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第七話 獣王の謝肉祭⑤

 ◆

 謝肉祭当日。いよいよ始まる祭りの本番に町はいっそうの高揚感に包まれていた。


「準備はできたかい?」


 イスカが客の出入りで賑やかな宿の玄関の隅に座っていると、仕事を一段落終えた女将が笑顔を見せた。


「リリスはもうちょっとかかるみたいだ。なんなら食堂で待ってるかい?お茶でも出すよ」

「いいえ。中もいっぱいでしょう?ここで待ちます」


 今日はリリスと共にサーカスのパレードを見に行く約束をしている。パレードまでまだ少し時間はあるが、リリスがどうしても行きたいところがあるというのだ。


「それにしてもあっという間の一週間だったね。途中色々あって一時はどうなるかと思ったけど、リリスもやっと立ち直ってきたし、良かったよ」

「その節は本当にご迷惑をおかけしました……」


 二日前、イスカが仮面の軍勢に連れ去られ一晩宿屋に戻らなかった間、リリスは両親や憲兵に泣きつき当たり散らし、それはもうひどい有様だと教えてもらった。クライヴの使いの人間がイスカの無事を伝えに来たが、それでも彼女だけは納得せず膨れっ面で部屋に引きこもってしまったのだという。

 昨日宿屋に戻ってきたイスカが真っ先に課せられた任務はそのリリスの機嫌を直すことだった。リリスはイスカが帰ってくるなり飛びついてわんわん泣き出したので、半日近くを費やし彼女を宥めた。さんざん悲痛な罵りを受けた後、イスカがこの町を出発するまでリリスの言う事を何でも聞く事、という契約を結ばされた。


「いいさ。あんただって怖い思いをしたんだろうし、あんたが謝る事じゃないよ」

「でも―――」

「それに、あんたにはそれ以上に感謝してもしきれないことが山ほどできちゃったからね」


 すると女将は少し照れくさそうに笑った。


「あの子があんなに誰かを心配して取り乱すなんて今までなかったことだよ。それだけ、あの子にとってイスカさんは大切な存在になったって事だ。部屋に引きこもって人形遊びばかりしていた子が、やっと一歩踏み出してくれたような気がするんだよ。アタシ達夫婦ではきっとできなかったことだから」

「女将さん……」


 家族間の事はリリス本人から聞いていたが、夫妻も娘の事を想っているし、娘も両親の事を想っている事は、イスカもこの一週間で十分理解できた。早く彼らが何の蟠りもなく笑えるといい、彼らは血のつながった親子なのだから。


「それにね。今日リリスの定期検診をしてもらったんだけど、お医者様が言うにはリリスの容態が奇跡的に回復し始めたっていうんだよ」

「えっ……、本当ですか?」


 イスカは驚いて思わず聞き返してしまった。確かリリスの病は現代の医療では治せない難病だと言っていたはずだ。女将も嬉しそうに頬を上気させている、どうやら嘘ではないらしい。


「そうなんだよ!お医者様もびっくりしててね、もしかしたら環境を変えたのがいい風に働いたんじゃないかって」


 確かにイスカと外出する時のリリスは病にかかっているとは到底思えないほど元気だった。病は気からなんて昔からよく言ったものだが、


「きっとあんたのおかげだよ。本当に、ありがとう」

「いえ、そんな……私は」


 イスカは医者でもなく医学の心得もない。リリスの症状が回復したのだとしたら、それはきっとリリス自身が病に打ち勝った故なのだろう。


(そうよ、私にはそんなことできない)


 心の中でそう呟いたところで、件の少女がようやく玄関に姿を現した。


「お姉ちゃんお待たせ!」


 もうすっかり機嫌を戻したリリスは、愛らしい笑顔をしてイスカに飛びついた。


「よし、それじゃあ行こうか」

「うん!」


 二人は手をつないで仲良く宿を出た。後ろで女将が朗らかに手を振っているのを確認して、祭りの町へと繰り出した。



 ◆

「お姉ちゃん!置いてっちゃうよ!」

「わっ!ちょっと待って!」


 人でごった返す大通りをイスカは必死にかき分けてく。イスカの手をぐいぐいと引っ張るリリスは前がちゃんと見えているのかいないのか、度々すれ違う大人とぶつかるので気が気じゃない。


「どこまで行くの?リリスちゃん、中心街から離れちゃうよ」

「もうっ、わかってるわよ!いいからついてきて!」


 そう言ってリリスはどんどん歩を進める。その横顔が楽しそうだったので、イスカは結局何も言わず彼女に従った。

 幾度も曲がり角を曲がり、イスカも道が覚えきれなくなった頃、ようやくリリスはその足を止めた。


「ここ!どう?」


 リリスが得意げに両手を広げた。そこには小高い丘の斜面に段状の花壇を敷き詰めたモニュメントがあった。色とりどりに咲く花が美しいグラデーションを描いて、麓から眺めると大きな虹の根元にいるような錯覚に陥る。


「すごい……、こんなとこがあったのね」

「地元の人たちには結構人気なんだよ。中心街から少し離れているから観光客はあまり来ないけどね」


 確かに周りを見渡すと、祭りのせいかそこそこの人が参集しているが、地元の家族連れやカップルが多かった。この町を知らないよそ者にしては結構穴場なのかもしれない。


「前にお姉ちゃん、お気に入りの場所はどこかって聞いたでしょ?」

「そっか、覚えててくれたんだね」


 リリスはすました顔で笑った。そして驚いたことに花壇の縁に足をかけて、そのまま階段よろしく駆け上る。


「ちょっと、リリスちゃん!?登っていいの!?」

「誰も怒らないわよ。平気平気」


 イスカの懸念もよそにリリスはひょいひょいと丘を登っていく。イスカも躊躇しつつ彼女の後を追った。花壇を登り切ると、丘の頂上には少し襟草の伸びた芝生が広がっていて自生した花々が少しだけ咲いていた。


「……昔ね、病気が発覚する前に一度友達とここに来たことがあったの。もう一度来たいと思ってたんだ」

「……そっか」


 イスカは優しく相槌を打った。病気が発覚し、それをきっかけに父親と母親が不仲になりかけた時以来、彼女はこうしてお気に入りの場所に来ることすら躊躇っていたのだ。

 きっと本来は毎日外ではしゃぎまわるような元気な女の子なのだろうという事は、ここ数日の付き合いでもわかった。


 すると、もじもじと落ち着かなさそうにしていたリリスがふとイスカを呼んだ。


「お姉ちゃんは、もうすぐこの町を出るんでしょう?」


 リリスが寂しそうに尋ねてきた。イスカは表情を曇らせる。イスカたちは元々一週間の滞在の予定だ。今日でちょうど一週間、明日の朝にはイスカはこの町を立つ。名残惜しいが今日一杯でリリスの家庭教師も終了だ。


「私ね、この一週間お姉ちゃんといれて楽しかった。……ありがとう、お世話になりました」


 思いがけない思慮深い挨拶にイスカは目を丸くした。


「そんな、私の方こそ楽しかったわ。この町の事、とても好きになった。リリスちゃんのおかげだわ、ありがとう」


 イスカもリリスにならって丁寧にお辞儀を返した。そうして二人で粛々としていると、逆に笑いがこみあげてきて、イスカとリリスは二人してケラケラと笑い始めた。


「お姉ちゃん。私ね、学校に通おうと思うんだ」


 笑って半泣きになったリリスが不意に告げる。


「学校?」

「教会が援助している修道学校。別にお祈りばっかりするわけじゃないわよ。読み書きとか計算とか、修道士さんたちが色々教えてくれるの。希望すれば教団の少年合唱団にも入れるんだって」


 そう言ってリリスは目を輝かせながら、修道学校の事をイスカに聞かせてくれた。


「パパとママに頼んでみたの。そうしたら二人ともいいって言ってくれたわ」

「よかったじゃない!修道学校ならきっと先生たちもリリスちゃんのためになるお話をいっぱい聞かせてくれるわ」


 満面の笑みを浮かべるリリスはふとイスカに向き直ると、


「ねえお姉ちゃん、私もいつか外の世界を旅してみたいわ」

「えっ」

「本当はずっと憧れてたの、旅に出て外の世界を見ること。パパとママはあんな仕事してるし、病気だって言われてからは外に出ることもめったになくなっちゃったけど」


 リリスはまっすぐ強い意志を湛えた瞳でイスカを見た。


「ちゃんと学校で勉強して、いつか大人になったら旅がしたいわ。私にもいつか、できるかな?」


 その姿はメルカリアにいたころのイスカを彷彿とさせた。いや、イスカは祖母という楔があったからきっとこんな風に堂々と夢を語ることはできなかっただろうが、


(同じなんだな……、私も、リリスちゃんも)


 外への憧れ、未来への展望。彼女はこの先、もっともっと色んなものに触れその一つ一つを吸収し成長していく。イスカと過ごした時間も、その一つになれたらいい。


「大丈夫だよ。リリスちゃんならきっと叶う」


 イスカはリリスの頭をそっと撫でた。短い滞在の間で生まれた絆だが、きっとイスカにとってもかけがえのない糧となるだろう。

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