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第五話 サーカス団①

 ◆

 ジンロとフィオナが町中で『追いかけっこ』を繰り広げてから数日が過ぎた。フィオナが襲ってくるかとも思ったが、あれから何事もなかったかのような平穏な日々が続いている。ただ一つ、変わってしまった事と言えばイスカとのことだろうか。


「……」

「……」


 朝の忙しない宿の食堂で、ジンロとイスカは久々に一緒に朝食をとっていた。だが、周囲から聞こえる賑やかな話し声とは裏腹に、二人は顔を伏せたまま黙々と食事をする。

 イスカはフォークをオムレツに突き刺しながら上の空だった。先ほどからちらちらと様子を窺っているが、彼女の皿は一向に空にならない。話しかけようにも何と声をかけてよいかわからず、結局ジンロも自分の皿に集中する。

 ここしばらくイスカと碌に話をしていない気がする。二人の仕事が忙しくなったせいもあるが、明らかに二人の間の空気が重い。

 

 そこに一人の少女が近づいてきた。栗色の髪に同じ色の大きな目が特徴の女の子だ。少女はイスカの姿を確認すると、嬉しそうにその横に座ってイスカに飛びつく。


「おはよう、お姉ちゃん」

「あ……、おはよう、リリスちゃん。今日はこっちでご飯食べるの?」

「うん、今日は皆で一緒に食べようと思って。ねえお姉ちゃん、今日は何して遊ぶ?」

「遊びじゃなくて勉強ね。私一応家庭教師なんだから。……そうね、リリスちゃんは何がしたい?」


 ジンロの向かいで二人の少女が仲睦まじく笑っている。どうやら家庭教師とやらは上手くいっているようで、宿屋の一人娘であるリリスもすっかりイスカに懐いていた。イスカが楽しそうに笑っているのを見て、ジンロは少し安心した。


「……ごちそうさま」


 もう仕事に出かけなければ。食後のお茶を飲み干したジンロが立ち上がると、それに気づいたイスカの顔が少し曇った。そのことに心を痛めつつ、去り際にイスカの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「行ってくる。……お前も無理するなよ」


 そう声をかけてあとは顔も見ずに宿を出た。後ろ髪ひかれる思いがあるが、今は仕事だ。


 フィオナとの邂逅の後、ジンロは何事もなかったかのようにテントの設営に戻ったが、テントの一部が無残に破壊されているのを見て、責任者のトルフィーは「なんてはた迷惑な奴らだ」と心底お怒りだった。

 そのはた迷惑な奴らがまさか自分だとは告白できず、せめてもの罪滅ぼしにジンロは黙々と作業に取り掛かることにした。

 それからドレーフ=ニコルの事も噂になっていた。数日前からぱったりと姿を見なくなり、連絡も取れないと同僚たちが話していた。やはりそれも自分の仕業とは当然言えず、何も聞かなかった事にして仕事に没頭した。

 ドレーフの話から察するにここの連中が消えていたのは彼の仕業だったから、これ以上の犠牲は出ないだろう。だが、ジンロはまだあの一件について腑に落ちないことがある。

 あの時フィオナの登場で有耶無耶になってしまったが、ドレーフが魔術を使ってきた事は見逃せない事実だった。


 今は亡きセシリア王国には数多く存在していた術師と呼ばれる者たちがいた。セシリア王国はかつて魔法の国とも称された魔術大国で、かつての栄光の姿を知っているジンロは彼の国の繁栄をよく覚えている。術師の力によって均衡が保たれた世界、重い病気に苦しむ事も、貧困に喘ぐ事も無い楽園。蜥蜴の王ビル=リドリーが現れるまでは、セシリアは本当に富める国であった。

 だが、彼の国を継承する現在のシルキニス王国は魔術の片鱗すら見当たらない。転機となったのは八百年前、ジンロたち獣王が生まれた頃と同じ―――いや、まさにジンロたちの誕生が転機となった。

 蜥蜴の王が何故人を喰った事で人の姿を取れるようになったのかは定かではないが、ジンロたちがそれと同様の力を得る事が出来たのはひとえに術師の助力があったからだ。獣王の誕生は、彼らの策略あってこそだと言っても過言ではない。それ故に、蜥蜴の王の事件が解決して以降、獣王と術師の反乱を恐れたシルキニスの王は大規模な術師狩りを決行したのだ。

 当時行われた大規模な術師狩りで世界中の魔女魔法使いが断頭台の露に消えた。生き残った者も国を追われ迫害された。その際にジンロたちは一度国を離れほとぼりが冷めてからシルキニス王国へと帰還し今に至る。どのくらいこの国を離れていたかはもう思い出せないが、帰ってきた頃にはこの国は随分と様変わりし、自分たちを知っている者たちもいなくなっていた。

 おそらく現代の人間はこの世に術師がいたことすら知らない者がほとんどだろう。彼らの血脈が完全には途絶えていない事は知っていたが、それにしても何故今になって表舞台に姿を現したのか。


 考え込みながら歩いていたらいつの間にか設営現場に到着していた。とにかく今はせめてもの罪滅ぼしに人の倍働いてやるしかない。両頬を叩いて気合を入れなおしテントの入り口をくぐったところで、中から甲高い怒鳴り声が聞こえてきて思わず足を止める。


「まだできてないの!?一体何してるのよあんたたち!」


 驚いて寄ってみると、テントの中心に人だかりができていた。集まっているのは設営の従業員ではなかった。老若男女様々な年代の者たちが三十人ばかり、その誰もが奇抜な衣装に身を包んでいたのでジンロは目を見開いた。呆然としていると、彼らを遠巻きに眺めていた従業員の一人がジンロの顔を見つけて小声で話しかけてきた。


「おはようさん、スクラ。タイミングの悪い時に来たな」

「おはよう。なあ、これ一体―――」

「設営遅れてるのがサーカス団にばれちまったんだよ。おかげで座長さんカンカン、ほらあれ」


 示された先にいたのは、集団の中央で喚いている一人の男だった。

 男、だと思う。ジンロのいるところからは見えにくいが声や体格からしてそうだ。しかし男は妙な口調に加え、遠目から見てもわかるほどの濃い化粧をしていた。化粧といっても女性がしている様なものでなくペイントメイクや白塗りの、いわゆる道化師の化粧だ。


「あれがサーカス団の座長さん。相変わらず濃いキャラしてるんだよな、ショーの最中はまさに道化師って感じなんだけど、それ以外のところで怒るとすげえ怖いの」


 そう説明されてジンロはもう一度人だかりの中をのぞき込む。座長だと説明された男は虫の居所が悪いのか先ほどから大声でトルフィーに怒鳴り散らしている。ヒステリックに喚き散らすその姿は確かに異様だ。だが、サーカス団という浮世離れした者たちを取りまとめる頭と考えると不思議と納得してしまった。


「開幕は明後日よ?何よこの物置きみたいな惨状は!?まさかアタシたちにこんな散らかった所で芸をしろなんて言わないでしょうね!?」


 ご立腹の理由は言わずもがな設営の遅滞だった。気持ちは察する。骨組みも組み終わり覆いがかけられてテントの外装はあらかた完成しているのだが、肝心の内部はほとんど手付かずだった。中央のステージには設営の道具が散乱しており、観客の座席もまだ一部にしか取り付けられていない。本番を間近に控えリハーサルの都合もあるだろうに、肝心の会場がこんな状況では不満も頷ける。


「申し訳ありませんクライヴ殿。今年は予期せぬトラブルが続きまして、今急ピッチで作業を進めております。本番には必ず間に合わせますので」

「そんなの当たり前でしょ!間に合わなかったら承知しないわよ、この愚図!」


 容赦のない罵倒にトルフィーは萎縮していた。あの男、確かにふざけた格好と立ち振る舞いをしているが、見るものを震えあがらせる威圧的なオーラがあった。見た目通りの道化師ではない、有無を言わさぬ威圧感がある。にしても随分と神経質そうな男であるには間違いないが。


「もういいわ。何が何でも本番までに仕上げなさい。できなければ……わかってるわよね?」


 そこにいた誰もが震えあがるような声音で捨て台詞を吐くと、座長は踵を返してこちらへ向かってきた。入り口付近で固まっていたジンロは近づいてくる男をまじまじと見つめる。道化師の化粧に高級な貴族のジャケット、一度見れば忘れられない強烈なインパクトを放つ男だ。彼がジンロの側を通り過ぎる時、その吊り上がった目がこちらを見た。


「――――!」


 その瞬間ジンロは戦慄した。その男の目の奥に紫色の靄の様なものがはっきりと見えた。


 術師の刻印。


 ジンロがかつてみた術師と同じ目だ。つい最近にも間近で見た覚えがある、ドレーフの目だ。

 そして一方の男の方もまた、ジンロの顔を見るなり顔をわずかに歪ませ立ち止まった。


「……」

「座長、どうかされましたか?」


 彼の後ろについていた側近が男を促す。


「……いいえ、何でもないわ」


 そして男は何事もなかったかのようにジンロの脇を通り過ぎていく。


「お前ら!ぼさっとしてるんじゃねえ!何が何でも期日までに終わらせるぞ!」


 トルフィーの怒鳴り声と共に、テントの中が一斉に動き出した。皆それぞれ自分の持ち場についていく。テント内が慌ただしく重苦しい空気に包まれる中、ジンロだけは険しい顔で消えていく背中を睨みつけた。

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