第六話 術儀顕現④
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目が覚めると『私』はベッドの上にいた。私が生まれた時からずっと住んでいる祖母の家の二階。私の部屋の窓際に置かれた簡素なベッドだ。
久々の自分のベッドの感触に私は安堵し同時に不審に思った。眠る前の事をよく思い出せない。
(私いつの間に眠ったのかしら?)
窓の外を見ると雨が降っていた。暗い雨雲のせいで朝だというのに薄暗い。通りには人っ子ひとりいなかった。建物の窓という窓は全て閉ざされ、人のいる気配がしない。
私は突然不安になった。まるでこの世界に自分一人しかいないような気持ちになる、私だけ取り残された気がした。慌ててベッドから飛び起き部屋を出る。誰でもいいから誰かに会いたい。階段を一つ飛ばしで駆け降りると一階のリビングに足を踏み入れた。
リビングに入った瞬間、私は違和感を覚えた。見慣れているはずのリビング、だが今目の前に広がる光景は、自分が思い描いているものと差異がある。家具も配置も全く同じなのに、何かが少しずつ変わっている。自分が過ごした家とはどこか違う。
「……?」
私は言葉が出なかった。ここは私のいた家ではない。同じ様で、違う。
「起きたの?」
突然声を掛けられて私はびくりと肩を震わせた。誰もいないと思っていたはずの部屋に人がいたのだ。
暖炉の前に置かれていた肘掛椅子が僅かに動き、小さな影が立ち上がった。椅子は私に背を向けて置かれていたので人がいるのに気づかなかったのだ。
影の正体は祖母だった。当然だ、ここは祖母の家だ。彼女がいても何もおかしくない。
(おかしくない?本当に?)
当然のことのはずなのに、私の中には違和感ばかりが浮上する。見ている光景と自分の中の記憶がまるでかみ合わない。まるで二セットのパズルのピースを混ぜ合わせて、無理やり一つの絵を作り出そうとしているような。
「出発の準備は整ったの?」
「えっ?」
「今日発つんでしょう?昼頃出るといっていたけど、随分ゆっくり寝ていたじゃない」
話の筋が全く読めない。それでも祖母の穏やかな声音は、決して私をからかっているようには聞こえなかった。
暗がりで祖母の顔がよく見えない。だが、その顔はやはりどこか私の記憶とは違っていた。
(この人は、こんな顔をしていただろうか?)
黙ったまま答えない私に祖母はあきれたように肩をすくめた。
「まったくもう……、まだ寝ぼけてるの?さっさと顔を洗ってらっしゃい」
ぐいぐいと背中を押されて流しの前に立たされる。訳が分からぬまま、私は冷たい水で顔を洗い始めた。
「王都に行くのにこんな調子じゃ、どうも不安だわ」
「王都……?」
「そう言っていたでしょ?王都に行くって」
それは確かに記憶にある。私は王都を目指すことにしたのだ。そのために旅をしようとしていた。
顔を洗ったおかげか少しずつ思考が明瞭になってくる。
そうだ、確かに私は王都に行きたいと言ったんだ。
でも、それを言ったのはいつだったか、誰にそう言ったか―――
「王都でガラス工房の仕事を探すんでしょう?一流の職人になるとかなんとか……、女で職人は難しいと言われてるけどねぇ」
「……私、そんなこと言ったっけ?」
段々と意識がはっきりしてくる、それと反比例するかのように祖母の姿は段々と暗くかすんでいく。
「ねぇ、おばあちゃん―――」
「おばあちゃんではないよ」
「!?」
声ががらりと変わった。場面が切り替わり祖母の代わりに立っていたのは黒いローブを羽織ったあの老婆だった。
「まだこの家に未練があるんだねぇ」
「あなたは、誰……?」
戸惑いながら老婆に近づく。祖母と入れ替わるように現れた老婆は私に対してゆっくりとこう言った。
「お前はもうここを思い出さない方がいいかもしれないね」
「……どうして?」
「この場所にはお前の記憶が詰まりすぎているからだよ」
そう言って老婆は私を玄関まで引っ張っていった。思いのほか強い力で、私は逆らうことができずあっという間に扉の前に追い立てられる。
「ま、待ってよ!私はまだこの家に―――」
「この家に何だい?もっと居たいというのかい?」
責め立てる口調に、私は口をつぐんだ。
もっといたい?
いや違う。私はもうすでにこの家を出ているはずなのだ。外の世界に出て旅をしていたはずなのだ。
私は旅をしていた。誰かと―――
扉が独りでに開いた。家の中にパアッと白い光が差し込む。さっき窓の外を見た時、雨が降っていたはずなのに、外は目が眩むばかりに明るかった。
背中を押された、その勢いで私の体は家の外に投げ出された。その瞬間視界が真っ白に染まりさっきまでいたはずの家も見えなくなった。
―――忘れなさい。ここであった事を。ここで過ごした想い出を。
遠くで老婆の声がする。いや、老婆の声だけではない。聞きなれた祖母の声と重なった。
―――いいかい、約束だよ。忘れるんだ、全てを。
約束。その言葉が何故かひどく懐かしい。
考えていられるのはここまでだ。一際明るくなった光が私の五感を全て奪っていった。




