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第七話 獣王の謝肉祭②

「新たな獣王を生み出すための生贄。獣と人の両方ね」


 答えたのはフィオナだった。彼女は特に動揺している素振りは見られない。まるで最初からこの事を知っているようだった。


「ジンロ、あんた猿に会った時言われなかった?最近この国で妙な動きがあるって」

「―――そういえば。そのためにわざわざガラドリムから戻ってきたとかなんとか……まさかこの事だったのか?」

「そうみたいね。わざわざ遠方からご苦労な事だけど」


 二人は苦い顔をして俯いた。何のことかわからないイスカだったが、幸いにもクライヴが話を戻してくれた。


「……とにかくそういう事。正直現代の術師は、獣王誕生の具体的な儀式の方法なんかは知らなかったからね。数を集めて、大規模な実験をしようとしているのよ。もっとも―――」


 クライヴのガラスのような瞳がイスカに向けられた。


「今代の万物の奏者レーディンレルが見つかったとなれば、奴らは方針を変えるかもしれない。かつて獣王を生み出した前例のある万物の奏者がこの時代に顕現しているなら、もう一度彼女を使って儀式を行う……と考えるのは自然なのではなくて?」


 イスカは顔が青ざめるのを感じた。


(あの人が言ってた……君の役目を果たしてもらうっていうのは、まさか……)


 その先を考えたくない。手に持ったカップがカタカタと音を立てて震えた。

 だが、白く血の気を失くしたイスカの指に温かな手が添えられる。―――ジンロだ。


「そんな事させねえさ」


 ジンロはイスカを安心させるように笑った。不思議なものでイスカの震えはそれだけで治まっていく。


「……言っとくけどあんたたちもよ。奴らの目的が獣王戦争の再現なら、実在している獣王に接近しないわけはないし、かつての状況を知っているあんたたちは奴らにとってこれ以上ない情報源なんだから。あんたたちを無理やり捕らえて駒に組み込む可能性だってあるわ」

「あらやだ。私そんな風に求められるの嫌いじゃないわよ」


 冗談交じりにフィオナが笑うと、クライヴはこれ以上ないほど苦い顔をした。


「だから不安だったのよ。食い意地はった獣王ならむしろ自分の欲望を満たすために革新派につくんじゃないかってね」

「それで俺らを警戒してたわけだ」

「いやだわ。そんなことしないったら。それに、食欲を満たすだけなら近づいてきた術師を襲って食べた方がよっぽど美味しい思いができるわよ?……術師って普通の人間に比べて濃厚で美味しいのよねぇ」


 その言葉に術師であるクライヴはこめかみにひくりと動いた。軽く咳ばらいをすると、真剣な顔でこちらに向き直る。


「……とにかく、あなたたちはあなたたちが思っている以上に危険な立場にあるという事。重々注意しなさい」


 クライヴの忠告にイスカは頷いた。


「さて、まだまだ話さなければいけないことは多いけど、このあたりで切り上げましょう。あなた、今晩はここにいなさい。寝床なら貸してあげるから」


 突然クライヴが提案をしてきたのでイスカは目を丸くした。


「えっ、どうして……?」

「昼間の煙騒ぎにこの近くでの火事……後者は死者も出て警備隊も憲兵も出動してる。現場はこの近隣だし、アタシたちのところにもそろそろ聞き込みが来ると思うわ。仮面の正体が国府軍だというなら兵がグルになってる可能性もある。まだ残党もいるかもしれない。うかつに出て捕まったら大事だからよ」

「でも、宿の人が心配してるはずです。一度戻らないと」


 特にリリスの事が気がかりだった。目の前でイスカが突然いなくなって、きっと心配しているだろう。


「宿の場所を教えてもらえればアタシの方から使いを行かせるわ。とにかく今日はここでじっとしてなさい。……あんたも、当然残るのかしら」


 クライヴはジンロにも呼び掛けた。


「ああ、こいつの側にいる」

「……そう、勝手にしなさい」


 それから最後に暇そうにしているフィオナの元へ。


「あんたは?」

「私?そうね、別にここに匿われる必要もないし、さっさとお暇しようかしら」

「アタシはあんたこそじっとしていてほしいんだけどねえ」

「心配しなくてももう誰も食べないわよ。今日のところは大人しく隠れてるわ」


 そしてしなやかな動きで木箱から降り立つと、するりとイスカに近づいてきた。


「もうちょっとゆっくりお話ししたかったんだけど今日は帰るわ。どうもその馬鹿鳥も許してくれそうにないからね」


 改めて向き合った女性は妖艶にも無邪気にもとれる笑みを浮かべた。嬉しそうにこちらをみつめる瞳孔は細められ獲物を捕食する獰猛な獣のそれを想起させた。


 どくん


 途端にイスカの身体が独りでに燃え上がるように熱くなった。腹の底からドクドクとマグマが沸き立つような感覚に襲われ、イスカは全身から汗を噴き出し固まった。


「やだわ、そんなに緊張しなくてもいいのに。お姉さんこう見えてとっても優しいから、安心して」


 女は甘い声でイスカにささやく。吐息がかかりそうなほど顔を近づけられて、同性ながらどぎまぎしたが、すぐさまジンロに引き寄せられた。


「ちょっと、今私が話してるんだから邪魔しないでよ」

「うるさい、こいつに近づくな」


 ジンロは女の視線から庇うようにイスカを抱き寄せた。こちらが息苦しくなるほど強く抱きしめてくるので、イスカはジンロの胸板を叩いたりモゴモゴと抗議をしたりするものの一向にイスカを解放してはくれなかった。


「ほーんと、あんたって余裕ないわね。何度も言ってるじゃない、出会いがしらにいきなり取って食ったりしないってば」

「いずれ喰うって事だろうが。んなもん信用できるか、とっとと失せろ」

「―――っ!本当生意気ねこの鳥頭!」

「んだとこのッ……!」

「ね、ねぇ!フィオナさんってジンロの知り合いなんだよね!?」


 言い争いが始まりそうになったので、慌ててイスカは声を張り上げた。上目遣いで見上げると、ジンロは苦虫を噛み潰したような顔をして渋々イスカの拘束を緩める。

 女が再び得意げな顔をしてイスカに寄ってきた。もうその正体に気づいてはいるのだが、改めて傍らに立たれると常人とは異なる気配と胸の中に宿る懐かしさに身が震えた。


「そうよ、私はこいつのふるーい知り合い。フィオナ=スペント……あなたには虎の王と言った方がわかるかしら?」

「フィオナ……虎の王」


 人ではない、かつて獣だった者。瞳孔の細い目は先ほど暗闇で邂逅した虎と同じ、獲物を狙う獣のように爛々と輝いていた。


「さっき助けてくれたのもあなたね?」

「ええ、そうよ。ちょっと怖がらせちゃったみたいだけど。怪我がなくてよかったわ」


 そう言ってフィオナの細い指がイスカの腹部をかすめた。それだけでイスカの身体がビクンと跳ねる。恐怖なのか快感なのかよくわからない何かが全身を駆け抜けたが、痺れを切らしたジンロがまたイスカを引き戻したせいでそれはあっけなく霧散した。


「触るな」

「なによ、あんたはべたべた触ってるくせに。ちょっとくらいいいじゃない、ねぇ?」

「え、えっと……」


 ジンロに後ろから抱きしめられたままフィオナの美しい顔にのぞき込まれているという状況に、イスカは赤面したまま口ごもる。そもそもどうして自分はこんな板挟みの状態になっているのかわからない。


「ちょっと、あんたたちこんなところで争わないでくれるかしら。ここアタシの部屋なんだけど」


 黙ってみていたクライヴが不機嫌そうに咳払いをした。


「わかったわよ。もう行くわ。でも、助けた報酬くらいはもらってもいいでしょ?」


 言うが早いか、フィオナはジンロの防壁をぬってイスカの手を取ると、その手首にちゅっと音を立てて吸い付いた。


「!!?!」


 そこにはロープで赤く擦れた傷跡があった。もうすでに血は止まっていたが、手首にピリッと刺激が走る。フィオナはその傷跡をぺろりと舐めると、ジンロの鉄槌が飛ぶ前に軽やかに後方に飛びのいた。


「お前な!」

「いいじゃないこれくらい。……甘いわぁ、やっぱり万物の奏者は格別ね」


 満足そうに舌を出して笑うフィオナはこれ以上ないほど妖艶で輝きに満ちていた。それを呆然と見ているイスカは自分が今何をされたのかもわからぬまま、ジンロの腕の中で放心する。


「イスカ、もしその鳥に満足できなくなったら私のところに来なさい。お姉さんがたっぷり可愛がってあげるから」


 赤く濡れた唇で色っぽくささやかれてイスカは頬が熱くなる。妖艶な色香に当てられてくらくらとめまいがした。


「それじゃあまた会いましょう。あんたもぶっ倒れないようにちゃんと『補給』しときなさいよ」


 最後の言葉はジンロに向けての言葉か。颯爽と踵を返したフィオナはそのままテントを出て行った。

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