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第一話 少女の決意、感謝のしるし③

 ◆

 一連の騒ぎの中で、失神し意識を失ってしまった商人の男を目的の町まで連れて行った。せっかく足を貸してもらったにもかかわらず申し訳ない事をしてしまったと、イスカは心の中で謝罪する。彼が率いていた荷馬車も道中で壊れ、今は仲間の業者が引き取りに行っているそうだ。そこから先の事はイスカたちには力になれない。あとの事を業者たちに任せ、イスカたちは宿へと急いだ。


 夕暮れに染まる静かな宿屋の一室で、イスカは身を固くして椅子に腰かけた。正面にはフィオナがこちらに身を乗り出すようにして座っている。先ほどからイスカの事を楽しそうに食い入るように見つめていた。

 部屋にはイスカとフィオナしかいなかった。ジンロは別の部屋で待機してもらっている。同伴すると言って聞かなかったが、どうしても二人だけで話がしたいのだとお願いした。


「それで、私と話したい事ってなあに?可愛いお嬢さん」


 フィオナが優しく問いかけてくる。イスカは肩の力が抜けないまま、ゆっくりとその口を開いた。


「……フィオナさんは、私を食べるために私を追ってきたの?」


 単刀直入にイスカは尋ねた。するとフィオナは面白そうに目を細める。


「ええそうよ、その通り。私はあなたを食べるためにここまできたの」


 予想通りの答えにイスカは慄く。以前見た右手を喰われた兵士のように、さっき見た頭をむしり取られた盗賊のように、この人はイスカの事も食べたいと思っている。


「それは、あなたが獣王だから?」

「―――ええ。獣王は皆、万物の奏者レーディンレルを求めているの」


 フィオナの細い指がイスカの腹部に寄せられる。恐怖で逃げ出したくなったが、イスカはそれをグッとこらえた。


「私は昔、万物の奏者の内臓を食べたわ」

「内臓……」

「ここのね。中に入っている柔らかくて温かい、あまーい臓物をね」


 指がイスカの腹を撫でる。前にそうされた時と同じように畏怖と快楽が同時に押し寄せてきて、イスカはたまらず目を閉じた。くすくすと笑う声がすぐ側で聞こえる。


「獣王はね。人食の業を背負っているの。人を喰って生まれたから、人を喰わなくては生きていけない。人間が食事を欲するのと同じ、それなしでは生きられないのよ」

「……っ、だから、私が、……欲しいの?」

「そう、私たち獣王にとって万物の奏者は何よりも特別な存在だから」


 ひたすらに甘い声でフィオナは囁く。フィオナの指がようやくイスカの腹部から離れると、イスカは安堵したように脱力した。


「万物の奏者は別格なの。たった一口その体を口にするだけで村一つの住人を喰いつくすのと同じくらいの満足感が得られるわ。……こうして触れるだけでも」


 俯いていたイスカの額に柔らかな感触が降ってきた。フィオナの形のいい唇だとわかると、イスカの頬が紅潮する。まるで捕らえた獲物を味見するように、フィオナはイスカの額に何度も何度も口づけた。その度にイスカの身体は震え固まる。


「人を一人食べるよりも何倍もの英気を養える。それほどまでに、あなたの存在は尊いの。だから私たちは今までずっとあなたを追いかけてきた。万物の奏者が生まれ出でる度、私たち獣王はいつもあなたを探し求めていたの」

「……ジンロも?」

「勿論。あいつだってもう数えきれないくらいの人間を殺して喰ってるのよ―――万物の奏者の事も」


 ずしんとイスカの心臓が重くなった。


(わかっていたことじゃない。本人もそう言っていた)


 けれどもそれを告げられる度、心臓の痛みは増していく。目の前にいるフィオナも含め彼らはイスカとは違う存在なのだと、思い知らされる。

 唇を離すと、今度はイスカの頬を愛おしそうに撫でた。感覚が麻痺してきたのか、だんだん恐怖を感じなくなっていった。その代わり、イスカの中に例の懐かしい感情が湧き出てくる。

 食べると宣言されても、こんな風に触れられて今にも齧られそうになっても、未だ消えないその感情がイスカの中で燻り続ける。


「フィオナさん。私も、あなたたちの事特別な存在だと思ってるわ」

「あら、本当に?」


 嬉しそうに顔を輝かせるフィオナにイスカは頷いた。


「あなたたちと会うと、何故か懐かしいって思う。初めて会ったばかりなのに、すごく心が温かくなって、離れがたくなるの」


 それは幾度も人を喰うところを垣間見たフィオナでさえ例外ではなかった。旧知の友に出会ったかのような愛しさはとどまることを知らない。


「本当はあなたの事すごく怖い。今すぐにでもここから逃げ出したいくらい。でもそれと同じくらい近づきたくなる。……知りたくなるの、あなたの事を」

「……」

「でもどうしてなのか、私にはわからない。それが万物の奏者であるからかもしれないけれど、自分が万物の奏者であることも私は最近知ったばかり。それがどういう意味を持つのか、何が他人と違うのか、私は何も……知らない」


 万物の奏者のくせに知らないのかと、かつて出会った術師の男はそういった。


「だから私決めたの。知らないままでいたくない、そのためにちゃんと向き合うって。あなたたちとも―――獣王とも向き合いたい。ちゃんと話をしてあなたたちの事もっと知りたい」


 そう言ってイスカは深々と頭を下げた。フィオナの顔は見えない、彼女は今どんな顔をしているだろうか。


「だからお願いします。私を食べるのはもう少しだけ待って下さい。私はまだ死ぬわけにはいかない。知るって事もそうだけど、今まで私を支えてくれた人たちにちゃんと顔向けできるまで、私は私のままで生きていたいの」


 イスカは俯いたままぎゅっと目を閉じた。このまま、がぶりと頭を喰われてもおかしくない。それでもイスカは顔をあげなかった。


 沈黙の後、イスカに聞こえたのは盛大なため息だった。イスカは思わず顔をあげる、そこには先ほどとは異なり毒気の抜かれたフィオナの姿があった。


「……あんたって意外と強かね。しかも無自覚、まだ怖がって反発してくれた方が何倍もましなのにたちが悪い」

「えっ?」

「あんたみたいな子にそんな風に懇願されて、それで私が嫌だなんて言ったら私完全に悪者じゃない。ほんと、冗談じゃないわ」


 フィオナは脱力したように椅子にもたれかかって悪態をついた。今までの欲に燃える獣とは違う、気だるげな女性の姿に変わっている。

 イスカはぽかんとして目の前にいるフィオナをじっと見つめた。もう恐ろしさはない、そこにいるのは何の変哲もないイスカより少し年が上の美しい女の人だ。


「……わかったわよ。今すぐにあんたの事は食べない、あんたが食べられてもいいって納得するまで、待つわ」

「本当!?」


 イスカは思わず椅子から立ち上がった。


「二言はないわよ。もう……、鳥といいあんたといい……」


 フィオナはぶつぶつと愚痴っていたが、イスカはもう聞いてはいなかった。


「ありがとう!」

「礼なんか言わないでよ……なんかますますいたたまれない」


 毒づいたフィオナだったが、ふと思いついたようににんまりと口角を上げた。


「……そうね。待ってあげる代わりに私のお願いも一つ聞いてくれる?」

「―――え?」


 楽しそうに笑うフィオナにイスカはまた背筋に悪寒が走った。そしてフィオナはそのお願いとやらを告げる。


「私も一緒に連れてって。―――あなたの旅に」


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