表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/274

第七話 獣王の謝肉祭⑥

「さあ、そろそろパレードが始まっちゃうわ。広場に行きましょう」


 時計台の針を見れば、パレードの予定時間まであと数分もなかった。イスカは立ち上がるとリリスの手を引いてまた一度花壇を渡る。


「でも学校の事よく決断したわね」

「うん。だってお姉ちゃんもお兄ちゃんとちゃんと仲直りしたでしょ?だから私もパパとママとちゃんと仲直りしようって思ったの」


 イスカは苦笑した。特に何も告げていなかったが、イスカとジンロの蟠りがなくなった事はリリスもお見通しだったらしい。


「そういえばお姉ちゃん、あのお兄ちゃんとはパレード見ないの?」


 ふとリリスが不思議そうにイスカを見上げた。


「え、っと……、あの人は仕事があるって言ってたから……」

「仕事?こんな日にまで働くなんて、うちのパパやママと一緒だわ」


 イスカは再び苦笑いで誤魔化した。

 ジンロは今朝用事があると早々に出て行ったっきり戻ってこなかった。どこに行くのか尋ねたところ、ジンロはただ一言「パレードを楽しみにしてな」と告げただけだった。

 またも何かを隠されたことに不満を覚えたイスカだったが、その時になればすぐにわかる、と面白そうに笑うので結局それ以上の追求はしなかったのだ。


 パレードが行われるという広場はすでに人で溢れかえっていた。広場の真ん中と一部の通路はサーカス団が通れるよう空けられており、その周囲に観客がこぼれそうな位押し寄せている。

 サーカスの一座はここで祭り最初の催し物を行い、その後観客を引き連れて町の中心部に設営されたテントへと向かうそうだ。

 あまりの盛況ぶりにイスカは圧倒されつつ、リリスと共に観覧できそうな場所を探す。規制された通路にこの人込みでは前に進むことすら困難で、イスカはリリスをかばいながら開けたところを探した。


「いっぱいだね……っ」

「リリスちゃん大丈夫?」


 どこまで行っても人口密度が小さくなる気配がないので、半ばあきらめていた時、


「―――こっちが空いているよ、お嬢さん」


 この雑踏でやけにはっきりと声がしたものだから思わず振り向いてしまった。視界の先に現れた人物を見てイスカは硬直した。


「……っ!」

「また会ったね」


 夜の闇に溶け込んでしまいそうなほど暗いマントを深々と被った老婆は、イスカを連れ去った時と全く同じ姿で通りの端に腰かけていた。

 気が付くと手を握っていたはずのリリスも側にいなかった。人込みで溢れかえっていたはずの通りが何故かイスカの周囲だけぽっかりと開いている。まるで人々が無意識にこちらを避けて歩いているようだ。

 イスカは慌ててリリスを探そうと、すぐに踵を返して逃げ出そうとした。しかし、老婆の穏やかな声がそれを呼び止める。


「心配しなくても大丈夫さ。あのお嬢さんはすぐ近くにいる、それにもうあんなことはしない。あれはアルトリカに頼まれて仕方なく協力してあげたのさ」

「仕方なく、ですって?」


 イスカは立ち止まり怪訝な顔で老婆を振り返った。


「そうだよ。あの子は私にとって孫みたいなものだから、可愛い孫の頼みは聞いてやりたくなるものなのさ」


 ――孫。まるで祖母みたいだとイスカは眉を寄せた。でも祖母とは全然違う、祖母はこんな陰気で闇が似合うような女性ではなかった。もっと太陽のように明るく豪快な人だった。この人とは一寸たりとも似ていない。


(でもどうしてだろう?どうしてこんなに気にかかるんだろう?)


 この老婆のせいで自分はひどい目にあったというのに、彼女を拒絶することも非難することもできなかった。


「でも少々おいたが過ぎたからねえ。私も私で好きに動いたのさ。この子にも協力してもらって……ねぇ?」


 老婆がそう言うと、彼女の背後の影がのそりと動いた。イスカはその影の正体にはっと目を見張る。


「―――!あなた、あの時の……」


 老婆の後ろから姿を現したのは、あの夜イスカの拘束を解き外に逃がしてくれた黒獅子だ。黒獅子は老婆の足元にぴったりと寄り添うと、緩慢な仕草で大あくびをした。


「……あの時、私を助けてくれたのはお婆さんだったの?」

「可愛いからと言って、孫の言う事をすべて聞くような婆ではないよ、私は。時には厳しくしてやるのも愛情さ」


 そう言って老婆は笑って、黒獅子の鬣を撫でた。イスカの誘拐に加担し、その一方でイスカを救い出してくれた。矛盾した行為にイスカはますます分からなくなる。


「あの……、あなたは本当に一体―――」

「おっと、おしゃべりはここまでだよ。―――もうすぐパレードが始まる」

「……」

「またね、お嬢さん」


 そして老婆は黒獅子を従えたまま、広場を抜け真っ暗な路地へと吸い込まれていった。結局彼女が一体何者であるかはまったくわからないまま、呆然とその背中を見送っていると、


「お姉ちゃん!」


 腕を引っ張られて、イスカは我に返った。


「どうしたの?ぼうっとしちゃって」

「あ、ごめんねリリスちゃん」

「ほら!あそこが空いているわ!ちょっと後ろだけど縁に登れば見れるかも」


 リリスが指をさしたのは、先ほど老婆が佇んでいた一角だった。もうそこには誰もいない、最初から何もなかったかのようだ。

 リリスに手を引かれイスカは壁に背を預けた。先ほどの老婆との邂逅がまるで嘘のように周囲は喧騒に溢れ、熱気がこもっている。幻覚を見たような気分に浸っていると、遠くの方で軽快な音楽が流れ始め、歓声が沸き起こった。


 パレードが始まった。

 通りの向こうから露出の高い派手な衣装を着た女性たちが、くるくるとステップを踏んで広場の中に入ってくる。裸の上半身にペイントを施した筋骨隆々な若衆が担ぐ輿こしの上には、金色の鎖だけを纏った妖艶な歌姫が座っており、その喉からこの喧騒にも負けぬくらいの美声を放っていた。女性が輿の上から宙へふっと息を吹きかけた瞬間、どこからか花吹雪が舞い踊る。


「すごいっ!きれいね!」


 リリスは嬉しそうに落ちてくる花吹雪をつかもうとピョンピョンと飛びはねた。


 歌姫の後も、馬にまたがり円陣を組んで進む東方の衣装を着た若者や色とりどりの火薬を打ち上げ空に花を咲かす技師たちなど、個性豊かな面々が続々と集まってきては観客たちを楽しませる。

 イスカも我知らず目を奪われた。なるほど、これがラージュの謝肉祭一の目玉であるという事がよくわかる。華やかで絢爛で、そしてどこか妖しい異次元の世界がそこにある。

 次々と押し寄せる非日常への誘いは、そこにいる誰もを引き付けてやまなかった。そして、列の最後尾にようやく現れた男こそ、この奇天烈な世界の中でも最も異質なオーラを放つ棟梁だった。


「紳士淑女の皆さま!我らの華々しき宴にご参列いただき誠にありがとうございます」


 道化師の化粧に金や原色の鳥の羽をこれでもかと張り付けたジャケットを身にまとったクライヴは、まさしくこの宴の要ともいえる享楽の権化たる姿で登場した。輿の壇上に立つ彼の姿が確認されると、歓声は一層高まり辺り一面に散らばる花吹雪がまたしても天高くあおられる。


「謝肉祭の当夜、灰色たる愛日に別れを告げ、新たな生命の生まれ芽吹く輝かしき時候に再び会いまみえる事が叶いました。この地に舞い戻ることができたのはひとえに皆様の熱い声援あっての事、感謝の一言では物足りぬほど。今宵はどうかその敬意を我ら一座が皆さまへとお伝えしたい。今日、この場にいる皆さまの憂いが今この時だけは忘れられることを、高徳たる者には更なる愉悦の時を、背徳者には恩赦の時を」


 堂々と語るクライヴは先日テントで見た男とはまるで別人のようだった。何百人もの視線をその一身に受けながら、彼は一切の物怖じがない。


「さあ、堅苦しい挨拶はここまで。今日は皆に特別な見世物を用意したわ、笑うも貶すも大いに結構。ここでしか見れない世にも奇妙なショーをとくとご覧あれ!」


 そう言ってクライヴは背後にあった布の覆いを一気に取っ払う。そこに控えていた意外なものに観客たちはどよめきの声をあげる。


「虎だ!それに……人?」「いや、まて……あれは、前に見覚えが―――」


 あちらこちらで困惑の声がある。一方のイスカも呆然とその『見世物』を凝視していた。

 そこにいたのは一匹の虎と一人の男。虎は鮮やかな毛並みの上に金粉がふりかけられ、緑のビロードのマントを羽織っている。対する男の方は金装飾の施された真っ白な燕尾服に身を包んでおり、その顔にはなぜか目元だけを隠すタイプの仮面が取り付けられていた。


(あれ、フィオナさんだよね?それにもう一人はどう見てもジンロ……)


 派手な衣装に身を包んだ一人と一匹は、どう見てもイスカがよく知る二人だった。どうしてあの二人がサーカス団に混じっているのか、あんな奇抜な格好をして見世物に興じているのか。


「世にも珍しい火を噴く虎と翼をもつ男。さあその雄姿、括目せよ!」


 クライヴの一声を合図にフィオナが輿から飛び降りた、広場を縦横無尽に駆け巡るとその大きな口から空に向かって火炎を吐いた。

 夜の広場が一瞬昼間のように明るくなり、炎熱が観客の方にまで届く。悲鳴に似た歓声が広場を包んだ。

 虎は跳躍し広場を駆け抜ける。すると座員の一人が広場のあちこちに備え付けられていた台座に大きな輪を取り付けた。フィオナはその輪に向けて先ほどより幾分か弱い火を放つと、燃えやすい材質でできた輪は一気に燃え上がる。座員たちが用意した輪に一つ、また一つと火が灯る。円卓状に取り付けられた輪の火が灯り、そのうちの一つにフィオナは迷いなく突っ込むと、軽々とその火の輪を潜り抜けた。虎のしなやかな跳躍と軌道に喝さいが沸き起こる。フィオナは残りの輪も一つ二つと易々と潜り抜けていった。


「お姉ちゃんすごいね!あの虎火を吹いてる!それにすっごく身軽だわ!」


 興奮した様子でリリスがイスカの服の裾を引っ張る。イスカもすっかりと虎の美しさに魅入られていた。イスカのいた場所に一番近い火の輪を潜り抜けたその瞬間、虎がふとこちらを向いた。金褐色の瞳がこちらを見据える、その目が少し笑ったように細められた気がして、イスカはドキリと心臓が跳ねた。


 だが次の瞬間、反対側から別の歓声が沸き起こる。続いて広場に生温かな風が巻き起こった。

 イスカが目を向けると、そこには美しい金と虹色の翼を携えた一人の男が今まさに飛び立とうとしていた。―――ジンロだ。

 ジンロが重力に逆らってその身を宙に躍らせると、観客の高揚は絶頂に達する。


「人が飛んでる!」「一体どういうからくりだ!?」


 まるで己が見ているものが幻でないかと疑うように、夜空に輝く金の光に魅せられる。

 ジンロは広場を旋回すると、強めの風を起こし広場にあった火の輪を全て吹き消した。まるで虎を挑発するような動きに人々ははらはらと息をのむ。案の定低いうなり声をあげて空の鳥を睨む虎は、牙の間からプスプスと燻った煙を吐き出し、次の瞬間それを放った。

 たちどころに上がる悲鳴も何のその、ジンロはその押収を華麗によける。虎があげる火柱とそれを舞うようにかわす鳥男の姿は、一見過激なショーに見えるがその実洗礼された舞を見ているようで、イスカは我知らずため息を漏らした。


 だが、業を煮やしたフィオナが今日最も大きな火柱を立ち上げると、それを大きく避けて旋回したジンロがその勢いのまま客席の方に―――イスカの方に飛び込んできた。


「きゃっ!?」


 突然間近にやってきた有翼の男に、周囲の人々は悲鳴を上げた。そんなことはお構いなしに、ジンロはイスカの目の前に着地すると、イスカの腕を思い切り引き寄せた。


「えっ、ちょっと―――」


 抗議する間などなかった。ジンロに抱きかかえられたイスカは、何の心の準備もないまま大空へと舞い上がる。さっきまで自分も混ざっていたはずの雑踏があっという間に遠ざかり、辺りは夜空しかなくなった。

 悲鳴すらも上げられなかった。これは一体何の冗談だろうとイスカが目を白黒させていると、ふとジンロの押し殺した笑い声がした。イスカが目元を覆っていた仮面を乱暴に取ると、そこにおかしそうに笑う青い瞳が現れた。


「―――っ!ジンロ!これ何!どういう事!?」

「ははっ、すまんすまん」


 悪びれもせずイスカを抱えたまま広場の上空を旋回する。遠く真下からこちらを指さす人々の姿が見えてイスカは青ざめた。


「ねえ、平気なの?こんな大勢の前で姿晒して」

「平気だろ。どうせ下の連中は何かの手品としか思ってない」

「そもそもなんでジンロたちがサーカスに参加してるのよ?」

「クライヴといろいろ話し合ってな。……まあこっちに非があったもんだからな」

「……?どういう事?」

「借りを返しただけだよ」


 平然と空を飛び回るジンロに対し、結局納得のできないままのイスカは頬を膨らませた。


「……また、話してくれないんじゃん」

「……ごめんな、だからお詫びと言っちゃなんだけど―――」


 ジンロが風を起こした。下の広場に突風が巻き起こり、すでに散った色とりどりの花吹雪がもう一度息を吹き返す。二人の周囲を取り巻くように花々は風に舞って踊った。大蛇の如く空を蹂躙したかと思えば、花火のように激しく弾けて視界の全てを極彩色に染める。四方八方を花に囲まれイスカは息をのんだ。足元から沸き起こる歓声は、まるで花からの喝さいを浴びているように聞こえた。


「機嫌直った?」

「―――直ってない!もうっ、リリスちゃんが心配してるから早く降ろして」


 ちらちらと見えるリリスは今にも泣きだしそうな顔をしていた。この間の事もあったのに、早く戻ってあげなければ。でも―――、

 ジンロを睨むと、側にあるのは周囲の光景と同じくらいキラキラと光る宝石のような青い瞳。


「……でも、また見せてね」


 イスカは照れ隠しでジンロの首にしがみつくとそっと呟いた。耳元で彼の笑い声が聞こえる。イスカはまた頬を膨らませつつも、こうして彼がイスカにだけ見せてくれる光景にそっと笑みをこぼした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ