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第七話 獣王の謝肉祭③

 ◆

 結局クライヴの提案を受け入れて、イスカとジンロは一晩サーカスに間借りすることになった。

 イスカたちに宛がわれたテントはサーカスが所有している敷地の最奥にあった。辺りは静かで時折外からテントの側を通る座員たちのひそひそ声が聞こえてくる。一度女性座員が着替えなどを持ってきてくれたが、それ以降誰もここへは来なかった。


「クライヴさん、大丈夫かな……」


 先ほど表に憲兵団が聞き込みにやってきているの垣間見た。もうすっかり日も暮れて、おそらく日付も変わっている事だろうに、それだけ町の方では騒ぎになっているという事だろうか。


「あいつなら大丈夫だろう。ここは普通のサーカス団じゃない、術師の自衛組織だ。俺らの事もうまく誤魔化してくれるさ」


 そもそも今回の一件にサーカス団に非はない。猛獣が脱走したことも咎められなければいいのだが。


「お前こそ疲れているだろう?色々あったんだ、早く休んだ方がいい」

「……うん」


 寝台で寝返りを打つ。だがイスカの目は妙に冴えていた。今日起こった出来事や、さっきクライヴに聞かされた第二の獣王を生み出す計画の事を考えてしまい、どうしても眠れない。


(私はどうしたらいいんだろう?旅を続ける?メルカリアへ戻る?でもそうしたら―――)


 イスカは故郷を巻き込みたくなくて町を出た。自分を狙っているのは獣王で、また蜥蜴の王の時のようになってほしくなかったから。けれども、イスカを狙うのが彼らだけではないと知り旅を続けることすら怖くなる。

 イスカは寝台の横に座り込んでいるジンロを覗き見た。


「どうした?」


 視線に気づいたジンロがこちらを仰ぎ見る。黙ったまま暗がりで光る金色の髪を眺めていると、ジンロは寝台に腰を下ろしたのでイスカもその隣に座った。


 しばしの沈黙が二人を包む。気まずくもあり心地よい空気が流れる。こんな風に二人で時を過ごすのは久しぶりな気がした。


「……聞きたいことがあったの」


 イスカは静かに切り出した。ジンロは眉をひそめたまま黙ってイスカの言葉の続きを待っている。


「手放せたらどんなに楽か、ってどういう事?」

「……!」


 ジンロは息を呑んだ。


「フィオナさんの事、どうして黙ってたの?知ってたんでしょう、この町にいたこと」

「それは―――」

「術師の事も、ジンロ今まで一言も言ってなかった。あの人が……ロースローンが言ってたわ、万物の奏者レーディンレルなのに知らないのかって」


 ジンロは気まずそうに眼をそらした。ジンロはイスカに告げていないことが沢山ある。その中にはイスカが知らなければいけないこともあるはずなのに、彼は頑なに話そうとしない。


「……ごめん」

「謝ってほしいんじゃないわ」


 イスカはジンロの服の裾を掴んだ。そうじゃない、と首を振る。


「ここしばらく、ジンロがすごく思いつめてるように見えたの。自惚うぬぼれかもしれないけど、もしそれが私に関わることだとしたら、って思うとすごく嫌だった」

「イスカ……」

「一人で抱え込まないでちゃんと話してよ。私もちゃんと向き合うから、だって―――」


 いつの間にか涙声になって、イスカは夢中でジンロに縋りついた。


「ジンロが大切なの、……私だってジンロの事支えたい。だからジンロの事もっと知りたい」


 ずっとイスカを見守ってきてくれた小鳥は、人になっても変わらなかった。でも、今度はイスカが知らなかったジンロの姿も見えるようになって、知らないこともいっぱい増えた。それを知りたいと思うようになってしまった。

 どうしてこんな風になってしまったのだろう。ずっと一緒にいた小鳥と今目の前にいるこの人は、全く同じジンロのはずなのに。

 するとジンロは黙ったまま、震える手でイスカを抱きしめ返した。


「……イスカ、俺は化け物だ」


 やがて告げられた言葉はイスカの心に深くのしかかる。


「俺もフィオナと同じ、人を喰う獣だ。今までも何人もの人間を手にかけてきた」


 それはイスカもわかっている。けれど、ジンロの口から改めてそう言われると、目をそらし続けてきた現実を突きつけられているような気分になった。


「あいつと再会して、それを少し思い出したんだ。お前と一緒にいるのが心地よくて、自分が何者だったかを忘れてたんだ」

「それで、あんな風に言ったの?」


 ジンロは力なく笑った。間近に見えるラピスラズリの瞳が揺れている。


「俺はお前が思っている程潔白な奴じゃない。お前に心配してもらえるようなそんな奴じゃないんだ」


 抱きしめる腕は強くまるでジンロの方が縋りついてくるみたいだった。少しだけ彼の存在が儚げに感じられ、そして同時に愛おしさが沸き上がる。


「この先お前を苦しめる事が何度もある。全てを話すこともきっとできない。それでも、お前は俺を許すのか?俺を気にかけてくれるのか?」

「……」


 答えの代わりにイスカは鼻の頭をジンロのそれにくっつけた。目の前にあるジンロの顔が少しだけ驚いているように見える。


「あなたが小鳥だって人間だって、化け物だって、ジンロはジンロよ」


 いつもイスカの側にいてくれる優しいひと。いつもイスカを守ってくれたひとだ。


「私もこの先ジンロの事一杯悩ませるかもしれないけど、ジンロは側にいてくれる?私の味方でいてくれる?」


 ジンロも答えの代わりにおでこをこつんと当ててきた。微笑む彼の表情がこれ以上もなくうれしくて、またジンロの背に腕を回した。


「へへっ、仲直りできた」

「仲直りって……、元々喧嘩でもなかっただろ」


 確かに喧嘩というには温いものだったが、ここ数日やきもきしていたイスカは晴れやかな気持ちで仕方ない。ジンロもやれやれと苦笑すると、ふと思い出しように懐から何かを取り出した。


「じゃあ、仲直りのしるしに」

「……?これ何?」


 ジンロが取り出したのは手のひらにすっぽりと収まるサイズの小瓶だった。

 ランプの光にかざして目を凝らすと、その表面には息をのむほど美しい彫り細工が施されていた。


「……!きれい……!」

「露店で見つけたんだ。気にいるかと思って」


 青に輝くガラスの小瓶はわずかな光源でも輝いていてまるで宝石のようだ。振るとカラカラと音がする。どうやら中にお菓子が入っている。


「砂糖菓子だ!」


 色とりどりの砂糖菓子がこれまた宝石の欠片のようにきらめいていて、思わず声を上げた。


「ありがとうジンロ!素敵なプレゼントだわ」

「どういたしまして」


 イスカはジンロにお礼を言うと、さっそく小瓶から一粒菓子を取り出した。コロンと手のひらに転がる小さな粒を愛おしそうに眺める。するとそれを見ていたジンロが可笑しそうに吹き出した。


「俺その瓶の方が気に入るかと思って買ったんだが、やっぱりまだお菓子の方が嬉しいのか?」

「っ……、いいじゃない。こういうの私食べたことなかったの!」


 お菓子で喜ぶなんて子供みたいだ、とからかわれてイスカは少しむくれた。確かに小瓶も美しくて感動したが、高級な上白糖で作られた砂糖菓子というのもまたイスカの人生で滅多に口にできない憧れの菓子だったのだ。


(やっぱり自分に嘘はつけない。私はお菓子で喜んでしまう子供だわ)


 気恥ずかしさを誤魔化すように、イスカは手のひらにあった菓子を口に放り込んだ。優しい甘さが口いっぱいに広がると、そんなこともどうでもよくなるほど幸せになった。


「おい、こんな時間に食ったら体に悪いぞ」

「いいもん、子供だからそんなの気にしない」


 開き直ったイスカは、ジンロのお小言も受け流し上機嫌に砂糖菓子を食べ始めた。


「あまーい」

「……」


 顔を蕩けさせながら一粒二粒と口に運んでいると、ふいにジンロが顔をこちらに寄せてくる。


「俺にも頂戴」

「ん?いいよ、どれがいい?」


 何粒か手のひらに乗せて暗がりで色を選別する。薄桃色の粒を一粒手に取るとそれをジンロの口元に差し出した。


「はい、どうぞ」


 まるで小鳥に木の実をあげていた時のようにつまんで差し出すと、ジンロはそのまま唇を近づけてあろうことかイスカの指ごと口に含んだ。


「!?」


 突然のジンロの行動にイスカは驚いて慌てて手を引っ込めようとした。しかしすぐさまジンロがイスカの腕をつかみ逃れられないよう固定する。その力が思った以上に強くてイスカは思わず硬直した。


「えっ、ちょっとジンロ……!なにして―――」


 抗議しようとしたが、イスカの指が音を立てて吸い付かれると、もはや言葉など出なくなる。菓子はすでにイスカの指を離れジンロの口に吸いこまれたにも関わらず、ジンロはイスカを離そうとしなかった。

 人差し指がしばしの間ジンロの舌で弄ばれる。口腔の生温かさと柔らかな舌の感触が指から伝わってきて、イスカの体温は瞬く間に上昇した。


「やっ……、ジンロ……放、して―――、っ……!」


 抵抗しようとしても痺れたように動けない。ただ指を舐められ、吸われているだけなのに、とてつもなく恥ずかしい行為に思えて、イスカはその様を直視することができず目をそらした。


 どれくらい経ったかもわからないほど感覚が麻痺してきた頃、ようやくジンロはイスカの指を解放し、そしてもう一度その指先に口づけた。


「……甘いな」


 そう囁いて笑うジンロの顔は、この上なく淫靡で野性的でさっき微笑んでくれた時の朗らかさの片鱗も見当たらなかった。イスカはその表情に見覚えがある、前にメルカリアの時計塔の上で口づけられた時の―――。


「~~~!」

「お前ももうそれくらいにして寝ろよ。―――虫歯になるぞ」


 イスカが言葉にならない悲鳴を上げる一方、あっさりと意地悪な顔に切り替わったジンロはイスカの頭を乱暴にかき乱すと鼻歌交じりにテントを出て行った。


 彼が出て行って放心状態だったイスカは、また揶揄からかわれた事にようやく気づく。


「―――ジンロのバカ!!」


 たぶんテントの外に控えているであろう男に思い切り叫んだ。

 小瓶の中にはまだ半分以上砂糖菓子が残っていたが、今日の事を思い出しそうで当分食べられそうになかった。

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