プロローグ 斜陽の鐘
前回までのあらすじ
故郷メルカリアを出て、王都へと旅をするイスカとジンロ。二人はその道中で花の都ラージュへと立ち寄る。謝肉祭が始まろうとしている賑やかなこの町で、ジンロは獣王の一人、虎の王フィオナ=スペントと再会した。そしてイスカもまた術師たちと邂逅し、彼らの存在や万物の奏者である己について改めて知る事になる。術師の暗躍と各個に動き始める獣王たち。様々な思惑が渦巻く中、イスカの旅は続いていく。
これは我が友に捧げる鎮魂の詩である
不条理な死 我が友の死
理不尽な暴力 身勝手な欲望
全てが友を苦しめ 我が友の魂は未だ彷徨う
我が友は未だ救われずにある
願わくはどうか安らかな眠りを 安寧の地への導きを
案ずるな
会う事叶わずとも 汝の身が果てようとも
汝の想いは未だここにあり続ける
形を成して世を照らす
案ずるな だからどうか安らかな眠りを
これは我が友に捧げる鎮魂の詩である―――
「―――っ!できた!」
少年が嬉しそうに飛び上がったので男は思わず手元の本から顔を上げた。
「ねえねえ、神父様。これはどう?」
「どれ、見せてみろ」
男は少年が差し出してくる羊皮紙を手に取るとさっと目を通した。そこには十足らずの少年が書いたとは思えない滑らかな字で一編の詩がつづられていた。
「この中盤の表現は少々難解すぎる。お前の年でこんな言葉を知っているのはすごい事だが、もっとわかりやすく柔らかい表現があるはずだ」
「えー、でも難しい言葉の方がかっこいいよ!」
「詩はかっこつけて書くものじゃない。相手に伝わるように書かなければ詩はまったく意味をなさない。それでは生まれてきた詩が可哀想だろう?」
書き直し、と男は少年に紙を突き返した。少年はまあ不平を垂れたが渋々自机に戻って、再び頭を抱えながらペンを滑らせ始めた。
その様子を本越しに眺めながら、いつの間にか彼もここに馴染んでしまったのだな、と感慨にふける。少年がこの教会に迷い込んできたのは一年近く前になるか。今や彼はすっかりわがもの顔で男の文机を使い、一日中ああして筆を滑らせている。
「詩の製作はそれくらいにして、少し外で遊んできたらどうだ?」
「嫌だ。神父様に可をもらうまで僕はどこにも行かないよ」
このままでは食事もとらないと言いかねない勢いだ。男は彼の強情さに浅くため息をつくと、彼の気の済むまでやらせてやろうと思った。
「お前はどうしてそこまでして詩を書き続けるんだ?」
「そうしないと僕の頭の中がいっぱいになるからだよ」
少年は間髪入れずに答えた。
「頭がいっぱいになるとはどういう事だ?」
「じっとしていると、頭の中に言葉が浮かんでくるんだ。それがそのうちどんどん増えて、一定以上溜まると頭がガンガン痛くなって。だからそれを紙に綴って形にしないといけないんだよ」
少年の言っていることが理論上正しいのかどうかはともかく、彼は筋金入りの言葉の虫だった。本当に彼の頭の中が言葉で埋め尽くされるのか知らないが、ともかくとして彼の頭の中と男の頭の中の構造は随分と違うらしい。
(―――人間というものは本当によくわからない)
男はそれ以上何かを言う事もなく、再び読書に没頭した。
しばらくして、ふと窓の外を眺めると日が傾き始めていた。手元の本に強いオレンジ色の光が差し込んできたので、男は慌てて立ち上がる。
「鐘を鳴らす時間だ」
「あっ、待って!僕も行く!」
あんなに頑なに書くことをやめなかった少年が、あっさりとペンを放り投げて男の後をついてきた。危なっかしい足取りでくっついてくるので、小さな手を握ってやると少年は嬉しそうに微笑んだ。二人で一緒に鐘楼の螺旋階段を上る。螺旋階段は長く幅も狭いので休憩を挟みながら登った。息を切らしながらたどり着いた扉を開けると強い西日が二人を迎えた。
「神父様。今日は僕が鐘を鳴らしていい?」
少年が懸命に服の裾を引っ張ってくるので、男は苦笑しつつも彼の身体を抱えてやった。鐘のロープを少年の手に握らせると、
「結構力いるぞ」
「大丈夫、だよ…!僕だって、もう子供じゃないんだから……!」
少年は両手に自身の全体重をかけて歯を食いしばり懸命にロープを引っ張った。けれども鐘は鳴るどころかピクリともせず、仕方なく男は少年を抱えているのとは反対の手をこっそりと添えた。
ガラァン ガラァン
荘厳な鐘の音が夕空に響き渡る。腕に抱えられた少年は目をキラキラと輝かせ、こちらに向かってはしゃぎたてた。
「神父様!鐘鳴ったよ!僕が鳴らしたよ!」
「……ああ、よく頑張ったな」
男は嬉しそうにはしゃぐ少年の頭を撫でた。助太刀したことは気づいていないようなので、まあ言う必要も無いだろう。
しばらくの間、男と少年は二人で夕日が沈むのを黙って眺めていた。下方に見える小さな村では、教会の鐘の合図を聞いて農民たちは家路を急ぐ。今日も一日汗水たらして働いたと、満足げな顔で帰っていく。すると、
ああ 我らの麦よ
どうか天高く実り給え
我らが明日を生きれるように
我らが豊かに暮らせるように
少年が小さな声で歌いだした。男は驚いて少年を見やる。少年は真っ直ぐに村を見据え、ただ淡々と歌を紡いだ。
「それは何の歌だ?」
「穂苅の歌だよ。……父さんたちが仕事の時によく歌ってる。神父様は聞いたことない?」
男はしばし村の方を向いて耳をそばだてた。今はもう麦の収穫を終えているためか、村の中でその穂苅の歌とやらを歌っている者は一人もいなかった。
「聞いたことはないな。僕は滅多にこの教会を出ないから」
「そっか……」
十歳足らずの少年は少し残念そうに首を垂れた。そうして少年は男に抱えられたまま、静かに村の様子を眺めている。
「―――戻るか」
「はい、神父様」
陽が落ちて、空は橙から群青へと移り変わってゆく。民家から蝋燭の明かりが漏れ暗がりに浮かび始めた。
少年を抱えたままゆっくりとらせん階段を下りていると、少年は先ほどの歌の続きを歌い始めた。
ああ 我らの子らよ
どうか健やかに育ち給え
お前が喜びを得られるように
お前が愛に満たされるように
「その歌そんなに好きなのか?」
「別に、でも神父様が知らないっていうから。僕はもっといろんな歌を知ってる。だから、神父様にも教えてあげる」
そう言って歌を歌い続ける少年。彼の歌を耳元で聞きながら、男は一段ずつ階段を踏みしめた。




