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第一話 少女の決意、感謝のしるし①

 ◆

 イスカは夢を見た。それは自分ではない誰かになる夢、イスカの知らない世界を渡る夢。


 最初はとある国の領主となった。イスカは女性でありながら義父の地位を継ぎ、小さいながらも豊かな領土を取り仕切る身となった。領民はみないい人ばかりだった。農民たちは毎日交代で直営地へとやってきて畑を耕した。イスカは彼らにお菓子をふるまったり、時にはお屋敷にあった、必要のない調度品を進呈したりした。働きに来た父親たちに引っ付いて子供たちもやってくる。イスカは子供たちと庭で散歩し一緒に遊ぶ時間が何よりも大好きだった。


 次は路地裏の子供となった。イスカに親はいない。死に別れたか、捨てられたかもわからない。イスカはいつも腹を空かせて表の通りを荒んだ眼で睨みつけている。時折通りがかった心優しい紳士淑女がイスカの手に幾ばくかの硬貨や小さなお菓子を握らせた。あるいは男に手を引かれ知らない建物の中に連れ込まれた。そういう時は決まって着ていた肌着を引ん剝かれ、身体のあちこちを触られたり、逆に男の身体を触らせられたりした。行為をしている最中は正直気持ち悪かったけど、その後男が銀貨を一枚くれるので、帰りにそのお金で小さな甘いパンを一つ買って食べるのが大好きだった。


 次にイスカは都に暮らす若い女職人となった。イスカの仕事はガラス工房の下働き、地方から上京してきたイスカは下町のぼろい共同アパートに下宿している。朝早く起きて窓を開けると、外はもう仕事に出かける人たちでにぎわっている。イスカは手早く身支度を済ませ仕事場へと向かう。イスカの働くガラス工房は狭く小さめの溶解炉で工房はいっぱいになってしまう。その中で丸一日働くため、冬でも汗だくになるので、いい服を着ることもおしゃれなアクセサリーをつけることもなかった。けれども最近はほんのちょびっとだけ、唇に紅を引くようになった。その理由は通勤路の途中、いつも同じ時間、同じ場所ですれ違うあの人がいるからだ。今日も彼は中心街の大きな商館の前で上司の出社を待っている。彼は商人の小間使い、たまに上司にくっついて会計をしている姿を見たことがある。商館の前を通り過ぎるとき、彼と目が合う。前はそのまま通り過ぎるだけだったが、最近はお互いに会釈して微笑みを交わすようになった。片眼鏡をかけた温かなブルーグレーの瞳が柔和に細められるその一瞬がイスカは大好きだった。


 イスカはその一人一人の人生をなぞるように追体験した。そしてどんな人生にも喜びがあり楽しさがあり、そして悲しみがあった。それをまるで自分の感情のように享受していた。それは時折不快に感じるものもあるが、決して怖いものではなく、むしろ自分の知らない世界を覗き込んでいるかのようで、少しワクワクするものであった。きっと夢の中の世界であると割り切れたからだろう。どんなにリアルで生々しい経験でもそれはここにはない、どこか虚空の世界の事なのだから、と。


 しかし最後に映し出された世界はこれまでのものとは異なっていた。そこは小さな村、本来なら長閑で美しい情景が広がっているであろうその農村は、今は地獄のごとき光景にすり替わっていた。夕暮れの陽、燃え盛る炎、そして―――農民たちの血の色。それらがぐちゃぐちゃに溶け合った禍々しい紅が、目の前に盛大にぶちまけられている。業火に焼かれた家や木々そして人の臭いが鼻を突き、肌は燃えるように熱かった。イスカはその村の中心で泣いていた。腕にはすでにこと切れた子供の亡骸がある。もう物言わぬ死体に向かって、ずっとその子供の名前を叫び続けた。そしてそれが無駄だとわかると、理不尽な境遇を呪って、ひたすら呪詛の言葉を吐き続けた。

 するとそれは現れた。黒く長いグロテスクな脚を生やした怪物が、イスカの視界を覆いつくす。それは地獄の中に降り立ちイスカを追い詰める。


 ―――人殺しの化け物め


 イスカはひたすらにその怪物を罵った。声は枯れ涙も絶えたが、その怪物に対する怨恨はますます胸中で膨れ上がる。


 ―――お前は絶対に許さない。必ず、必ず殺してやる!


 イスカはその化け物に向かって吐き捨てた。化け物は何も言わない、脚だけが奇怪に蠢き続けている。その脚の一本が、目にもとまらぬ速さで地を這い、そしてあっけなくイスカの身体を貫いた。


 ―――!


 痛みはなかった、けれど身体が燃えるように熱い。恐怖よりも怒りが勝った。心臓を抉られる感触がただただ不快で吐き気がした。


 殺してやる、次こそは、絶対に―――


 視界は真っ赤に染まる。最後に体全体が炎に覆われていくのを感じ、イスカの意識はそこで途絶えた。



「―――カ、イスカ」


 微睡みの中でイスカを呼ぶ声が聞こえる。重い瞼を開けると照り付ける太陽の光にキラキラと美しい金色の髪が輝いているのが見えた。


「……おはよう、ジンロ」

「おはよう。もうすぐ町につくぞ」


 呆れた声で金髪の男――ジンロはイスカの髪をクシャリとかき回した。

 イスカはまだ寝ぼけ眼で、自分が今いる場所を確認した。お尻の下からゴトゴトという音と振動が伝わってくる。イスカたちを乗せた荷車は目的の町を目指し、街道を下っていた。荷車の後方に腰かけたイスカの横で長閑な畦道の風景が通り過ぎる。日差しも心地よくぽかぽかと温かいので、ついつい転寝をしてしまったようだ。


「どうした、ぼうっとして。疲れたか?」

「ううん。ただ……」

「ただ?」

「夢を見てたの」


 イスカは荷台にもたれかかると澄んだ空を見上げた。不思議そうに首をかしげるジンロを気に留めず、イスカはまた目を閉じた。


「何の夢だったかは思い出せないんだけど。すごく楽しかったような、怖かったような……」

「なんだよ、まだ寝ぼけてるのか?」

「……」


 そうかも、とイスカは浅く息を吐いた。すると、荷馬車の前方から快活な笑い声が轟いた。


「そりゃあ嬢ちゃん。さっきまでラージュにいたんだ。あんな町中お祭り騒ぎなところにいたんじゃ、夢か現かわかんなくなっちまうのも道理さ」


 荷車の持ち主である行商人の男が愉快そうに手綱をしならせる。それに合わせて馬が啼き、また軽快に畦道を駆けていく。


「しかしお二人さん、祭りはまだ始まったばかりだったんだ。もうちょっと楽しんでいってもよかったんじゃないか?」

「そうゆっくりもしてられねぇんだよ」

「まぁ俺はどちらでもいいけどね。こっちも護衛が見つかってありがたいしな」


 そう言って男はまた馬を御するのに集中し始めた。


 イスカたちがラージュを出たのは数時間前、次の町までは馬車を使えば日が落ちる前に着けると聞き、同じ方面まで向かう商人と話をつけ荷車に乗せてもらったのだ。こちらはその代わりに町までの護衛を行う。イスカは盗賊が来ても戦えないからそれは主にジンロの役割になるのだが、


「ラージュで欲しい物があるって言ってたのは、それ?」


 おそらく行商人はジンロの腰につられたその細身の剣を見て腕の立つ人間だと判断したのだろう。

 今朝ラージュの街を出発する前に、ジンロはふらりと武器屋に足を運んで特に迷うこともなくこの剣を購入した。ローレンスの持っていた聖騎士の剣より少し細身で刀身は長い。シンプルなデザインの鞘に癖のない型だ。


「いつもの戦い方だと目立つからな」

「いつものって、背中に翼が生える、あれ?」

「ああ」


 ジンロは時に人の姿のままでその背に大きな翼を生やす。その翼で大きく飛翔し、烈風を起こす。確かにその翼は美しく、イスカは幾度となくその翼に守られてきたが、獣王を知らない者が見れば気味が悪いのかもしれない。


「そういえばメルカリアでも剣を振るってたわね」


 たしかビルの襲撃に遭い、ローレンスが腕を失くし、絶体絶命のピンチの時に現れたジンロは剣を軽々と振るっていた。


「人間の身体を得た後にある人から教わった。俺は獣王の中でも戦闘能力が低かったからな」

「先生がいたの?」

「ああ。……いずれお前も会う事になるかもしれない」


 ジンロは軽々と剣を抜いた。昼下がりの穏やかな空気に一閃の緊張感が走る。日の光を受ける剣はまだ何物も切っておらず澄んでいた。


「会う事になるってどういう事?」

「その人も獣王の一人なんだ。話の分かる人だから多分お前と会っても大丈夫だとは思うが……獣王は獣王だからな」


 剣とは対照的にジンロの瞳には陰りが見える。彼にとってその師というのは尊敬に値する人物なのだろう。獣王から逃げるという事は、その師からも距離を置かなければならないという事だ。


「……ごめんね」

「なんで謝る?」

「だってジンロが―――」


 親しい者と袂を分かつ事になる。それがイスカのせいならば、イスカはなんと申し開きをしていいかわからなかった。

 言い淀むイスカの髪を大きな手が乱暴にかき回す。


「お前が気にする事じゃない」


 気遣って微笑みかけてくれる優しさにイスカは戸惑いながら頷いた。


「そもそも獣王なんて勝手な奴らばっかりだ。仲間意識なんてあってないようなもんだ」

「そうなの?」

「ああ、付き合いが長いだけのただの腐れ縁だよ」


 ジンロの瞳を覗き見る。イスカは彼の感情をうまく読み取ることが出来なかった。鬱陶しがっているような、それでいて寂しそうな横顔から、獣王同士の仲を想像することは出来ない。


 獣王。万物の奏者であるイスカと浅からぬ縁があるという異形の者たち。伝説の通りならば隣に座るジンロを含め、七人の獣王が存在する。ジンロ以外に出会った獣王は二人だが、いずれともきちんと言葉を交わしたわけではない。獣王はあと四人。イスカは彼らから逃げる立場にあるが、彼らが一体何者なのか、気にならないと言えば嘘になる。


 しばらくイスカもジンロも無言のまま馬車に揺られていた。快晴の空に見守られながら、イスカたちの旅路は続いていく。周囲に広がる麦の畑もやや離れた場所で気持ちよさそうに日向ぼっこをしている羊たちの姿も、さっきいたラージュの喧騒が嘘のように長閑で静まり返っていた。

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