第四話 異教の聖画、黒猫の導き②
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その家屋は大通りに面した建物と同じように古びて廃墟のようだったが、中に入ってみると意外にも手入れが行き届いており人が暮らしている匂いがした。
《清潔なタオルがあちらの戸棚にありますのでお使いください。寒ければ暖炉をつけてくださって結構です》
雨に打たれてイスカもジンロも濡鼠だった。身体も冷え切っているので、ありがたくミロの好意に甘える事にする。
《私はユリウスの様子を見てきます》
ミロはそう言ってリビングに続く奥の部屋に消えていった。その部屋から微かに人間の咳払いが聴こえる。どうやら家主はちゃんといるらしい。
「とりあえず火起こすか、冷えただろ」
「……うん、私もタオルもらってくるね」
イスカが身体を拭くタオルを出している間に、ジンロが暖炉に火を起こした。パチパチと爆ぜる薪の音と共に部屋全体が温かくなり、自然とイスカの緊張も解れていく。
「……さっきの人たち、なんで急に襲ってきたんだろう?」
「兎の事を悪魔と言ってたからな。まあ、何十年もあの教会に住み着いてるみたいだし、普通の村人からしてみれば異様に思われて当然だ」
その『悪魔』の仲間だと思われたイスカたち。村人からしてみれば恐怖の対象だったという事か。
その時ミロの消えた奥の部屋からぎしりと物音がした。チリチリというミロの首の鈴の音と人の足音が近づいてきて、奥からミロとひょろりと痩せた一人の男が現れる。
「やあ、君がミロの友達かい?」
男は今にも消え入りそうな掠れた声で言った。男は辛うじて立っているがその足取りはひどく覚束ない。顔も暗がりでわかるほど痩せこけており、まだ若いようだが、ひどく老けて見えた。薄い肌着から除く手足は骨と皮しかなく一瞬幽霊でも現れたのかと思ってしまった。
「――っ、ごめんなさい。勝手に家に上がってしまって」
「構わないよ。ミロが招いたんだ、それはこの家の客人と言う事だよ」
男は足元でじゃれるミロに微笑みかけた。ミロは嬉しそうに喉を鳴らし、男に寄り添っている。
「僕はユリウス。よろしく頼むよ」
「私はイスカです。こっちはジンロ。その……、村の人たちに襲われて、ミロに危ないところを助けてもらって」
「ああ、そうだったのか。村人たちは自分たちの領域に異端者が入り込むことを嫌うから。ほとぼりが冷めるまでここにいるといい。今お茶を淹れよう。汚いところだがゆっくりしていってくれ」
「あ、手伝います」
「客人の手を煩わせるわけにはいかないよ。どうぞ座っていてくれ。……ミロ、手伝ってくれるかい?」
そう言ってユリウスは少しよろけながら流しの前に立ってお茶を淹れ始めた。ミロが付き人のように彼にぴったりと寄り添っている。
「……なんだか不思議な人だね、ジンロ。―――ジンロ?」
ふと、そういえばジンロが珍しく一言も発していない事に気が付いた。彼の顔をのぞき込むと、ジンロはユリウスを凝視したまま固まって動かない。
「ジンロ……どうしたの?」
「―――いや、何でもない」
こちらの視線に気づくとジンロは我に返った。さっきまで息をしていなかったようで、ジンロは大きく深呼吸を打つ。額には汗も滲んでいた。
(一体どうしたんだろう?)
様子のおかしいジンロをよそに、ユリウスとミロは楽しそうにお茶を淹れていた。その背中が何故かとても眩しくて、切なくて、そして懐かしかった。
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「そうか、君たちは昨日この村に来た旅行者だったのか」
ユリウスが淹れてくれたお茶を飲みながら、イスカたちがこの家に来た経緯を話して聞かせた。
「村の連中は最近どうにもピリピリしているみたいだからね。僕もこんな体だから碌にこの家から出ないし、状況はよくわからないんだけれど……」
「この村は前からこんな風ではなかったのですか?」
「もちろん、田舎で何もないけど、皆笑って楽しそうに仕事をしていた、明るい村だった。それが今は……、あの事件以来外部の敵に恐れてああなってしまった」
「事件……?」
「盗賊に襲われたんだ。畑を荒らされて、女子供が連れ去られて、殺されたものも多くあった。あれ以来村人たちは余所者を嫌う。攻撃的になってしまうのも無理はない」
「そう、だったんですね」
それならばあの村人たちの様子も納得だ。外部から来たものなど怖くて受け入れられないだろう。
「あまり村には近づかない方が得策だ。ところで、昨日来たと言っていたが、君たちは一体どこに滞在しているんだ?」
「村の外れの教会です。……そういえば、彼らは教会に暮らす『悪魔』も恐れていました」
「教会に暮らす悪魔……?」
ユリウスは眉を寄せ、顔を青ざめさせた。村人たちが教会の事を聞き色めき立った時のように、ユリウスは明らかに態度を急変させた。教会に暮らす悪魔の存在は、それほどまでにこの村ではタブーとされているのだろうか。
だがよく見ると、ユリウスの反応は他の村人とはやや異なっていた。村人たちは純粋に恐怖していたのに対し、ユリウスは焦りと戸惑いのような複雑な感情をその白い顔に浮かべていた。
《ユリウス》
動揺したユリウスを宥めたのはミロだった。彼はぴょこんとテーブルの上に飛び乗ると、ユリウスの手をその小さな両足で掴む。
「―――ああ、ミロ……」
《ユリウス、もうそろそろ休みましょう。あまり起き上がっていては体に毒です》
「……すまないお二人とも。少し疲れたから僕はもう退散するよ。落ち着くまでゆっくりしていいから」
「あ……、はい」
のろのろと寝室に戻っていくユリウスの足元にはミロがぴったりと寄り添った。
突然の事にイスカは、呆然と彼らの背を見送った。
「どうしたんだろ、急に……。ねえジンロ―――」
イスカはさっきから黙ったままのジンロに問いかけた。だが、彼は先ほどから険しい顔で押し黙っていて、今はユリウスが消えた扉の向こうを穴が開くほど見つめ睨んでいる。ふとジンロのカップをのぞき込んでみると、一口も飲んでいないようだった。
「ねえジンロ、さっきからどうしたの?怖い顔して」
ジンロもジンロで一体何を警戒しているのか。イスカにはさっぱりわからない。
するとチリチリという音と共に、ミロが部屋に戻ってきた。
《お二人ともお騒がせしてすみません》
「ううん、そんな事よりユリウスさんは?」
《お休みになりました。彼は生まれつき身体が弱くて、床に臥せがちなのです》
「―――本当に病弱なだけか?」
ジンロが咎めるような声で言った。しばしミロとジンロは無言でお互いを見つめる。ただならぬ気配に、イスカはハラハラしながらそれを見守った。
《……ええ、病であることは本当です。ですが……さすがは鳥の王、加護の力を持つあなたには全てお見通しというわけですか》
鳥の王、ミロは確かにジンロの事をそう呼んだ。知っているのだ、この猫は。ジンロの正体を。そして、
「では本題に入りましょう。あなた方を助けたのには理由があります。頼みたい事があるのです。―――万物の奏者、あなたに」
ミロはイスカの事も承知のようだった。イスカは混乱し、目の前に佇む黒猫を見つめる。暖炉の薪がパチッとはぜた。外の雨はまだ止んでいない。




