういう事よ?」

《知りたければとっとと帰ってこい。お前らに話がある》


 そう言ってザウドの偶像はあっさりと引き下がっていった。納得のいかないフィオナは悪態をつきつつ空を仰ぐ。雨が本降りになってきた。結局村の外れから感じる気配の正体もわからない。全く気味が悪い。

 どちらにせよ、いったん引き上げた方がよさそうだ。フィオナは軽やかに駆けだすと、屋根を渡り礼拝堂の方へと向かった。

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